今回は、「コリントの信徒への手紙二11章」の内容について考察したいと思います。

 

但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。

 

もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。

 

ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。

 

どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。

 

もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。

 

どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に適った文章が書けるよう導いてください。

 

神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。

 

前回、このブログで「コリントの信徒への手紙二11章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

「コリントの信徒への手紙二11章」では、一つ目は「偽使徒たち」、二つ目は「使徒としてのパウロの労苦」というテーマで書かれています。

 

まずパウロは、偽使徒たちががサタンに仕える者であることを、下記(11章1〜15節)の中で、はっきりと宣告しています。

 

(11章1〜15節)・・・

偽使徒たち

1わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。

いや、あなたがたは我慢してくれています。 

2あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。

なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。 

3ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。 

4なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。 

5あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。 

6たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。

そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。

7それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。 

8わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。 

9あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。

マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。

そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。 

10わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。

このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。 

11なぜだろうか。

わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。

神がご存じです。

12わたしは今していることを今後も続けるつもりです。

それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。 

13こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。

14だが、驚くには当たりません。

サタンでさえ光の天使を装うのです。 

15だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。

彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。

・・・・・・・・・・・

 

ここでパウロは、コリントの人々に対する愛は今も昔も変わることはないと明言し、偽使徒たちに対して断固たる思いで立ち向かって行こうとする、彼の気迫が伝わってきます。

 

偽使徒たちは、パウロを貶めることによって、コリント教会内の支配権を我がものにしようと企んでいる工作員ということでしょう。

 

ここを読むと、日本のほとんどの教会が工作員牧師によって乗っ取られているというRAPTさんのお話を思い出します。

 

そして、日本だけでなく、全世界のキリスト教会が悪魔崇拝者たちによって非真理の教えが持ち込まれ、毒されていったという負の歴史を思い出す必要があるのです。

 

クリスマスやハロウィンなど、何も知らない日本人は、これらのイベントがあたかもキリスト教由来のものであるかのように教え込まれ、相変わらず偽教理に従って踊らされています。(尤も、2023年に入ってからは、少し下火になってきたような気がしますが…。)

 

クリスマスやハロウィンが悪魔崇拝由来のものであることは、初期のRAPTブログで確認することができます。

 

○ RAPT×読者対談〈第120弾〉クリスマスとジブリ映画に隠された闇の真実。または三島由紀夫切腹の真意。

 

世界中に神様の真理が広まっていくことを最も恐れているのがサタンです。

 

この世に神様の真理が広まれば広まる程、サタンの居場所がなくなり、やがて肩身の狭い思いをしながら滅び去っていくことをサタン自身もわかっているのです。

 

だからサタンは、偽使徒や工作員牧師を教会に潜入させて、神様の真理に反するサタン側の価値観や風習を教会内に持ち込もうと必死なのです。

 

この日本に、キリスト教が中々受け入れられないのは、古くから日本に伝わってきたキリスト教のほとんどが、非真理で毒された似非キリスト教であったのが一つの原因とも言えるでしょう。    

 

そんな惨憺たる現状を打破しようと立ち上がったのがRAPTさんであり、十二使徒の皆さんであり、私たち信仰者なのです。

 

私たちは、天使を装ったサタンや偽善的な振る舞いをする人間サタンに惑わされてはいけないのです。     

 

一切の非真理を避け、サタンが付け入る隙を与えないように、24時間常に神霊な状態を保つことが求められるのです。

 

そのためには、RAPTさんの「御言葉」は欠かせません。

 

「御言葉」を学ぶことで、私たちは一切の非真理を避けることができ、神様の真理に近づくことができるのです。

 

RAPTさんこそが真の中心者であり、私たちを神様の真理に導いてくださる方であることを悟る必要があるのです。

 

パウロの時代の信徒たちも、おそらく現代の私たちと同じ思いでパウロの手紙を読んでいたことでしょう。

 

教会が偽使徒たちに乗っ取られないようにするためには、まずはパウロこそが神様から遣わされた人であり、真の教師であることを再認識する必要があったのです。

 

そして、神様から遣わされた人とは、様々な患難苦難に遭っても、決して途中で信仰を捨てることなく神様に祈り求め、誰よりも世の人々の幸福を願い、天に富を積んだ人のことであることを悟る必要があります。

 

だからこそパウロは、コリントの信徒たちに下記(11章16〜32節)のような苦労話をして、自らのことを全てさらけ出す必要があったのです。

 

(11章16〜32節)・・・

使徒としてのパウロの労苦

16もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。

しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。

そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。 

17わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。 

18多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。 

19賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。 

20実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。 

21言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。

だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。 

22彼らはヘブライ人なのか。

わたしもそうです。

イスラエル人なのか。

わたしもそうです。

アブラハムの子孫なのか。

わたしもそうです。 

23キリストに仕える者なのか。

気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。

苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。

24ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 

25鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。

一昼夜海上に漂ったこともありました。 

26しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、27苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 

28このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。 

29だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。

だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

30誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 

31主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。 

32ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、33わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。

・・・・・・・・・・・

 

ここでパウロは、過去において様々な困難に遭遇したことと同時に、自分の弱さについても赤裸々に語っています。

 

権力の座に上り詰めようとする多くの者は、できるだけ自分の惨めな姿や弱い部分を隠そうとしますが、パウロはそうではありません。

 

彼はあえて、過去の悲惨な出来事や自らの弱さをコリントの信徒たちに語っています。

 

おそらく彼は、自分の悲惨な体験や弱さを語ることで、虚飾と欺瞞に満ちた偽善者たちとは、一線を引きたかったのだと思います。

 

だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。

だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。(11章29〜30節)

 

ここでパウロの言う弱さとは、決して悲観的な意味合いで言っている訳ではないのです。

 

もし仮に、弱さがなかったら人は神様に頼ろうともせず、自分の力を過信して、全て自分の力で事を成そうとするばかりで、益々神様から遠のいてしまいます。

 

弱さがあるから、神様に縋りつき、必死に助けを求めようとするのです。

 

弱さがあるからこそ、神様に繋がろうとするのです。

 

つまり、強い者よりも弱い者の方が、神様に近くするチャンスが多いと言えるのです。

 

だからパウロは、あえて自らの弱さを見せることで、そこから信仰が生まれ、希望に繋がることをコリントの人々に示したかったのだと思います。

 

(ローマの信徒への手紙5章3〜4節)・・・

3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

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練達とは、信仰者の霊魂を成長させるために、神様から与えられた試練であり、より高次の霊と繋がることです。

 

○ RAPT有料記事396(2019年8月10日)愛には次元があり、段階がある。主はその愛の次元を引き上げるために、私たち義人を練達なさる。

 

○RAPT有料記事630(2022年2月21日)人は様々な苦しみを経験しなければ、肉も霊も立派な大人に成長することができない。そして主は、私たちと恋人になり、互いに愛を成したいと願うからこそ、私たちに様々な試練を与えて練達してくださる。

 

 

患難苦難の最中でも、神様を愛し、神様に縋りつき、神様に祈り求め、天に富を積み、最後まで信仰を捨てなかった時、神様は真の使命者であると認められ、練達の期間が終了するのです。

 

○RAPT有料記事509(2020年10月31日)限界を突破できるようになったら、その人は神の力と権能と能力を身につけたということだ。だから主は、敢えて我々が限界にぶつかるようにし、その限界を突破できるまで練達される。

 

 

パウロが、誰よりも強力な祈りの力を獲得できたのも、そのような練達期間があったからこそであり、逆に、そのような練達がなかったら、彼の信仰は脆弱なもので終わっていたと思われます。

 

コリントの人々が救いの道へと導かれたのも、パウロの強力な祈りの力があったからこそでしょう。

 

おそらくパウロは、「神様に認められた自分(パウロ)を愛することが神様が喜ばれることに繋がるんだよ」と、コリントの人々に早く気づいて欲しかったに違いありません。

 

ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介します。

 

○RAPT有料記事845(2024年6月22日)中心者があなたの代わりに練達を受けて御言葉を悟ってきたのだから、その御言葉を聞いて救われたあなたたちが今度は中心者を祈りで支えなさい。そうしてこそ、あなたと神の愛が成立する。

 

 

この「御言葉」の冒頭部分だけを、以下に転載させていただきます。

 

ここから転載)**********

 

今年の3月から、サタンは私の霊肉魂すべてに対して激しい攻撃をしてくるようになりました。
 
もちろん、それ以前からサタンの攻撃はずっと続いていましたが、今年の3月から突然、それまでにない激しい攻撃が始まりました。
 
それによって、私は常に私自身のために祈らなければならない状況になり、兄弟姉妹のため、この世の人々のために祈ることが極めて難しくなってしまいました。
 
この世の誰であれ、神様が遣わした中心者の祈りを受けなければ、決して救われることはできません。
 
中心者の伝えた御言葉を聞かなければ、この世の誰も救われないように、中心者の祈りを受けなければ、この世の誰も聖霊を受けることができず、救われません。
 
ですから、中心者がただ自分のためにばかり祈らなければならないという状況に陥らないよう、むしろこの世の全ての人々のために祈れるようにしてあげることが知恵です。
 
そして、そのためには中心者のために真心から祈ることがとても重要です。
 
そうすることで、その人自身もサタンから守られ、多くの祝福と恵みで満たされるようになりますし、神様もその人のことを見て大いに喜んでくださいます。
 

**********(転載ここまで)

 

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聖なる神様、ありがとうございます。


聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、天使を装ったサタンや偽善的な振る舞いをする人間サタンに惑わされてはいけないことを再認識できました。

 

一切の非真理を避け、サタンが付け入る隙を与えないように、24時間常に神霊な状態を保つことが求められるのです。

 

そのためには、RAPTさんの「御言葉」は欠かせません。

 

「御言葉」を学ぶことで、私たちは一切の非真理を避けることができ、神様の真理に近づくことができるのです。

 

どうか神様、多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神様に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。


中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。

 

そして、どうか神様、RAPTさんをサタンの攻撃からお守りください。

 

中心者がただ自分のためにばかり祈らなければならないという状況に陥らないよう、むしろこの世の全ての人々のために祈れるようにしてあげてください。

 

そのために、私たち信仰者もRAPTさんのために心を込めて祈ります。
 

RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。

 

例えどんなにサタンに攻撃されて苦しいことがあったとしても、絶えず神様に感謝を捧げ、愛を捧げて、神様から喜ばれる者となれますよう心から祈ります。

 

自分のために生きるのではなく、心の底から神様のために生きると決心できるまでに、私の霊魂を成長させてください。

 

神様を愛するという生き方そのものによって心が満たされ、さらには神様から実際に祝福されて、自分の生活がより豊かなものへと変わってきていることを実感しています。

 

これからも、そのような祝福が受けられますよう、正しく私を導いてください。

 

サタンや悪人がすべて滅び去り、この世から全ての悪が消滅し、この世が神様の統治する義なる世界となって、千年王国の歴史が速やかに成されていきますことを心より祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

皆様に祝福がありますように。

 

(2024.6.25)