年末シリーズ!① 1年間を振り返って ~離婚~ | 【栃木宇都宮】助産師・セラピスト&いのちと性のメッセンジャー 上田美和の和ごころひといき村

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「ここからいふ広場」主宰&「和ごころ助産院」院長 自然派助産師上田美和が宇都宮周辺の自然派育児の情報やイベント、妊娠出産や育児に役立つ情報を発信しています!

ありのままで愛されて

愛を学び 育んで生きていきたいあなたへ

 

クローバー

 

宇都宮市 雀の宮にある
こころ からだ らいふの学び舎
「ここからいふ広場」にて
和ごころ式セラピーと

生(いのち)と性のお話をしています。
助産師でセラピストの上田です。

 

ピンク薔薇

 

クリスマスが過ぎると

あっという間に年末ムードですね

 

さて、年末だからこそ!の

ここ1年間の振り返りをさせていただこうと思います

 

今年2018年は、

「神人さん」ではじまり、

明日の「いのちのお話」と
明後日の「和ごころ式セラピー」
で終わりを迎えようとしています。


さて、表題は
[①1年間を振り返って~離婚~]

ですが・・・。

どこから話そうか・・・。

 

まずは、私の人生の転機となった
2011年の東日本大震災
 

その震災後の混乱中の4月に

宇都宮に引っ越してきました。

 

このときの引っ越しは

九星気学でいうと「一白水星」の方角で

吉方位をとったのですが、(後からわかったのですが・・)

この一白をとった(吉方位を)後の傾向として

最初に、ド~ン!!

 

と、落ちるゲロー

 

 

っで ・・・

 

 

本当に落ちました。

 

 

何が一番落ちたかというと

 

「パートナーシップ」汗


でした。

 

私が学生の頃に出会ってお付き合いがはじまり

一旦は、彼に好きな方ができたとのことで

別れていた時期があったものの

その後、またご縁が戻り、

最初にお付き合いしてから7年目に結婚。

 

結婚と同時に家を購入したので

結婚式はなし

結婚指輪もなし

 

結婚した当初

彼はやりたい仕事の資格をとる勉強をしたい

と、専門学校に通いつつバイトしていたので

お金もなかったし・・・

 

それでも、ご飯を作って

掃除や洗濯もしてくれたりして

私にはとても優しい彼でした


そして、こちらに引っ越してくる前は

上の子が産まれる帝王切開に立ち会ったことを

 

「立ち愛出産」

 

とまで言ってくれていた彼が

 

 

宇都宮に来た途端

 

「オレサマ!」夫に変身したのです叫び爆弾

 

(人間小金を持つとなにかが変わるのでしょうかね?)

 

きっと、自分がなりたかったもの

やりたかったことがあったのに

 

志半ばで、彼の実家の事業を

継がなければならなくなったこと

 

今まで自分がやってきたジャンルとは全く違う業界で

 

いきなり会社のトップとしての

役割を果たさなければならなくなったこと

 

それはそれはきっと、想像以上に

大きな大きなプレッシャーとして、
彼にのしかかっていたのではないかなぁと思いました。

 

なので、かなり理不尽なキレかたをされても

どこに怒りスイッチがあるのかわからなくても

 

とりあえずその場をしのげれば・・・

という対応をして、彼の怒りが収まるのを待つという日々を過ごしました。

 

でも、そのうちに彼の車が帰ってきた音がすると

子どもたちが気を利かせて

ササッと布団に入って寝たフリをするようになりました。

 

きっと、私が車の音に反応して

ビクッとしていたのを彼らが感じていたのだと思います。

 

まだ上の子は年長、下の子は1歳になったばかりだったのに・・・。

 

 

今にして思うと、こんなに小さい子どもたちでも

ちゃんと母の気持ちを感じ取ることができていたのですよね。

(彼にはわからなかったのに・・・。)

 

それほど、私にとって彼の存在は

その時すでに「恐怖」でしかなくなっていたのです。

 

この時期に撮った家族写真を今見返すと

ぎこちない距離感やぎこちない笑顔なものばかり

 

私や子どもたちはこちらに来たことでなにか変わったか?

というところでは、なにも変わったことはなかったので

本当に、彼の変化に戸惑いを感じていました。

 

そのような混乱の中、慣れない土地で、

友達も全くいない中で、相談できるような内容でもなくて

 

それでも毎日の育児や、彼の会社の事務仕事を手伝ったりで

毎日は怒涛のように過ぎていきます。

 

私がなにか悪いことをしているから

彼の機嫌が悪くなるのだろう・・・


彼も慣れない仕事やプレッシャーと戦っているのだから、
私も頑張らないと!と思っていました。

 

そして、彼が今の状況に慣れてきたら、そのうちきっと

昔のような優しい旦那さんでパパに戻る日が来るだろう・・・と。

 

でも、そうなることはなかったのですが・・・・。

 

直接、暴力を振るうことはなかったにしても

子どもたちの前で、私やお義母さんに対して

大きな声で怒鳴ったり、暴言を吐いたり

 

「おまえができないから!」

「おまえ馬鹿なんだろ!」

「常識がないんだよっ!」

「はぁっ???」

「全っ然!人の話聞かないよなっ!」

「全っ然!直そうとしねーし?」

「自分が正しいと思ってんだろっ!?」

「死ねば???」

 

こんなことを毎日毎日聞かされていました。

 

だんだん家に居たく無くなってきた私は

彼の会社の仕事だけでなく(自営なので、職場が自宅)

今まで都内でしていた自分の助産師としての仕事をし始めました。

 

出張での母乳相談やケア

クラニオセイクラルセラピー

いろんなイベントやワークショップにも顔を出すようになりました。

全く知らない土地で、友達もいなかった私でしたが

少しずつ横のつながりが増えてきて

楽しくランチを一緒に食べられるような仲間もできました。

 

上の子が学校に上がりPTAが始まると

あれよあれよと執行部をやることになり・・・

PTAの会議はどうしても先生たちの仕事が終わった夜になるので

時々夜出かけるようになったりもしました

 

と、こんな感じで

家に帰りたくないサラリーマンのような生活をするようになった私。

きっと、彼は面白くなかったのでしょう。

さらに、訳の分からない怒りスイッチが入るようになりました汗


 

そして、それまで比較的、味方というか同志(彼に怒鳴られる?)だと思っていた、お義母さんからも、いろいろ言われるようになりました。

 

 

ある日、お義母さんから夜遅く帰ったのを怒られた私

(PTA仕事のためですよ?)
それを見ていた下の子(その時は5歳)

 

「もういいよ。ママ行こ?」

 

と、私の手を引いて二階に上がってくれました。

 

元々、お義母さんは子どもが苦手なのかな?

というところがあったので、そもそも下の子はあまり懐いていなかったのですが、その件があってから、ますます懐かなくなりましたぼけー

(今もそれは変わらず・・^^;)

 

家の中に、頼れる大人の味方がいなくなったことで

私は、ますます孤立していきました。

 

そのうち、子どもの行事や習い事にも顔出さなくなってきた彼

 

私は、というと、ありがたいことに

少しずつご縁が広がって

あちこちから仕事をいただけるようになり、

2015年に今の「ここからいふ広場」を開設することができました。

 

 

結局、最後の一年は作った夕飯も食べてもらえなくなり

こちらも作らなくなり・・・

 

会話もなく

なにも突かれないように

失敗しないように

気をつけているつもりでも

なにかにつけて怒られたり怒鳴られたり・・

 

一番辛かったのは

「死ねっ!」

という言葉

 

それに、子どもが可愛がっていた生き物に対するひどい仕打ちも

決して忘れることはできません。

 

結果、それが子どもにとっても、私への直接的な暴力を見たことよりも、彼から離れる決心をさせたように思います。


上の子の「ママ、もう(離婚しても)いいよ」

という言葉を聞いて

 

2017年の7月 離婚することになりました。

 

19歳で出会って22年。

結婚してから15年でした。

 

 

「喧嘩両成敗」

 

という言葉があります。

 

きっと、彼には彼の正義があったのでしょう。

 

私にも私の正義がありました。

 

どちらが悪いというのは、今にして思えば、それが運命で、きっとそうなるようにしかならなかったことを踏まえると、やはりどちらも悪いし、原因はひとつではなく、いろんな要因があったのでもう仕方のないことでし、さらにいうと、もうどうでもいいです。

 

しかもこれは、私が子どもの頃に、両親から植え付けられていたインナーチャイルドが、それを乗り越えるために、現実化してくれていただけであった☆とさえ、今は感謝すら覚える怒涛の6年間でした。

 

そんなことがあった私ですが、今はもろもろ幸せな日々を過ごさせていただいております。(こちらはまたのちほど)

 

それに今は、彼にも彼女ができたようです。笑

 

今度の彼のパートナーシップが

彼やお義母さんが望むような形になると

良いなぁ~と思っています。

 

 

さて。

 

今、ご主人やパートナーの方から理不尽な扱いを受けている方がいたら、私からひとつアドバイスさせてください。

 

パートナーの暴言や暴力に関しては

きっかけになる なにかがこちら側にあるとしても

それが、相手の尊厳を失わせて良いほどの暴言や暴力をしてもよい!という理由には決してならないのです。

 

私たちが、言われたことをいくら直そうとしても

根本的な原因はそこには無いので

ほぼ無駄な努力に終るでしょう。

 

「暴言を吐く」

「暴力を振るう」

 

心の奥底には

それが「正当」である!

と、認めてもらいたい!

「承認欲求」が隠れている事が多いのです

 

私の元夫は、まだ実家にいた頃

お義母さんにとって

「大人しい、いい子」だったようです。

 

それを聞いていた私は容易に

「この人は、今になってやっと反抗期しているんだな」

と、思いました。

 

なので、本当に甘えたいときに甘えられなかった

わがままを言いたかった相手(お母さん)にお返ししました。笑

 

今、あなたがとてもひどい仕打ちをされたり

暴言をはかれたりしても

その人と一緒にいるのはなぜですか?

 

「子どものため」

という、方は多いでしょう。

 

私の母もそうでした。

 

でも、それはそれで

子どもにとってはいい迷惑なのです。

 

大好きなお母さんにひどい言葉を投げつけるお父さんの姿

それに泣きながら耐えるお母さんの姿

私は、最後の方にはパニックのような症状も出るようになり

彼の車の音だけで心臓がドキドキしてきて

息ができなくなりそうになっていたので、

そんな私(母)の苦しそうな姿を見ていたあのときの彼らは

どんなにか辛かったことでしょう。

 

鬼のような形相のお父さんと

優しい顔をしたお父さん

どちらも見つづけていると

大好きなお父さんだったはずなのに

いつしか

いつ自分もああやって怒られるかもしれない

と、怯えながら

気を使いながら

嘘つきになっていかざるを得なくなるし

人を信じることができなくなっていくようにも思います。

 

 

「子どもは「模倣」なんだよ。」

 

 

と、ある尊敬する幼稚園の園長先生がおっしゃっていました。

 

暴力はもとより

暴言だって立派な人権侵害であり

精神的な暴力です。

 

子どもたちに、そのような親の姿をみせることは

暴力や暴言を容認し

また、それには耐えなくなてならない、と

学習させているのと同じで、

いつの日かそれを模倣するようになるかもしれません

 

 

だから、そのような仕打ちからはきっぱりと

卒業しましょう!!

 

そのパートナーがいなくなっても

自分で自分を諦めない限り

あなたはきっと立ち直れます!

 

私もそうだったから。

 

そして、人の痛みを知っている分

 

人とのご縁を大切にし

優しくなれる

 

目の前の人を大事にしようと思えるようになります。

 

 

今、自分が自由に息ができること

 

住むところがあって

 

愛する子どもたちに生きて会えて

 

毎日目が冷めて

仕事をして

とりあえず生きる

 

そうしているうちに、

そのうち笑っている自分に気づくのです。

 

そして、もっと素敵な出逢いがあったり

自分の生きる意味

自分の役割に気づく人もいるでしょう。

 

 

自分の心が悲鳴を上げ始めると

カラダのどこかに必ず症状がでてきます。

 

 

膝の痛み

喘息

肩や首のこり

人によっては病気として

そして死んでしまうこともある

 

 

あなたが死んでしまったら

困るのは誰ですか?

悲しむ人は誰ですか?

 

誰もいないということはないですよね。

自分が一番困るし

悲しいし

くやしいでしょう?

 

 

そこから「離れる」

 

今、それだけでものすごい勇気がいる!

という人もいるかもしれません。

 

 

でも、自分を今の状態のまま

自分の人権もないような状態に置いておきたいですか?

 

 

あなたは幸せになっていいのです。

 

 

あなたはもっと自分を表現してもいいのです。

 

 

そんなことを気づかせてくれて

今の私を作る大きなステップupを

見えない世界から助けてくれたのは

「神人さん」

でした。

 

2017年の3月に始まった!

福島での神人さん講演会シリーズは間違いなく

私の人生を大きく変えていく出逢いとなりました。

 

 

長くなりましたので、今日はここまで

1年を振り返ってシリーズ ① ~離婚~

 

ついつい長くなってしまいました。

申し訳ありませんでした(T_T)

 

そして、ここまで長い文章をお読み頂きましてありがとうございました

 

続きはまた~