生きる姿で勇気を与える | 思考を文字化して人生の主導権を取り戻せ!

思考を文字化して人生の主導権を取り戻せ!

あなたは人生の主導権を自分で握っていますか??知らぬ間に奪われてしまった主導権は、思考を文字化することで取り戻せます

小学校時代に、
筋ジストロフィー症という
重い病気にかかった方がいました。

その方は、病気があることで、
学校に行くのをいつも嫌がって、
お母さんを困らせていたそうです。

しかし、ある時から
毎日喜んで学校へ行くようになりました。

なぜなら、自分を毎日背負って
学校へ連れて行ってくれる友達と出会ったからです。


その友達は野球をやっていて、
自分は放課後に野球をしている
その友達の姿を楽しそうに眺めていたそうです。


どんなに練習が厳しくても、
疲れていても、必ずその友達は
練習後には背負って、
自宅まで連れて帰ってくれました。


その友達は学校だけでなく、
遊ぶ場所にも自分を連れて行ってくれました。


雨の日には、濡れるからと、
リヤカーに乗せてくれました。


小学校を卒業しても、大人になっても
付き合いは続き、友達は野球を続け、
甲子園には出場できなかったものの、
大学で大活躍し、ドラフト1位で
プロ野球選手に。


プロの世界でも大活躍し、
その功績もあって、
あるチームの監督に就任。


一方で、その方の症状は進んでいて、
残念ながら41歳という年齢で
短い生涯を閉じてしまいました。


その年、優勝争いをしていた友達に、

「がんばってくださいね。
 優勝して下さいね。
 ボクはいつも見ています。」

と、話していたそうです。


亡くなってから2週間後、
その友達は見事にチームを率いて優勝!!


優勝後、亡くなったその方を見舞った彼に、
その方のお母さんは、

「息子が41歳まで生きて来られたのは
 あなたのおかげです。

 息子はいつもあなたの活躍を見て、
 夢と希望をもらっていたんです。

 息子にとって、あなたは同級生で、
 そして神様だったんです。

 息子は短い人生でしたが、
 きっと幸せだったと思います。

 感謝しています」

と、お話されたそうです。


先ほども書きましたが、
その友達は、甲子園には出場できませんでしたが、
大学では一年生から一軍メンバーとして活躍し、
2年次には、ノーヒットノーランも達成。

その活躍が認められて、
ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。

1974年には、初代最多セーブのタイトルと、
沢村賞を受賞するとともに、当時9年連続日本一の
巨人の10連覇を阻止。

1983年に引退し、1986年末に中日の監督に就任。

2年目のシーズンとなる1988年に監督初優勝。

その後は、中日、阪神、北京オリンピック代表の
監督を務め、2011年に楽天の監督に就任し、
今年、選手としても監督としても、
初の日本一の栄冠を手に入れたのです。


その友達とは、、もうお分かりですね。
星野仙一監督です。


星野監督は幼いときにお父さんを亡くし、
恵まれない生活をされていたそうです。


野球で使っていたグローブも、
いつも借り物で、お母さんが苦労して
グローブを買ってくれたときには、

「これで借りないでも野球ができる!」

と喜んだそうです。


そんな状況でも障害を抱えていたその方に
尽くすことができていたのは、
その当時から、元気で野球のできる幸せを
実感していたからではないでしょうか??


星野監督は、自分にできることを
必死に頑張ることで、
その方に生きる勇気を与え続けたんですね。


星野監督のように、
出会う人たちに、
生きる勇気を与え続ける
2人の講演会。

この話に共感してくださる人には、
絶対に聴いて欲しい。

2人の肉声対談をプレゼントしてますので、
ぜひ覗いてみてください。


(出典:大切な人に贈りたい24の物語 中山和義著)