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近年再見した女性文芸ドラマに関する寸評
                 薔薇海峡、ゆるしません!、赤い秘密
ビッキーHONMA

青春ドラマのファンである筆者だが、まだ、一度も語ってなく、そして、ここ2年間で再見できた名作がまだまだあるし、これからも出てくるだろう。それくらい70年代から80年代にかけてのドラマは完成度が高かったのである。


まずは薔薇海峡(78~79)全26話
斉藤とも子が主演の大映ドラマ。
宇津井健が父親で市長の役。高橋悦史が斉藤とも子の実の親で過失殺人犯であった。宇津井は医者だったが市長になり、高橋の組織に敢然と戦いを挑む。神田正輝は当初こそ、父を宇津井の手術で死なされたため、宇津井を父の仇と恨んでいたが、誤解が解け、宇津井のよき協力者となる。高橋の背後にある組織は『薔薇同盟』であり、全国に支部がある秘密結社である。その中には汚職政治家もいるし、全国の転覆を願うユートピアを目指す組織である。
母は殺され、汚職政治家は次々と殺され、宇津井の助手だった女医、夏純子も組織を裏切ったことで殺され、半狂乱になる斉藤とも子、宇津井は殺人容疑として全国指名手配(まるでキカイダー!)になって逃亡をはかるが組織の罠は2重3重にかぶさってくる。
斉藤とも子は高橋悦史の家から、汚職政治家のメモを取り出すが、追いかけられて、事故で失明してしまう。逃亡者である宇津井と目の見えない斉藤とも子、それを支える神田正輝の逃避行がはじまったのである。
このドラマは前半は少し、もたついた感じであるが1クールを過ぎたころから猛然とダッシュをかける展開となり、まったく息がつかせない。そして、目の見えないまま、捕まり、また、足手まといとなりながら、逃亡する斉藤とも子がたまらない。
宇津井は何度も高橋悦史の罠にかかるが、彼の命を助けつづける。その結果、組織を裏切り、内部分裂をおこす『薔薇同盟』薔薇同盟の幹部は最後まで、姿は明かされずじまいであるが、斉藤とも子が命がけで取ってきたメモにより、特捜部が動き出し、その存在は明かされるのである。そして、宇津井の無実も証明された。その切り札となったのは宇津井の人を思う心と、市長としての責任感、そして、斉藤とも子の実の父高橋悦史を思う親子愛であった。長崎市長射殺事件が起こった翌年である今年は事件の背後にこんな事実があったかもしれないと思うと、感慨深いものがある。
最終回、斉藤とも子の命は手術によって助かったが、目は一生見えないことになるが、神田正輝の台詞が泣けるのだ。
「お前の目が見えないなら、俺がお前の目になる。俺と結婚しよう。」
そして、車椅子で歩いている時、とも子の目が奇跡的に甦る場面で幕となるのである。
こんなに盛り上がったドラマだが視聴率は1桁だったそうだ。それは前半が少しもたついた出来だったからだろう。つくづく、ドラマは最初の3話が勝負だと思う。かなり、サスペンスかかった大映テレビとしては常道であるが、斉藤とも子主演のドラマとしては、転がるぐらい転がりすぎる、激しいテンションの番組であるが、これもまた、私のベストドラマとして、加えたい一本である。

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スネ夫とのび太を比べれば大部分がスネ夫の生き方を選ぶし、そんな中にたかだか園長や良、アキやパン屋の善意などは虫けらの価値すらないのかもしれない。・・・・
 この話の最大の汚点が実はここにある。メイツ星人ビオは地球人は30年前よりは進歩したと感じていたが、それは彼の錯覚だったかもしれないのだ。園長が、良を見たように。そして、桃子がワルダーを見たように・・・。
 本当はビオは錯覚しただけで、目に見えない、地球人は、日本人はむしろ30年前よりも退廃し、救いようのないものになっているのではないかという嘘が、この寓話の全ての矛盾なのである。いや、表面的には科学が発達し、医学が発達し、戦争はなくなり、暮らし易くなったのは事実だ。しかし、身寄りのない老人から医療保険を取る政府のやり方、税をとり、物価を上げることしか考えないお上、少子化、核家族化、人口減少。戦争はおきないまでも、水面下では次々と内出血がおきているのである。
 この話を真に非難があるとすれば、ストーリーではなく、ヒューマニズムにより、全てを希望に結びつけた安易さである。故にリアリストからは評判が悪い。しかし、ロマンを信じる私としては平成ウルトラのなかでも、全ウルトラシリーズ史上、最も愛すべき作品である。それは愛しの斉藤とも子が出演した事が多分に含まれているからかもしれない。
しかし、あえて、理屈付ければ、愛もまた、人間の善意の産物であるからよいのだと理屈づけられれば、いかがであろうか.……。
 そして、また、この話によって、実は今まで、見るのが苦痛で個人的に上原作品の中でも、印象度はともかく、好みとしてはワースト10に位置していた『怪獣使いと少年』がむしろ、この話とカップルにした前後編にすれば、ベスト10に入ってしまうという、私個人の思い入れあればこそなのである。それくらい、私は、人間の善に飢えていて、仏心に目を向ける嗜好であることをつけくわえなければならない。気持ちの入れ替えでこれだけ人間は変わるのだという恐ろしさを感じざるを得ない。嘘でもいい。それでも気持ちよく生きていけたらその嘘も善意なのではないだろうか。……。
 また、往年に作られた前作より、予算も少ない、数字も落ちた、演出の質も、技術も落ちる職人的気合のないフィルムであると思う。
だから「こんなリメイク許せない」という輩の気持ちも判る。しかし、それ故にこそ、私はこの作品を愛さずにはいられない。……。
いや、『怪獣使いと少年』のほうは、あらゆる問題意識を投げかけた問いかけのドラマであり、『怪獣使いの遺産』は朱川がそれに対して自分なりの答えを投げかけたエピソードといえるのではないだろうか。問題と自分なりの回答。私は回答の方からなら、このエピソードに入っていけそうな気がするのである。
いずれ、この作品も次の世代によって再評価されることがあるかもしれない。『怪獣使いと少年』が本放送時はボロクソの評価で、再評価につぐ再評価で今日までに来たように。しかし、私はこの話をさけていたが、ここまでやられては、避ける事は出来ない状況になってしまい筆をとった次第である。この文章を見た方でどちらか一方しか見ていない方は両作を連続して一度見ていただくことをお薦めしたい。さすれば自分なりになんらかの答えが出るかもしれないのである。

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もし、そうだとすれば、良が唯一に近く、気を許した、地球人は彼女だけだったのかもしれない。しかし、少女もその母親も優しさはあっても非力であった。大局を動かすだけの力はなく、市民Aとして動かざるをえない。戦争がおきたら、ただの難民になるしかない人物である。しかし、少女は良を、メイツ星人であるおじさんを失った後の良を良く知っていた。何故か、良は少女には本音を話していたのである。そう、我々はあの話に出てくる良しか知らないため、良にこんな面があることを知らなかったそれだけの話かもしれない。しかし、おじさんの復讐に燃えた良は、その余裕があったのであろうか。いや、復讐という空しさに疲れた時、少女と知り合ったのかもしれない。良はもともと、いじめられっ子の資質はあるが、優しさを持つ男である。そんな不器用な良に問答無用に攻撃を加える大衆。・・・・大衆にも罪もある。良以上にある。その大衆の罪を一手に引き受けた良はイエスキリストなのではないかと思わせる。
『キカイダー01』(73)の41話『天下無敵!空中戦艦撃破!』で少女桃子(ももこ)(柿崎澄子)はワルダーに語る。『ワルダーさんはいいひとよ。』しかし、ワルダーはゼロワンを殺すために現れた殺し屋ロボットである。しかし、また、やさしさも持つロボットである。その矛盾を少女に指摘され、悩むワルダー。しかし、少女はいい人だと知っていた。何故なら、悪い人なら、私に危害を加えるはずだ。ワルダーは悩んだまま、少女の前では善人を演じるしかなかった。それだけの話かもしれない。ワルダーのよさもゼロワンは勿論、ビジンダーも、ミサオ、ヒロシ、アキラも、ハカイダーでさえ、認めているところである。
知らないのは本人だけなのである。ゼロワンは彼は倒してやることが一番の幸せと思って彼と戦いづづけたのだろう。人間は悩むことが生きることなのであるのだから。
この話の桃子はある意味『キカイダー』のミツ子さんに似た、理想的な言動をとる為、殺伐とした『ゼロワン』らしさがなくなり、一部の『ゼロワン』ファンからは不評であるが、『キカイダー』ファンである私としては、『ゼロワン』では最も好きな回である。
しかし、桃子にせよ、ビジンダーにせよ、誤解はあったにせよ、善意で彼のよさを引き出そうとしているのは事実だ。悪い奴ほど褒めることが大事だからだ。近年の教育も、褒めることから始めなければならないといわれているではないか。また、桃子も、ビジンダーも本当にワルダーの人間性に惹かれているのは事実だ。だから、介抱したし、ビジンダーは文通までして心を確かめ合ったのだ。
良はどうか。やはり、他の『帰ってきた』のゲストの少年同様、あまり、褒められたことのない人物ではないだろうか。それを理解していたのは恐らく、少女と、おじさんだけだったのかもしれない。
良と、その正体かどうかわからないメビウス星人ビオの接点は視聴者には判別できない。
だが、お互いが知り合いであり、旧知の仲であることは園長の口からはっきりする。
そして、園長やその教え子が自分たちが助かりたいから自分を説得したり、傷の手当てをしたりしたのではない、裏心のあるものではないことを推し量る事はできたのである。
また、自分を撃ったリュウの言葉すらも。・・・・。そして、今の地球が30年前とは違う人間の住む星である事も。リュウは語る。
「俺にこんなことをいえた義理はないが、信じてみる価値はあるんじゃないか」それは自分が助かりたいが為に発した台詞ではないはずである。傷つけておきながらも精一杯彼なりの誠意を見せた言葉である。
その心の隙がなければ、ゾアムルチにメビウスは勝つことができなかったであろう。
怨念の象徴であるゾアムルチはメビウスではなく、人の持つ良心という可能性に敗北したのだ。「握手は次の機会にする」とメイツ星人ビオは去っていった。『だが、もし、この次来る時もこうだったら、今度こそ友好はむすべない』と彼は去っていった。混沌とした世相の中に光を見出す主旨をテーマとする『メビウス』らしい作品ではなかったであろうか。
この星も30年後にはもっと進歩しているのだろうか。……
この話を見せたとき、八木監督は上原さんに「いい話を作りましたね」といわれたそうだ。(『ウルトラマンメビウスアーカイブドキュメント』朝日ソノラマより)上原さんはまだ、希望を持っている72歳の老人なのである。
 しかし、我々の現状はどうであろうか。日本そのものは戦争を起こしてはいないが、世界の各地で戦争は終わっていない人類。日本を狙う北朝鮮。独裁者は、いつの世にも存在する。それで金をもうける軍事産業。中東、中国問題。いつ戦争が起き、犠牲者が出るやも知れない世界。また、内出血のように自殺する日本人の人々、汚職政治家、きれる若者。実際の人間の本質は、戦前から進歩しているとはいえるのか疑問である。