おとめバビロンの娘よ。下って、ちりの上にすわれ。カルデヤ人の娘よ。王座のない地にすわれ。
前回は、「イザヤ書 44章〜45章」を紹介しました。 今回は、「イザヤ書 46章〜47章」を紹介したいと思います。その前に、まず「私の祈り」から入りたいと思います。そして、「私の祈り」の中に、紹介したい聖書の章に出てくる「5つのキーワード」(マーカーで印)を含ませておきます。聖書の紹介は、穴埋め問題形式にしますので、正解となる言葉を知りたい時は、「私の祈り」に出てくる「5つのキーワード」の中から探しだしてください。最初にお祈りの言葉を唱えてから、その後で聖書を読んでいくというスタイルは、これまでと一緒ですので、お付き合いの程よろしくお願いします。では、今からお祈りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖なる神さま。今日もこうして神さまにお祈りし、朝を迎えることができることに感謝します。そして、RAPTさんの「御言葉」から神霊な波長を受けて、神さまの御心に立ち返る機会を与えていただき、本当にありがとうございます。カルデヤ人について調べてみました。(ここより転載)ーーーーーーーーーーカルデア出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 カルデア周辺の諸地方 カルデアと近隣の諸地域カルデア(Chaldea,Chaldæa、ギリシア語のΧαλδαία,Chaldaiaより;アッカド語: māt Ḫaldu;ヘブライ語:כשדים,Kaśdim[1];アラム語:ܟܠܕܘ,Kaldo)はメソポタミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称である。紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族はカルデア人と呼ばれるようになった。カルデア人は紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。短命に終わったバビロン第11王朝(BC6世紀)を、歴史家は慣習的にカルデア王朝、カルデア帝国、あるいは新バビロニア王国と呼ぶ。と言っても、この王朝の歴代の支配者のうち、カルデア人であると分かっているのは最初の4人だけである。最後の支配者ナボニドゥス(そしてその息子であった摂政ベルシャザル)の出自ははっきりしていないが、一説にはアッシリア出身とも言われる[2]。カルデア人が定住した地域はバビロニア南部にあり、主にユーフラテス川の東岸沿いにあった。カルデアという名は一般にメソポタミア南部全域を指す言葉として使われるようになったが、本来のカルデアは実のところ、ユーフラテス川とチグリス川の堆積物によってメソポタミア南東端に形成された、この2つの川の流れに沿った長さ約400マイル、幅およそ100マイルに広がる広大な平原であった。カルデア人[編集]ヘブライ聖書ではカルデア人を指してכשדים(カスディム) という言葉が用いられており、七十人訳聖書ではこれをカルデア人と翻訳している。アブラハムの出身地もカスディムのウルと書かれている。古代ギリシア人がカルデア人(Χαλδαίος、カルダイオス)と呼んだのは、バビロニアがアケメネス朝ペルシアの支配を受ける前のバビロニアの支配階級であった。現在ではカルデア人がバビロニアの最初の定住民であったとは考えられていないが、ヘレニズム期の歴史家シケリアのディオドロスは、カルデア人を最古のバビロニア人とした。古代世界においてカルデア人は天文学・占星術を発達させていたことで高名であり、「カルデア人の知恵」とは天文学・占星術のことであった[3]。占星術を司るバビロニアの知識階級ないし祭司階級をたんにカルデア人と呼ぶようにもなった[4]。カルデア人が使用した言語はアッカド語のバビロニア方言であった。これはアッシリア・アッカド語と同じセム語であるが、発音と文字に若干変わったところがある。後期にはアッカド語のバビロニア方言もアッシリア方言も話されなくなり、メソポタミア中でアラム語がこれに取って代わった。アラム語は今日までイラクとその周辺国のアッシリア人と呼ばれるキリスト教徒(アッシリア東方教会やカルデア・カトリック教会(英語版)の信徒)の母語であり続けている(アッシリア現代アラム語、カルデア現代アラム語)。ーーーーーーーーーー(抜粋、ここまで)このように、カルデア人は最古のバビロニア人のことであり、天文学・占星術を発達させていたことがわかります。「カルデア人の知恵」とは天文学・占星術のことであり、占星術を司るバビロニアの知識階級ないし祭司階級をたんにカルデア人と呼ぶようにもなったということです。今回紹介する47章では、カルデア人のことを「バビロンの娘」という言い回しで揶揄し、神さまがバビロンに対して厳しく断罪する場面が描かれています。特に47章の10節あたりから、「カルデア人の知恵や知識」は迷いを誘うだけで、神さまの前では何の役にも立たないことを告げるのです。ーーーあなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見る者はない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』しかしわざわいがあなたを見舞う。それを払いのけるまじないをあなたは知らない。災難があなたを襲うが、あなたはそれを避けることはできない。破滅はあなたの知らないうちに、突然あなたにやって来る。(47章10〜11節)ーーー「カルデア人の知恵や知識」とは天文学・占星術のことを指していますが、この占星術とは、どのような内容のものだったのでしょうか?(ここより転載)ーーーーーーーーーー占星術出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』占星術(せんせいじゅつ)または占星学(せんせいがく)は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う(占い)。古代バビロニアを発祥とするとされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパで発展した西洋占星術・インド占星術と、中国など東アジアで発展した東洋占星術に大別することができる。(中略)発祥[編集]古代バビロニアで行われた大規模な天体観測が起源であり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国へ伝わったといわれている。おもに国家や王家の吉凶判断に使われた。バビロニア占星術は紀元前3世紀頃にギリシアに伝わり、個人の運勢を占うホロスコープ占星術に発展した。占星術を指す単語は、古典ギリシア語のアストロロギア(astrologia)に由来する。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭辞は古典ギリシア語の astron 星でありastrologiaとは星について考えたことという意味になる。アストロノミア(astronomia、英語のastronomy)天文学とはastrologiaのなかで星の動きなどについての学問であった(nomos は秩序の意味)。ちなみに、astrologistは占星術者である。中東・ヨーロッパ[編集]西洋占星術の起源はバビロニアにあった。バビロニアでは、紀元前2千年紀に天の星々と神々を結びつけることが行われ、天の徴が地上の出来事の前兆を示すという考えも生まれた。『エヌーマ・アヌ・エンリル』(Enuma anu enlil, 紀元前1000年頃)はそうした前兆をまとめたものである。ただし、当時前兆と結び付けられていた出来事は、専ら君主や国家に関わる物事ばかりで、その読み取りも星位を描いて占うものではなく、星にこめた象徴的な意味(火星は軍神ネルガルに対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかった。 前332年にアレキサンダー大王によって占領された後、エジプトはギリシャの支配下にあった。そして、ヘレニズム文化が栄える中で、初めて本格的にホロスコープを用いる占星術が現れた。出生時における星々の位置から個人の星位図をトレースする試みが普及したことは、西洋占星術へのギリシャ人の最大の貢献である。このシステムは「ホロスコープ占星術」と名付けられた。アセンダント(後述)はギリシャ語で「ホロスコポス」とも呼ばれていたからである(星位図そのものを「ホロスコープ」と呼ぶようになったのは、これが語源である)。ギリシャで大いに発展したとはいえ、その大部分はバビロニアからもたらされたものであった。(中略)占星術と科学[編集]もともと、占星術(astrology)と天文学(astronomy)は深い関係があった。さまざまな経緯を経て、長い長い時代を経て、徐々に距離ができ、現代では占星術と天文学は別のものになっている。天文学は、途中まで占星術とともに、プトレマイオス以来の地球中心説(天動説)の宇宙観のもとに発展した。途中からコペルニクスの『地動説』が登場し、そのあたりから分化が始まったのである。天文学との関連[編集]占星術は天文学の母胎でもあった。ケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーは天文学者・数学者であると同時に、占星術師でもあった[5]。ドイツ観念論を代表する哲学者ヘーゲルが、大学教師の職に就くための就職論文がDissertatio philosophica de Orbitis Planetarum.(『惑星の軌道に関する哲学的論考』通称『惑星軌道論』[6])であり、その中で惑星の運動を本質的に解明したのは、物理学的に解析したニュートンよりもむしろケプラーであると評した[7]。そしてケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」と書いた[8]。権力者は、自分の運命や選択の良し悪しに興味があるので、それについて答えてくれると考えられた占星術のほうに金銭を出し、その金銭が結果として、星を観察・観測する天文学を支えるという効果があった、という意味である[9]。占星術と自然科学[編集]星がどのような周期的な動きをするものであるか、というところに焦点が当たっていた時代では、占星術と天文学は未分化で混然一体の状態であった。 現代考えるような自然科学は19世紀になってようやく誕生したものである(「scientist 科学者」という言葉が造語されたのは、あくまで19世紀になってからである)。それ以前は、自然についての考察は自然哲学という体系で行われていた。アイザック・ニュートンは、1687年の『自然哲学の数学的諸原理』によって分離がすすみ、決して一足飛びにではなく、徐々に、占星術と自然科学の距離が離れていったのである。現代の天文学者は、一般に、天体の配置や動きを用いて予想しようとするのは、あくまで天体の位置や動きであり、決して人間の性格・運勢、国家の未来などではない。現代の多くの占星術専門家が、惑星の位置を用いて予想しようとするのは、あくまで人の運命などであって、彼らは現代自然科学を用いて、より正確な惑星の位置などを予測することには興味が無い。このように、占星術と天文学は、現代では、目的も手法も、原則的に別のものになっているのである。ただし、若干の例外はあり、占星術と自然科学が重なるような、微妙な領域での研究がいくつかありはする。 ソルボンヌ大学の心理学者・統計学者ミッシェル・ゴークラン(フランス語版)は、誕生時の火星の位置と人の職業の膨大な統計をとり、両者には相関関係がある、と結論づける論文を発表(SCICOPサイコップの初期メンバーはこの論文を否定できると決めつけて活動したものの、調査して得た結果は、彼らの予想に反して、この論文を不本意ながら追認せざるを得ない結果になり、サイコップ内で紛糾が生じ、サイコップの歴史の汚点ともなった)。 これは、当時のドイツの異常な社会状態と関係があり、政治的な圧力が学問の世界にまでひずみを与えていた、という事例である。 ソルボンヌ大学のディーン・ルディアはユング占星術、すなわち「占星術の心理学的アプローチ」に対し、「心理学の占星術的アプローチ」を行い、後の西洋占星術における「サビアン占星術」に貢献した[要出典]。ーーーーーーーーーー(抜粋、ここまで)このように、占星術は、天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占うものであり、世界各国にある占星術のほとんどが、古代バビロニアを起源としているようです。天の星々と神々を結びつけ、天の徴が地上の出来事の前兆を示すという世界観が、国家の政を行う当時の権力者にとって、心の拠り所になっていたことは想像に難くありません。また、当初、占星術と天文学は渾然一体としたものでしたが、コペルニクスの「地動説」が登場して以来、占星術と天文学の分化が始まったということです。そして、19世紀に誕生した自然科学の発達に伴って、占星術と天文学の分化は、さらに加速され、現代では、目的も手法も、原則的に別のものになっています。この一連の流れを見て感じるのは、人間が心の拠り所にしているものを最初に見誤ると、途中で軌道修正するのが難しくなり、後になればなる程、とんでもないものが生まれてしまうということです。占星術の使い手は、大きな過ちを犯しました。一つは、多くの神々を祀り上げたこと。二つ目は、天文学や占星術という偶像を拠り所にしたこと。三つ目は、天文学を「天動説」から「地動説」に切り替えたこと。以上、三つの過ちは、聖書の世界観に反するものばかりです。聖書の世界は一神教であり、偶像崇拝を嫌います。そして「神さまは、天と地の間に太陽や月、様々な星々を配置され、地の上空で周回させ、私たち人間の様子を天から見守ってくださっている」という世界観を前提にしているのです。なのに、このような神さまを冒涜するような占星術を、現代に生きる私たちも、知らず知らずのうちに受け入れてしまっています。神さまがバビロン(カルデア人)に対して厳しく断罪する47章は、私たち現代人に対しての警告でもあるのです。神さま。私たちが犯した過ちを、どうかお許しください。偶像崇拝に陥り、地動説に基づいた自然科学を今だに拠り所にして、正義が何であるのかを見失っている私たち現代人を、どうかお許しください。嘘で塗り固められたこの世から、一刻も早く抜け出すことができますように、どうか救いの手を差し伸べてください。私たち兄弟姉妹が、犯した罪を贖うにふさわしい一人ひとりとなれますように、どうか導いてください。ハルマゲドンが終わった今、イルミナティ・サタンは裁かれ、破滅の道へと進んでいます。これからは、神さまと義人が統治する世の中になると信じています。私も、神さまの心情を悟り、神さまの御心を成す者として、残りの人生を正しく歩んで行くことができますよう、心から願います。そして神さま。どうか中心者RAPTさんをお守りください。RAPTさんの活動を妨害する工作員や集団ストーカーたちを裁いてください。創価学会、群馬人脈、イルミナティ・サタンを滅ぼしてください。RAPTさんの活動がこれから益々発展し、神さまの御心を成す多くの義人たちが現れ、栄光に向かって突き進んで行かれますことを心より祈ります。そして、十二弟子の皆さんや全国の兄弟姉妹たちが、豊かな聖霊で満たされ、神さまの御心を成し、愛と真理によって多くの人々が救われますことを切に願います。これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それでは次に、「イザヤ書」に移りましょう。46章〜47章を紹介します。(旧約聖書〈新改訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イザヤ書 46章1 「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの は獣と家畜に載せられ、あなたがたの運ぶものは荷物となり、疲れた獣の重荷となる。2 彼は共にかがみ、ひざまずく。彼は重荷を解くこともできず、彼ら自身もとりことなって行く。3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。4 あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。5 わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。6 袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。7 彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。8 このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。9 遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。11 わたしは、東から猛禽を、遠い地から、わたしのはかりごとを行う者を呼ぶ。わたしが語ると、すぐそれを行い、わたしが計ると、すぐそれをする。12 わたしに聞け。強情な者、 から遠ざかっている者たちよ。13 わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの は遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える。」イザヤ書 47章1 「おとめバビロンの娘よ。下って、ちりの上にすわれ。カルデヤ人の娘よ。王座のない地にすわれ。もうあなたは、優しい上品な女と呼ばれないからだ。2 ひき臼を取って粉をひけ。顔おおいを取り去り、すそをまくって、すねを出し、川を渡れ。3 あなたの裸は現れ、あなたの恥もあらわになる。わたしは復讐をする。だれひとり容赦しない。」4 私たちを 方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方。5 「カルデヤ人の娘よ。黙ってすわり、やみに入れ。あなたはもう、王国の女王と呼ばれることはないからだ。6 わたしは、わたしの民を怒って、わたしのゆずりの民を汚し、彼らをあなたの手に渡したが、あなたは彼らをあわれまず、老人にも、ひどく重いくびきを負わせた。7 あなたは『いつまでも、私は女王でいよう』と考えて、これらのことを心に留めず、自分の終わりのことを思ってもみなかった。8 だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう』と言う者よ。9 子を失うことと、やもめになること、この二つが一日のうちに、またたくまにあなたに来る。あなたがどんなに多く呪術を行っても、どんなに強く呪文を唱えても、これらは突然、あなたを見舞う。10 あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見る者はない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』11 しかしわざわいがあなたを見舞う。それを払いのけるまじないをあなたは知らない。災難があなたを襲うが、あなたはそれを避けることはできない。 はあなたの知らないうちに、突然あなたにやって来る。12 さあ、若い時からの使い古しの呪文や、多くの呪術を使って、立ち上がれ。あるいは役立つかもしれない。おびえさせることができるかもしれない。13 あなたに助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。さあ、天を観測する者、星を見る者、新月ごとにあなたに起こる事を知らせる者を並べたてて、あなたを救わせてみよ。14 見よ。彼らは刈り株のようになり、火が彼らを焼き尽くす。彼らは自分のいのちを炎の手から救い出すこともできない。これは身を暖める炭火でもなく、その前にすわれる火でもない。15 あなたが若い時から仕え、行き来してきた者たちは、このようになる。彼らはおのおの自分かってに迷い出て、あなたを救う者はひとりもいない。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(イザヤ書 46章〜47章より)今日は、ここまで。(2021.8.14)