朝のブログではどうしても書くコトができず。
考えると涙が止まらなくなってしまうので
本当は書くのをやめようと思っていたのですが・・・・
どのみち朝から止まらない気持ちの整理がつかないので
書きました。。。。
今日5月28日はママの最愛の長女
フックの命日なのです。
あれからもう2年経ったんですね。
今日はフックの「三回忌」なのです
2年経っても悲しみは少しも癒えません。
もちろん我が家の子供達を心から愛していますし
どのコも自分の命よりもずっと、ずっと大切なママの
宝物です
でもフックとママは、やはりドコか違ったのです
初めて一緒に暮した猫だから?
若い時から2人でずっと、ずっと一緒にいたから?
そんなコトでは片付けられないフックとママなのです
フックに出会ったのはママが19歳だった頃。
それから19年一緒に暮らしました
吉祥寺の裏道の片隅で出会ったフック。
小さくて、ボロボロで目も開いていなかった。
お金もなかった頃で必死で一生懸命に育てたのでした。
紙袋に入れて職場へ連れて行き、ミルクをあげて
毎日、ずっと一緒でした。
無事に1カ月が過ぎた頃の写真
まだまだボロボロでもとにかく賢くて
ママはフックを叱った記憶はありません。
よく自転車の籠に乗せて出かけて、コンビニの前で待たせておいても
おとなしく待っていてくれて。
もちろんリードもバックもありません。
帰り道はママのヒザからハンドルに手をかけて
一緒に風を楽しんで帰ったり、パジェ朗を買ってからは
窓を開けて外を見ながら一緒にドライブ。
抱っこしてでかけて帰り道、荷物が重かったら
ママの横を自分で歩いて帰宅
仕事へ行っているママの帰りを
夜、屋根の上でずっと待っていてくれて
よくアパートの大家さんに笑われました
降りようと思えば下に降りられる高さなのに
それでも外には一切出ず、本当に賢かったのです
小鉄が来るまでの8年間我が家には
「キャリーバック」すらありませんでした。
だってフックには一切必要なかったから
病院へ行く時も抱っこで十分。車の中でも普通に動き回って
降りる時は抱っこ。
そんな風にいつも、いつも一緒でした
相方と暮らすようになってママ以外の人とも暮らせるんだって
ちょっと(だいぶ)ママは嫉妬しました。
家族が増えて気が付けば
元祖5にゃんの長女になっても
いつもママを支えてくれていたフック
ママの悲しみが消えるのは
フックともう一度会える時だね。
フックを亡くしたあの日。もういつ死んでもいいと
本気で思いました。フックのいない日々なんて
考えるのも怖かったから。
でもね。ママは今日も元気に生きているんだよ。
今も涙が止まらないママのおヒザには
「アムろがいるデシ」
ママを心配してずっとついていてくれています
ありがとう。
みんなのおかげでママは幸せです
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