個別の就労支援計画や就労支援の質の議論が盛んになっています。また、「経験豊富な支援者」がスーパービジョンを行うという仕組みも検討されているようです。どうもすんなりとイイネと落ちません。

その理由は支援には「生存者バイアス」が潜んでいるように感じるからです。生存者バイアスとは、なんらかの選択過程を通過した事象のみが基準となっているというバイアスの一つです。(一部引用:ウィキペディア)

支援者は自分が担当した対象者しか知りません(経験していません)、当たり前ですが・・。対象者が就労支援の窓口に来た時点で実は既に多くの選択過程を経ています。先ずその地域に住んでいる人、自分の障害を知っている人、窓口を知った人、利用しようと思って行動に移した人、たまたま自分の担当になった人、最後に自分がたくさん担当したうちの思い出深い一人がその人です。そうなると全体の中では限られた集団ということになります。そこから全体を語るにはややムリがあります。

 

かなりの生存者バイアスがかかっていることがわかります。

さらに、その支援が上手くいった支援でしょうか。実は支援以外のとてもたくさんの要素が複雑に絡み合って結果となっています。はたして一般化は可能でしょうか。また、上手くいったのはいつの時点での評価か1年後・2年後・5年・10年でしょうか。最後に心配なのは、自分もそうなのですが、ベテランになるほど自分の支援手法を上塗りすることで核心になってしまうことです。(自分基準の見え方になってしまいます)

このバイアスは就労支援や福祉分野に限らずどの分野でも存在します。変化が少ない安定した時代では変数が少なく、まだ成功体験として一般化することはできたかもしれません。しかし変化の時代にはむしろ生存者バイアスはマイナス面とに作用します。昔の強みは弱みに、うまくいったことはうまくいかなくなります。(個人的には若干、「アセスメント」の議論でマイナス面を感じます)

このバイアスから逃れためには支援者はどうあるべきでしょうか。常に時代に最適化し変化し続ける就労支援者とは、そしてスーパービジョンとは・・

そんなことを考えながら、明日も晴れますように。