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もし、そうだとすれば、良が唯一に近く、気を許した、地球人は彼女だけだったのかもしれない。しかし、少女もその母親も優しさはあっても非力であった。大局を動かすだけの力はなく、市民Aとして動かざるをえない。戦争がおきたら、ただの難民になるしかない人物である。しかし、少女は良を、メイツ星人であるおじさんを失った後の良を良く知っていた。何故か、良は少女には本音を話していたのである。そう、我々はあの話に出てくる良しか知らないため、良にこんな面があることを知らなかったそれだけの話かもしれない。しかし、おじさんの復讐に燃えた良は、その余裕があったのであろうか。いや、復讐という空しさに疲れた時、少女と知り合ったのかもしれない。良はもともと、いじめられっ子の資質はあるが、優しさを持つ男である。そんな不器用な良に問答無用に攻撃を加える大衆。・・・・大衆にも罪もある。良以上にある。その大衆の罪を一手に引き受けた良はイエスキリストなのではないかと思わせる。
『キカイダー01』(73)の41話『天下無敵!空中戦艦撃破!』で少女桃子(ももこ)(柿崎澄子)はワルダーに語る。『ワルダーさんはいいひとよ。』しかし、ワルダーはゼロワンを殺すために現れた殺し屋ロボットである。しかし、また、やさしさも持つロボットである。その矛盾を少女に指摘され、悩むワルダー。しかし、少女はいい人だと知っていた。何故なら、悪い人なら、私に危害を加えるはずだ。ワルダーは悩んだまま、少女の前では善人を演じるしかなかった。それだけの話かもしれない。ワルダーのよさもゼロワンは勿論、ビジンダーも、ミサオ、ヒロシ、アキラも、ハカイダーでさえ、認めているところである。
知らないのは本人だけなのである。ゼロワンは彼は倒してやることが一番の幸せと思って彼と戦いづづけたのだろう。人間は悩むことが生きることなのであるのだから。
この話の桃子はある意味『キカイダー』のミツ子さんに似た、理想的な言動をとる為、殺伐とした『ゼロワン』らしさがなくなり、一部の『ゼロワン』ファンからは不評であるが、『キカイダー』ファンである私としては、『ゼロワン』では最も好きな回である。
しかし、桃子にせよ、ビジンダーにせよ、誤解はあったにせよ、善意で彼のよさを引き出そうとしているのは事実だ。悪い奴ほど褒めることが大事だからだ。近年の教育も、褒めることから始めなければならないといわれているではないか。また、桃子も、ビジンダーも本当にワルダーの人間性に惹かれているのは事実だ。だから、介抱したし、ビジンダーは文通までして心を確かめ合ったのだ。
良はどうか。やはり、他の『帰ってきた』のゲストの少年同様、あまり、褒められたことのない人物ではないだろうか。それを理解していたのは恐らく、少女と、おじさんだけだったのかもしれない。
良と、その正体かどうかわからないメビウス星人ビオの接点は視聴者には判別できない。
だが、お互いが知り合いであり、旧知の仲であることは園長の口からはっきりする。
そして、園長やその教え子が自分たちが助かりたいから自分を説得したり、傷の手当てをしたりしたのではない、裏心のあるものではないことを推し量る事はできたのである。
また、自分を撃ったリュウの言葉すらも。・・・・。そして、今の地球が30年前とは違う人間の住む星である事も。リュウは語る。
「俺にこんなことをいえた義理はないが、信じてみる価値はあるんじゃないか」それは自分が助かりたいが為に発した台詞ではないはずである。傷つけておきながらも精一杯彼なりの誠意を見せた言葉である。
その心の隙がなければ、ゾアムルチにメビウスは勝つことができなかったであろう。
怨念の象徴であるゾアムルチはメビウスではなく、人の持つ良心という可能性に敗北したのだ。「握手は次の機会にする」とメイツ星人ビオは去っていった。『だが、もし、この次来る時もこうだったら、今度こそ友好はむすべない』と彼は去っていった。混沌とした世相の中に光を見出す主旨をテーマとする『メビウス』らしい作品ではなかったであろうか。
この星も30年後にはもっと進歩しているのだろうか。……
この話を見せたとき、八木監督は上原さんに「いい話を作りましたね」といわれたそうだ。(『ウルトラマンメビウスアーカイブドキュメント』朝日ソノラマより)上原さんはまだ、希望を持っている72歳の老人なのである。
 しかし、我々の現状はどうであろうか。日本そのものは戦争を起こしてはいないが、世界の各地で戦争は終わっていない人類。日本を狙う北朝鮮。独裁者は、いつの世にも存在する。それで金をもうける軍事産業。中東、中国問題。いつ戦争が起き、犠牲者が出るやも知れない世界。また、内出血のように自殺する日本人の人々、汚職政治家、きれる若者。実際の人間の本質は、戦前から進歩しているとはいえるのか疑問である。