こんにちは
佐藤優樹です。
先日、YouTubeを視聴していたら、ある経営者さんがこんなお話をしていました
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私の顧問弁護士はすごく有名な方で、テレビにもよく出演していてリアル裁判は全部勝つ方です。
その方が仰っていました。
『僕はいくつも裁判を勝ってきましたが、勝った人って、必ずそのあと不幸になるんだよね』と。
これが真実ですね…
何かに直面したときに、戦う、逃げる、受け入れる
という選択があるけれど、その中でも受け入れるという選択をした人はご褒美がくるんだよ。
===ここまで==================
このお話を聞いて、同感だなぁと思いました。
「リアル裁判は全部勝つ弁護士」
「裁判に勝った人は必ず不幸になる」
というのは、少し誇張された言い方かも知れませんが、
経験を積んでたくさんの方を見てきた方は、やはり一定の法則が見えてくると思いますし、
そんな敏腕弁護士さんが仰る「裁判に勝った人は必ず不幸になる」という言葉には、重みがあるなーと思います。
それを今日は私なりに解説させていただきますね。
裁判って、勝ちたいから訴えるのだし、被害に遭ったことを泣き寝入りするのも良くないです。
今後の人生のためにも、何かの保障は必要だと思うので、訴えること自体は悪くはないと思っています。
それこそ、それまでの常識を変えるような「必要な訴え」もありますよね。
1992年、アメリカで高校に留学していた男の子が、ハロウィーンでの訪問先を間違え別の住宅の玄関をノックし、「フリーズ(動くな)」と言われたものの意味が分からず動いてしまい発砲され亡くなった、という事件がありました。
ご両親はアメリカでの銃規制を求める嘆願運動を開始して、日米合わせて200万人分の署名を集め、クリントン米大統領との面会も果たしたそうです。
お子さんを失った悲しみに潰されず、大きな動きを起こしたことって、誰にでもできることではないですよね。
息子さんの命は戻らないけれど、二度と同じようなことが起きて欲しくない…悲しい気持ちになる人を減らしたい…という行動によって、世界に影響を与え、それにより救われた命もきっとあったと思います。
ですから、訴えること自体は悪いことではないって思います(^^)
ただ、前述の「私も同感だなぁ」というのは、
カウンセリングでなかなかトラブルが解決しない方が、「争いの心が多く、起きた現実を受け入れない」「ルールを破ったり、周りの人をなぎ倒してまで自分の幸せを求める主張をする」という傾向にあり、
それで裁判までに発展しているから、なんです。
「起きた現実は周りのせいだ」と思っていて
「自分に何かしらの種(原因)がある」と気が付いていない状態で裁判に訴えたなら、それは当然うまくいきません。
長引きますし、ご本人も疲弊します。
そういう時に「勝っても不幸になる」のだと思います。
一見うまくいっても、後から学びの時間が、
ためこんだ宿題とともに届くというわけですね。
敏腕弁護士さんが仰る「裁判に勝った人が必ずそのあと不幸になる」というのは、
「起きた現実は誰かのせい!と思ったまま無理やり勝ってしまった方が不幸になる」ということなのだと思います。
「私は悪くない」と思うことって、誰でもあると思うのですが、その状態で裁判で戦うと、ある「とってもこわいこと」が起こります。
それは
「私は悪くない、私は悪くない」という思いが大きくなってしまう
「省みる心が閉じてしまう」ということです。
言い方を変えると、被害に遭ったという確信を深めていき人のことがゆるせなくなり、主張を引っ込められなくなるということですね。
実はこれがとてもおそろしいこと。。。
ときどき、裁判中の方からご相談いただくことがあります。
私のアドバイスというのは、裁判の実務的な部分では勿論なくて「見えないマインドのこと」になるわけですが、
自己肯定感や心の深い傷などもみていった上で、ときには、
「その主張をするのは
もうおやめになった方がいいですよ」
「そのお金は、諦めてみた方が
今はよろしいんじゃないでしょうか」
と、一歩踏み込んだアドバイスさせていただくことがあります。
(※全員に同じではないです)
クライアント様からすると
「え、なんで!?」
「あなたは私の味方じゃないの?」
「勝たせてくれないの?」
「言われてる意味がさっぱり分からない…」
と思うことかと思います。
確かに、そうですよね。ウン百万を諦めるよう言われてハイ分かりましたと言える人はそういないと思います。
でもね、そのかたは
それをする必要があるんですよ。
前後のお話を紐解いて、広い視野でみていくとね。
その瞬間は頭に血がのぼって、偏ってしか見えなくなっているんだけれど、一見とても損に見えるような行動がその人にはものすんごく必要なんです。
その理由を、少しずつ分かりやすくお伝えしていきます。
すると、
「あ、そこについてはまったく見えていませんでした…気付かないまま進んでいたらヤバかったですね…(>_<)」
と、声のトーンを落として何かに気付いていかれます。
もちろん一気にではなく、葛藤もありますけどね。
ちゃんと叶えたい!損をしたくない(`Δ´)!
なんで私ばっかり(`Δ´)!って葛藤しながらも、
あるとき、
「あ、私ばっかり被害に遭うと思っていたけど、違っていた…私のほうがずいぶんワガママで、人様に迷惑のかけ通しだった…」とハッとしていかれます。
戦いの心と、全身に入っていた力が、スーっと抜けていき、「人のせいの世界」から「人のせいのない世界」にシフトしていきます。
「自分のまいた種が大きく育ってそれを体験し
まさに刈り取っていたんだな…
今刈り取らなきゃ、のちのちもっと大きなことを通して、学ばされることになるんだよな…
そのときの損失はもう計り知れないな…
今までも、たくさんの方々に迷惑をかけてきたし、たくさんの方々にお世話になってきた…。
こんなに幸せがあったのに、自分で踏み潰すかのようにぞんざいにしていた…。
もう被害者ぶるのはやめよう。
同情されたり相手の悪口を言ってもらって、私の心の隙間を埋めるのはやめよう。
人のせいだと叫ぶのはやめよう。
自分のやるべき仕事を自分で片付けていこう。
自分をちゃんと直視して癒していこう。
無意識の強すぎる自己中をやめていこう。
遅すぎることはない。今から始めよう」
というように。。。
人のせいの世界って、実は 超・不自由なんです。
自分が悪者にはならないのでいっけん快適そうなんですけど、本当は「人から大きく影響されてしまう世界」なわけですからね。
「人のせいのない世界」というのは、つまりは「自分のせい」ってことになるので、いっときチクリと痛みはしますが、
A チクリ90・安心自信感謝自由10
↓
B チクリ50・安心自信感謝自由50
↓
C チクリ10・安心自信感謝自由90
というように、移行すればするほど割合が変化していくものなんです(^^)
Aのときは、自分のせいが90なのでグサグサですよね(✕_✕;)
自分のせいを見ることから逃げたくもなります。
けど、いったんトンネルに入って抜けた先には、ちゃあんとCの世界が待ってます。
Cの世界は「自分のせい」という表現より、「自分で創造できる世界」というほうが合っている気がします
でも決して、オラオラ系、ギラギラ系ではありません。
強くて、勝ってて何でも持ってる、だからもっと努力できる、だから幸せ❗というのとは違います。
「ミスしてしまった…けど、よし、気を付けよう!」
「ダメダメな自分…(T^T)でも、そんな自分をまるごと愛してゆるしていこう」
「あぁ、あの出来事のお陰で学べたなぁ。あの人のお陰で助けられたなぁ」
「こんな私でも、皆さんに助けられて生かされているんだよなぁ。有り難くて仕方ない…
世界はなんて優しいんだろう。
世界はなんて豊かなんだろう。
優しくしてくれた人がいたように、自分も思いやりを持とう。」
「いろいろあったけれど心の器が大きくなったなぁ。あれがなければ、もっとイヤなやつになっていたなぁ。
世界は本当に「自分にとって必要なこと」をたくさん用意してくれてるんだなぁ。
私はどんなときも見守られて幸せに導かれているんだなぁ。
やっぱりすべてはうまくいっているんだなぁ。」
って思える世界なんです(^^)
自分の弱いところもちゃあんと知ってる。
自分のダメなところもちゃあんと知ってる。
自分の失敗もちゃあんと知ってる。
誤魔化さず。責めずに。
謙虚にもなれて、人にも頭も下げされて
自分を愛して、赦して、まるごとの自分で生きている。
だから、自由なんです✨
人のせいのない世界は、その感覚が深くなれば深くなるほど「幸せにあふれたあるあるの世界」。
良いものがゲットできたから良かったぁ♪というのは、お子ちゃまの段階の「あるある回路」です。
怒られても自分のために怒ってくれたととらえられるとか、うまかいかなくてもそこでなにかを学んで少し先にうまくいく未来が待っていると捉えらえられるのが、大人の「あるある回路」です。
目に見えるものについ惑わされてしまう三次元の私たちですが、そのたびに目に見えない豊かさを見つける練習をしてるんですよね(^^)
それは、私は悪くない、私は被害者!って声を大にしているときはなかなか到達できない世界です。
そのときは、不安、焦り、恐怖、怒り、恨み、不信、否定感、絶望感、虚無感などが襲ってくると思います。
本当にしんどい…ですよね(T^T)
ナイナイ回路に引っ掛かってぐるぐる巻き状態なのですから。
でも、それもちゃあんと抜けられます。
冒頭の敏腕弁護士さんのお話で「受け入れるという選択をした人はご褒美がくるんだよ。」という言葉がありましたが、YouTubeで話をされていた経営者さんはこうも仰っていました。
「私も450万円騙されてしまったが、争わないで受け入れた。
すると別のところから500万円が入ってきました」と。
まさに、ですよね。
「あなたが悪い!弁償して」といわなくても、自分が現実を受け入れ肯定的に過ごしていたら、めぐりめぐってちゃあんと自分のところに回ってきたなんて。
いっけん不思議なことです。
でも本当は不思議ではなくて、自分の心があるある回路になって、それを世界に投げかけたから、それが豊かさとなってやって来たんです(^^)
豊かさというのは、愛、ゆるし、感謝のこと。
「愛されているんだ…
愛はあったんだ
ありがたいなぁ
もうゆるそう
もういいや
ゆるしても大丈夫だ
むしろゆるさないとバチが当たる
私はすでに幸せだなぁ♡」
そんなあるある回路になると、現実もちゃあんとそれにあった形に変化するんですね。
また人はそれぞれ、人生のシナリオが持って生まれてます。
課題も自分で選んできています(*^^*)
そんな課題のことはすーっかり忘れて、生活していますけれどね。だからこそ私たちは手探りで、右往左往しながら悩むんですが…そのぶん成長もしていきます。
自分の課題に気が付いてミッションをクリアすると、ちゃんとサインが現れます。
それは、「え?こんな奇跡が?」って思うようなことかもしれません✨
頑張らなくても何かに応援されるようにスイスイ進めることかもしれません✨
課題をクリアしたご褒美ですね(^^)
ただ、このご褒美はいただくものなので、無理やり取りに行くのはちょっと違うんですよ
頑張るのではなく、手放す
取りにいくのではなく、与えていただく
鼻息あらく現実を思い通りにしようとするのではなく、内面をととのえる
人のせいと外側を恨むのではなく、自分を愛したり自分を省みていく
180度違う方向です。
だから思い当たるかたは、取りに行くのをストップしてください。
知らずに頑張りまくってゲットしても、
そのあとに不幸になるなんて困りますからね。
内面をととのえると、勝手にご褒美がきますから✨
・自分は争いの心が多いかも…と思う方
・ネガティブな現実を頑なに受け入れたくないほうだと感じている方
・ルールを破ったり周りの人をなぎ倒して自分の幸せを求めきたかも…という方
・誰かを守るための訴えではなく自分のための訴えばかりしてきたなぁ…という方は、
ぜひ、手放すことを意識してくださいね(^^)
手放すというのは、
「それでよし」
「しゃーない」
「ま、いっか」
または
「当然のことだった」
「合点がいった😌」
などの言葉になると思います。
状況によって違うと思いますので、「受け入れる言葉」「しっくりくる言葉」を、ご自分でも探してみてください
あなたが「ふうっ…」とゆるむことで、「よくできました💮」ってご褒美がきますからね。
本日は、経営者さんと敏腕弁護士さんのエピソードをきっかけに、私なりの解説を書いてみました
何かの気付きのきっかけになれば幸いです。
そして、もしもこじれた問題をスムーズに解決したいときは、個人セッションにご相談くださいね。
5月は満席です。
6月の受付をしております。
いろんな原因が絡まっているときは、ご自分おひとりでは難しいので、人を頼られると良いですよ。
安全空間をおつくりしてお待ちしています♡
◆2020年11月
【ズーム 負けられない性格を手放して誰からも愛される心の作り方講座】満員御礼
◆2021年1月 開催
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