武道と礼節 | 鍵のハニカム★スター 鍵のいらない世界を目指す、ちょっと危ない鍵屋のブログ

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《福岡県 春日市 平成25年 ダイハツタント スマートキー作成》

オリンピックで寝不足です。

気持ちの悪い開会式はさておき、柔道の阿部詩選手が試合後に号泣した事がネットで議論になっています。

擁護派と否定派。

「礼節を欠く行為だ」と思う人と「号泣して何が悪い」と思う人。

この両者は物事を見る観点が違います。

否定派は「柔道」を見ている。

擁護派は「選手」を見ている。

なのでそもそも議論が噛み合いませんね。

ひとまずその話は置いといて。

先ずはなぜ武道は礼儀を重んじるのか?を考察してみます。

武道の起源は戦闘術であり、戦場において相手を殺傷する技術を一般化、スポーツ化したものです。

柔道、剣道、空手道、弓道、合気道など。

それらの技術は「殺人技」であり、簡単に人を殺める事が出来ます。

人間は感情的になる生き物なので、激怒して我を忘れてしまう事があります。

例えば柔道の技だけを習得した人が、もしブチ切れて暴れたら、感情をコントロールできずに相手を殺めてしまう可能性があります。

その感情を制御するのが礼儀なのです。

武道の技は武器です。

感情を抑制できない人が武器を持つほど怖い事はありません。

殺人犯では無く、武道家である為に礼儀を重んじるのです。

逆に礼儀を軽んずる者は武道家ではありません。

阿部詩さんの行為に否定的な人は、選手個人を攻撃しているのでは無く「悔しいかも知れないけど、あくまで武道家であれ」と言っているのです。

なので武道を極めた人ほど阿部詩さんの行為に否定的かも知れませんね。

ちなみに僕は中坊の時に柔道で中体連に出場し、秒殺されたあげく「礼法がなっていない」と言う理由で顧問の先生にぶん殴られました。


お客様はスマートキーを紛失。


今回は新品を使用。


ダイハツは登録する時にガッチャンガッチャン鳴るので分かりやすいね。



武道は礼儀を重視するのですが、国際大会などでよく言われるのが「柔道」では無く「JUDO」


武道における礼の精神は素晴らしいものですが、それでは勝てない。


ルール内であれば卑怯とも思える行為でも勝ちは勝ち。


例え相手を馬鹿にしても勝ちは勝ち。


でもやはりオリンピック選手ともなると、その道を極めた人ばかり。


つまり武道における礼の精神を納めた人ばかり。


クソみたいなルールで判定負けになっても、勝者と敗者が讃え合う姿は、正しく武道家の姿です。




武道家はいかなる状況でも冷静で心がぶれる事がない。


負けて感情的になるのは、その域に達していない。


と同時に、悔しさや悲しさを思い切り表現する事は、決して悪い事では無い。


なので僕は、畳の上では礼に徹して節度ある行動を取り、道着を脱いでから悔しさをぶちまければ良いと思います。


リアルタイムで阿部詩選手の試合を見ていましたが、僕は無意識に「負けは負けたい、潔く退がれ」と言いました。


それは非難では無く、彼女に対するエールです。


負けは恥ずべき事では無い次の為のステップだ。


こんな事を言うと必ず「じゃあお前がオリンピック出てみろ」とか「素人が上から目線で言うな」とか言う人がいます。


もし「僕だったら勝てた」とか「オリンピックぐらい誰でも出れる」などと言う人には、その批判は筋が通ります。


しかし例え素人でも礼節を持って評価するならば、それは選手に対しての思いなので、積極的に声をかける事は悪い事ではありません。


そもそも柔道やオリンピックに全く興味がない人にとってはどうでもいい話し。


それよりも日本代表として頑張っている選手達の事を、素人でもいいので語り合う方がスポーツの繁栄に繋がります。


でもお兄ちゃんの一二三選手は、あれぞ正しく柔道家であり武道家だと思いました。


「JUDO」の中に「柔道」あり。


まだまだ大会は続きますが、最後まで選手達を応援したいと思います。


頑張れ日本! 思う存分に戦え!!