自動翻訳された文章を読むのは疲れる(翻訳スキルアップのヒント)
自治体のホームページでも、観光パンフレットでもなんでも、バイリンガル(以上)で書かれるのが随分と当たり前になってきた気がします。
英語ページがないと、ビジネスでも自治体でも、今では業務が成り立たなくなってきています。
特に最近は、機械翻訳が発達してきて(その質の良し悪しは別として)、バイリンガルどころか、中国語や韓国語などでもページを作成しているところが目立ちます。
ただ、自動的に翻訳されたページが掲載されていることも多いですが。
また、最近はSNSなどにも「機械翻訳機能」が搭載されていて、外国語から日本語に自動翻訳されたものを読むことができるので、とても便利だと思います。
自動的に翻訳されたものを読んだことがある人も多くいらっしゃると思いますが、読んでいて「疲れる」という経験はないでしょうか?
まあ、ツイッター程度の短い文なら、意味を把握するという意味で問題のないことも多いかもしれません。
しかし、もう少し長い文章になると、機械翻訳にかけてみたものの、いまいち意味がピンと来なかったり、読みづらくて疲れるということも多い気がします。
機械翻訳が疲れる理由・・・
それは「直訳だから」というのが答えの1つで、それがかなり大きな理由だと思います。
意味さえ分かれば「疲れ」とは無関係だと思われるかもしれませんが、実は文章には「読みやすい文章」と「読みづらい文章」というものがあり、後者を読むときは、たとえそれば理論的に間違いがない文章であっても、意味がいまいち理解できなかったり、読みながらつかえてしまったりということが起きてしまい、読むという作業自体に疲弊してしまうのです。
そして、その読みづらい文章を、自分なりに意味を考えながら読んでしまうので、さらに疲れてしまうのです。
自分で翻訳しながら読んでいるようなものです。
訳されて日本語を読んでいるのですが、「それってどういう意味?」とか「こういうことを言っているんだろうか?」と、解釈を修正しながら読んでいるのです。
「外国語を翻訳しながら読む」というのであれば、どれだけ疲れることか、ご想像いただけるかと思います。
よく分からないと、不安や不信感も伴います。
翻訳されていたとしても、その文章が読みやすい文章、スッと自分の中に入ってくる文章でないと、翻訳しながら読むのとあまり変わらないプロセスを踏んでいるのです。
だから疲れて当然です。
疲れる文章であれば、当然読まれません。
翻訳の仕事は、日本語(あるいは外国語)に変換するという作業だけで終わりません。
翻訳して、読んでもらえる文章を書かなければならないのです。
辞書の意味、構文の解釈ができれば翻訳ができるかというと、そうではないわけです。
つまり、上手な文章を訳せば上手な訳文が出来上がるとは限らないのです。
もしかしたら、いずれは機械翻訳のソフトやAIでも、「読みやすい」文章を書ける日がくるかもしれません。
ただ、今のところ、どうしても文章(あるいは書籍)全体の構成を考えて、読者がすっと理解できる文章、腑に落ちる文章を書けるところまではいっていません。
ChatGPTは、自然な文章が書けるようになったと言われていますが、1文1文を見ると、たしかに「自然っぽい」文が書けていることも多いです。
しかし、短いながら完結したエッセイを翻訳させても、なかなか「良い」文章を書いてくれません。
読んでいてどこか疲れるのです。
それは、ChatGPTがまだ字面だけの「翻訳」をやっているからです。
さらに言うと、その中には正しくないこと、根拠のないことも含まれているという欠点もあります。
つまり、信頼性がまだ担保できていないわけです。
そのため、読みながらいろいろと考える必要がある、そのために疲れるのではないかと思います。
実はこれ、人間が翻訳をしても同じことが起こり得ます。
つまり、「翻訳を読んでいると、とても疲れる」ということがあるのです。人間が翻訳したのに。
それは、翻訳する人が字面だけを翻訳しているからですね。
読者が読みやすい文を書いていないからです。
翻訳者が最終的に追求するところは、やはり(ターゲットとなる)読む人が無理なく読める文章を書くことだと思います。
字面だけ訳していれば、当然のように読みづらい文になってしまいます。
現時点で、AIの言語モデルは、字面の並びなどを考えて「もっともそれらしい文章」を作るようにプログラミングされているのであり、よってまだまだ、読みやすい文章を作るというレベルには達していないような気がします。
UnsplashのVarun Gabaが撮影した写真
先ほど、テレビを見ていたらChatGPTの問題について取り上げられていたのですが、その中で、ChatGPTの書いた文章について誰が責任を持つのか?という疑問が投げかけられていました。
私個人の考えとしては、それは難しい問題ではなく、そのChatGPTを使って文章を提出した人が責任を持つのだと思います。
今のところChatGPTには責任能力がないので、それを使った人が責任を負えばようような気がします。
この辺は、まだまだ複雑になっていくと思いますので、今後の展開を注視していきたいとは思いますが、いまのところは、ワープロソフトや自動入力装置のように、人間がモノを書くうえでの道具として捉えれておけば良いような気がします。
それで良い文章が書けるならそれで良いと思います。
学生がそれを使ってチートをするなどという問題点はあると思いますが、それは教育上のルールとして「使う・使わない」をハッキリする必要があると思います。
それは置いておいて、実務の世界では、ワープロのように、電卓のように、写真の自動補正のように、成果物に責任を持つことのできる人がいる限りは、活用していけばよいと思います。
人間の作品ではなく、機械の作品であることを見抜けなかったとしても、困る人はいない気がします。
それを評価するのは、機械ではなく人間なのですから(そして、それにお金を払うのも)、その人間に満足していただけるものを出せれば、特に問題がないような気がします。
あくまでも、ビジネス上の話ですが。
ただ、現状では、先ほども申し上げたように、機械が翻訳したもの、機械が書いたものそのままでは、とても読みづらかったり、間違いが含まれていたり・・・ いろいろと問題があります。
その欠陥があるものを(提供するものとして)出してもよいのか?それは良くないですよね。
ですから、人間がチェックをして、人間の手で、それを手にする人が読んで満足していただけるものを書かなければなりません。
現時点では、そのような高度な人間の手を加えることが不可欠です。あくまでも、機械やAIは人間の作業の補助にしかならない気がします。
ただし、効率や品質アップのために役立てることは、現時点でもすでに可能だと思いますので、個人的には活用すべきだと思っています。
著作物に関するAIの使用については、これから議論はどんどん進んでいくと思いますが、その流れもよく追っていきたいなと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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