日英翻訳は英米人か日本人か | 翻訳かけこみ寺

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翻訳会社を経営する筆者が翻訳のことを自分の体験も含めよろずや的に語る

さて前回と反対に日本人がやるとどうなるでしょう。英米人翻訳者のように読み違えることはありません。ところがですねぇ、英語が母語でないですから、訳した英語がおかしいのですね。例えば「スポーツをする」とあるから”Do sports.”と訳したら英米人は「そんな言い方はしないよ、”Play sports.”と言うのだよ」と言ってきます。「ピアノをひく」を”Play piano.”と訳したら”Play the piano.”とtheを入れなければいけないよと言われます。

また就任挨拶か何かで「若輩ではございますが」とあったので、”Though I am young”と訳したら、この場合、「若い人が重責を担うのはおかしい」と”Though I am young”全て削除されてしまいました。

指摘だけなら良いですが、全くわからないというのが出てきます。広告用語で「キャッチコピー」というのがあります。これをcatch copyと訳したらさっぱりわからないと言われてしまいました。さんざん説明したら、sales copy, slogan, catchphraseといろいろあるそうです。

こちらもいろいろ問題がありそうです。

私には25年以上お付き合いをしている翻訳者仲間がいてこの人はやはり翻訳会社を経営していますが、彼は昔から日英翻訳はオーストラリア人と日本人の夫婦に頼んでいます。日本語と英語を母語にする夫婦が共同で作業することにより、誤訳も避け、訳し上がりの英語も自然なものになるという理由からで、長年それがうまくいっているそうです。

硬い話になり、恐縮ですが、インドに誕生した仏教を中国の何人もの僧侶がインドを訪れ、サンスクリット語から中国語に翻訳しています。西遊記はそのような翻訳僧侶の1人、玄奘三蔵をモデルにしていると言われています。これらの翻訳作業はサンスクリット語と中国語のそれぞれのネーティブにより、共同で行われていたそうです。

つまり母語以外の1つの言語に完全に通じるというのは無理があるという考えで、それなら共同でやればということになりますが、このような方法を今から2,000年も前に中国や、インド、チベットの僧侶が採用していたとは驚きです。