仄 -7ページ目
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幸福日記

今日は奈良の友人の家に遊びに行きます。七時に起きて恐ろしいほど濃いココアを飲みましたがおいしかったです。支度して京都駅に着いたらおそらく月経が近いのか少しも腹が減らないにも関わらず中華料理店で牛スジラーメンをいただきましたがおいしかったです。売店の化粧品売場のテスターで舞妓はんの赤いアイライナーを引いていたら発車しそうになり走って電車に乗り込みました。/午前

距離

基本的に自分以外を嘲笑っているのですが、敬うことも忘れません。

悪臭

世界。しかしくだらない。熱を持つに値しない。等ということ常に思い、常に正直にそれに従い、泣き、死にたいと思いました。文化は需要があるから発生しました。
のうのうと生きている人間はくずにも及ばない低能だと思いました。
今はのうのうと生きることができます。気持ち良いです。でも自分をくずだと思いません。世界で一番僕が好きです。
真に辛いと感じることというのは極少なく、またそれを避けられないときこそ自害が好ましい方法です。
最もな表現をします。好奇心により生きています。超くだらないことに、超くだらないからこそか、興味が持てるのです。
くだらなすぎて虚しくなることはない。絶対的な存在の自分という拠り所があります。帰るところがあるから安心です。
ところで夜が明けたら割と近くの県に住む友人の家に小旅行をします。友人はつきあいの深いも浅いもこだわらず、とりあえず持つのがいい。

んー簡単に言うとぉ

だからなんなのばっかりだったら独りぼっちになっちゃうってこと。独りって寂しいわよぉ。この芸術が素敵だとか話す相手がいるってのはいいことよ。そいでは私は今から絵を描くことにするわ。

今頃

達観したら冷笑主義に走り虚無主義に撤すれば自殺に走ります。空虚なこと忘れるくらいに依存しないと生きるの辛いでしょう。目標無くても生きれるって、無理して生きてどうするんですか。死ねば好いじゃないんですか。誰に泣いてほしいんですか。だからなんですか。合理主義もまた道徳を否定しますね。人に死ねよと。

2005/11/15

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ブルーベリージャムって綺麗な色をしていたのですね。血色は素敵だと思います。しかし血には好い印象がありません。だから嫌いです。血なまぐささは不快で、とにかくそのものが不潔です。注射のときには血管の浮き出ない身体のせいで何度も針を刺されるので痛いです。

黒煙

動き、考えていた人が運動も思考も停止し急速に変化する、例えば肉は腐るか燃やされ今まで見えていなかった骨が露になったとき、これがあの人であったという事実を目前にして涙を流さずにいられるだろうか。宇多田ヒカルと奇遇だった。今日偶々見たテレビ番組で彼女は、今まで自分を情の無い人間だと思っていたが最近は涙腺が緩い、というようなことを喋っていた。私も今までは涙腺がつまっているのだと思っていた。それがこの頃一気に溢れてしょうがない。上に書いたことについて、涙を流せるのは生前何らかのシンパシーを感じた方に限るのは当然だろう。ある人を全く理解のできない場合はそれを別の生きものだと、あえて言えば飛んで火に入る虫のような生きものだと認識する。意識せずとも人を選び蔑んでいるものだ。生家にはヒト以外に犬がいるが、ヒトの誰が死のうとも、その犬が死ぬときほど悲しむことは無いかもしれない。

定食

免疫の程度が低い私が軽いも重いも一ヶ月に一度風邪をひくと必ず声は1オクターブ低くなります。この生理のような現象を私は密かに楽しみにしています。あまり声を出し続けるとむせ返り、所々高く裏返るのですが、自分の声に半ばうっとりとしてしまっているのです。普段のこもった気持ち悪い声とはまったく違った太く通る気持ち悪い声です。この気持ち悪さが欲しいのです。

ハッピーウエディントゥカージン

まあ生理が来ませんか。出来ちゃったみたいですか。おめでとうございます。さするとあと十ヵ月、三百日、七千二百時間もすればこの気持ち悪い穴から気持ち悪い声をあげて気持ち悪い容態の生命がぎちぎちと誕生してくるということですか。おぞましいですね。いいえ出産のみを指して言っているのではなく生命の排出に携わった全てがおぞましいと言っているのです。悲しいものを創って祝福するという風俗に涙を流したいと思います。

トイレ

美意識は大切にしたいものです。美しく心地よいと感じるもので周辺を飾り生活することが目的です。時に自虐により恍惚とすることができましたが今のところそれは排除の方向に進んでいます。○○○○に一体何が理解できるというのですか。××××は幸福にしてくれるのですか。また自殺を強く思ったときにはその時点で確実に実行しておくほうが幸福ではないですか。あの時に死んでいなくてよかったと考えることは皆無であり、もしそう感じたとしてもそれは耐えかねた脳髄が故障してイかれてしまっていると思うのです。私の発言は自殺幇助に当たりません。これを真に受けて自殺する人はおそらく切っ掛けを欲していてこれを理由にするのだから理由を私に限らなくてもいいのです。単純化できるとすれば死に向かう=弱く劣悪な生命の図式で、散々言われてきたことではありますが自然淘汰という流れです。

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