姓名判断という占いも、占いの分野では中心的な存在ですが、流派を間違えると我々の人生に於いては何の判断材料にもならなくなります。また、そこにはセンスも問われます。
昔から姓名判断は的中率が低いと言われてきましたが、流派により全く違う判断ができます。通常の姓名判断が50-70%の的中率に対して、ある流派90%以上と言えばどうですか?極めれば95%以上です。
当たらない姓名判断が多く存在するのは、姓名判断にも多く流派があり、その内容に比例せずにどの流派も自己主張していて譲らないことです。
姓名判断だけでの長年の研究がなされずに、他の占いと併用しているなどでその奥を極めていないなどが大きな原因にもなっています。姓名判断では、姓名判断のみでの的中率を極めていくべきです。
占いの基本は流派ではなく的中率です。的中率が低い流派が自分のところが歴史が長く、多くの方々に指示をされていると言ってもそれは何の役にも立ちません。
ところで、易学に対しての揶揄した表現に「当たらるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉がありますが、これは当たらない占い師に対して言っている言葉であり、八卦に対しての言葉ではありません。易学も流派によりその的中率はかなり高いのです。
占いも極めれば、霊感・霊視に匹敵する位の的中率を誇ることはできます。しかし、一部の流派に限られます。
だったら、どこの流派なのですか?と言った質問が返ってくると思いますが、自己主張激しく反論される流派の方も多いので、ここで敢えて申し上げません。お知りになりたい場合は、電話鑑定等でご質問下さい。
※姓名判断は人を幸せになるための判断材料として使用するのは正しい選択ですが、特定の誰かを注目の対象としてYouTubeなどで明らかにすることは、占い師の世界では決して許されることではありません。(出典)