今回は、「コリントの信徒への手紙一15章」の内容について考察したいと思います。
但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。
もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。
ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。
どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。
もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。
どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に適った文章が書けるよう導いてください。
神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。
前回、このブログで「コリントの信徒への手紙一15章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。
「コリントの信徒への手紙一15章」では、一つ目は「キリストの復活」、二つ目は「死者の復活」、三つ目は「復活の体」というテーマで書かれています。
まずパウロは、彼が伝えた福音を振り返り、「キリストの復活」について語り始めます。
(15章1〜11節)・・・
1兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。
これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
2どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。
さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
3最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。
すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
6次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。
そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
7次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、8そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
9わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
10神の恵みによって今日のわたしがあるのです。
そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。
しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
11とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。
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以上から、キリストの復活の流れを示すと、下記のようになります。
① キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死に、葬られた。
② 聖書に書いてあるとおり三日目に復活した。
③ ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れた。
④ 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れた。
⑤ 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れた。
⑥ 最後に、月足らずで生まれたようなわたし(パウロ)にも現れた。
新約聖書では、各信者の目の前に、あたかもキリストの肉体が復活して現れたかのような表現で書かれている箇所がありますが、実際に現れたのはキリストの霊であったことを再確認しておきたいと思います。
磔刑によってキリストの肉体は土にかえられましたが、キリストの霊は復活し、各信者の心の中にありありとした姿で現れたのです。
パウロ自身が吐露しているように、彼が真理に目覚め、宣教活動に専念するようになったのも、全てキリストの霊が彼の中に現れて、神様の霊と繋がったからに他なりません。
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。
そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。
しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。(15章10節)
「復活」とは、それまで眠りについていた霊魂が目覚め、息を吹き返し、本来あるべき神様の次元(天国)に引き上げられることだと言うこともできます。
肉体の甦りはないけれども、霊魂の「復活」はあるということです。
「復活」によって霊魂は、神様の次元(天国)に引き上げられ、神様が住んでおられる世界に回帰できるということです。
そのように考えると、下記の「死者の復活」の話についても理解しやすくなると思います。
(15章12〜34節)・・・
12キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
13死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。
14そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。
15更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。
なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。
16死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。
17そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
18そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。
19この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
20しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
21死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
22つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
23ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。
最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、24次いで、世の終わりが来ます。
そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。
25キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。
26最後の敵として、死が滅ぼされます。
27「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。
すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。
28すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。
神がすべてにおいてすべてとなられるためです。
29そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。
死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。
30また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。
31兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。
32単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。
もし、死者が復活しないとしたら、「食べたり飲んだりしようではないか。
どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。
33思い違いをしてはいけない。
「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」のです。
34正気になって身を正しなさい。
罪を犯してはならない。
神について何も知らない人がいるからです。
わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。
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特に注目すべきは、(15章21〜22節)です。
死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(15章21〜22節)
ここで言う「死」は、肉体の死を指しているのではありません。
サタンの主管圏にハマり込んで霊魂が冷え切っている状態を「死」と呼んでいるのです。
「アダムによってすべての人が死ぬことになった」とは、サタンの策略にまんまと引っかかったアダムの罪によって、全人類は神様との繋がりが断ち切られ、サタンの奴隷と化し、霊魂が冷え切った状態になったことを意味します。
つまり、神様との愛の関係が絶たれて、サタンに支配された状態を「死」と呼んでいるのです。
よって、ここで言う「死者」は、肉体が死んだ人のことを指すのではなく、神様との繋がりが断ち切られ、サタンの奴隷と化し、霊魂が冷え切った状態になった人のことを指すのです。
だから、肉体はあるけれどもサタンに支配され霊魂が冷え切っている状態なら、「お前はすでに死んでいる」と言われても仕方ないのです。
一方、「キリストによってすべての人が生かされることになる」とは、キリストを信仰することによって、全人類が神様との愛の関係を取り戻し、神様の霊と繋がることで霊魂が息を吹き返すことを意味します。
つまり、神様の霊と繋がることで霊魂が引き上げられ、「死者の復活」が可能となるのです。
そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。
死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。(15章29節)
以上のことから、「死者の復活」とは、一旦「死」の世界に取り込まれた霊魂が、神様の霊と繋がることで息を吹き返し、神様の次元(天国)に引き上げられることだと言えましょう。
つまり、サタンの主管圏から脱出し、神様との愛の関係を築きながら真の自由を獲得し、天でも地でも喜びと希望を持って生きることができるのです。
ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。
最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。
そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。
キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。
最後の敵として、死が滅ぼされます。 (15章23〜26節)
上記のメッセージは、終わりの時(キリスト再臨の時)に「死者の復活」が成就されることを示しています。
つまり、世の終わりにサタンは滅び、神様の霊と繋がり、サタンの主管圏から抜け出した者は、神様の次元(天国)に引き上げられ救われるということです。
(テサロニケの信徒への手紙一4章14〜18節)・・・
14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。
神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。
主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。
すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
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上記聖句も、キリスト再臨時に霊魂が引き上げられる場面を描いています。
誤解のないように再度申し上げますが、生き残っている人間の肉体が空中で主と出会い、雲に包まれて引き上げられるわけではありません。
肉体が引き上げられるわけではないのです。
引き上げられるのは、あくまでも霊魂なのです。
キリストを信仰する人々の霊魂が、天国の次元にまで引き上げられるということです。
このことは、現代に生きる私たちに対してのメッセージでもあるのです。
何故なら、世の終わりとは、まさしく今の時代のことを指すからです。
今の時代が終わりの時なのです!
今まさに神様による羊と山羊の選別が成されており、サタンと悪人は滅びへと向かい、義人は救われる時代が到来しているのです。
そして、RAPTさんの「御言葉」によれば、もうすでに、聖霊の導きによって霊魂の引き上げは始まっているということです。
終わりの時を迎えた今、私たちは改めてRAPTさんの「御言葉」とパウロのメッセージを真摯に受け止める必要があるのです。
では次に、「復活の体」について紐解いてみましょう。
(15章35〜58節)・・・
35しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
36愚かな人だ。
あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。
37あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
38神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。39どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。
40また、天上の体と地上の体があります。
しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
41太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
42死者の復活もこれと同じです。
蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、43蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
44つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。
自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
45「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
46最初に霊の体があったのではありません。
自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。
47最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
48土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
49わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。
50兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。
肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
51わたしはあなたがたに神秘を告げます。
わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
52最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
54この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
55死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
・・・・・・・・・・・・
再度言いますが、「死者の復活」とは、一旦「死」の世界に取り込まれた霊魂が、神様の霊と繋がることで息を吹き返し、神様の次元(天国)に引き上げられることです。
あくまでも霊魂が引き上げられる現象を指すわけで、肉体が甦るわけではないのです。
だからパウロは、「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」と聞く者に対して「愚かな人だ」と言うのです。
では「復活の体」は無いのか?というと、パウロは「無い」とは言わずに、別の言い方で説明します。
つまり、「復活の体」は「種」のようなものだと言うのです。
あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。(15章37〜38節)
最初から体が与えられているわけではなく、「種」を蒔くことによって後に体が与えられるのです。
ここで言う「種」とは、神様に喜んでもらうためにできること全てです。
「種」を蒔くとは、神様に喜んでもらうために、自分の全てを神様に献げることです。
つまり、「種」を蒔くとは、神様の御言葉に従い、義を成して天に富を積むことです。
天に富を積むことによって神様に喜んでもらい、神様の恵みを受けるのです。
この神様の恵みこそが「復活の体」です。
神様の恵みを受けることにより、霊魂をより成長させることができ、サタンに勝利して、「復活の体」を顕在化させるのです。
神様の恵みによって霊魂が「朽ちないもの」「輝かしいもの」「力強いもの」に復活するのです。
死者の復活もこれと同じです。
蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(15章42〜43節)
義を成して天に富を積み、神様に喜んでもらい、神様から恵みを受け、神様の次元(天国)に一歩近づき、その恵みに感謝して、さらにまた義を成して天に富を積む…。
与えられたら与え返すこと。
これこそが、神様と私たち人類の間で交わされる愛のシステムなのです。
この愛のシステムを繰り返すことによって、私たちの霊魂は益々成長し、神様の次元(天国)へと高められ、「復活の体」を体現していくのです。
わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(15章57〜58節)
ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介します。
この「御言葉」の冒頭部分だけを、以下に転載させていただきます。
(ここから転載)**********
前回の有料記事でもお伝えした通り、私たち義人が主の御言葉に従い、義を行って生きていくなら、私たちの霊魂は神のように成長していきます。
しかし、義を行って得られるものは単にそれだけでなく、私たちが義を行った分だけ、天に富を積んでいくことができます。
そして、天に積まれた富によって、私たちは天にあるどんなものも買うことができますし、地上においてもその富を使って祈りを叶えてもらうことが可能となります。
また、この地上でも富のある者が様々な地位や権力を手に入れていきますが、天においてもやはり富のある者がありとあらゆる力と権能を手に入れて、いずれは天と地を統治することができるようになります。
この地上では不正を行っても富を積むことができますが、天においてはただ義を積んだ者だけが富を積むことができるので、富を持っている者がその富によって何か不正を行うということはほとんどあり得ません。
したがって、天に富を積む者が多く現れれば現れた分だけ、天も地もより正しい義人によって統治されるようになるので、混乱や不条理が生じなくなり、むしろ平和と秩序が保たれるようになります。
そして、天にはそのような義人が現れることを待っている人たちが大勢いますし、この地上においてもそれは同じでしょう。
主を信じる皆さん一人一人が豊かに天に富を積んで、天と地を統治し、天にも地にも平和と秩序をもたらす者となりますことを心から祈ります。
**********(転載ここまで)
この話の続きを知りたい方は、直接、有料記事をご購読ください。
聖なる神様、ありがとうございます。
聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、与えられたら与え返すこと、これこそが、神様と私たち人類の間で交わされる愛のシステムであることを再認識できました。
義を成して天に富を積み、神様に喜んでもらい、神様から恵みを受け、神様の次元(天国)に一歩近づき、その恵みに感謝して、さらにまた義を成して天に富を積む…。
この愛のシステムを繰り返すことによって、私たちの霊魂は益々成長し、神様の次元(天国)へと高められ、「復活の体」を体現していくことを悟りました。
どうか神様、天に富を積むことによって神様に喜んでもらい、神様の恵みを受けられる者となれますことを心から祈ります。
神様を信じる私たち一人一人が豊かに天に富を積んで、天と地を統治し、天にも地にも平和と秩序をもたらす者となりますことを心から祈ります。
私たち一人一人が神様の言葉を述べ伝える使命者となって、この世の中に神様の影響を強く及ぼしていく者となれますことを心から祈ります。
「御言葉」を豊かに学んで悟り、サタンから遠く離れ、神様とどこまでも近くして、神様がこの時代に用意してくださった救いに預かり、祝福に満ちた幸福な生を生きられますことを心から祈ります。
多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。
中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。
RAPTさんがサタンから守られ、毎日、より高い次元の啓示を受けられ、力強く御言葉を述べ伝えられ、壮大に神様の御心を成していかれますことを心より祈ります。
RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。
十二弟子をはじめ全ての兄弟姉妹たちが、霊肉のサタンの攻撃や誘惑から守られ、御言葉に従順に従って聖霊に満たされ、これから本格的に始まる聖霊の歴史に参加し、壮大に千年王国の歴史を成していくことができますよう心から祈ります。
サタンと人間サタンがすべて完全に滅び去ることを心から祈ります。
もう二度とこの地にサタンが働きかけることができなくなるよう、そして人間サタンどもが二度とこの地で悪事を働くことができなくなるよう心から祈ります。
それによって、この世の中が神様の統治する義なる世界へと完全に作り替えられますことを心から祈ります。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様に祝福がありますように。
(2024.3.19)