行動:午前11時すぎ鍼灸院へ。なかなか回復しないけど頻繁に根気強く、今日も細かな具合を見て施術してくださる。立派な治療行為だけど公的な取り扱われ方がいまだに、それで施術といった方が良いのだろうか。


移動はほとんど自転車。普通の人の速度で歩けない。でも家で家事を最低限は施術のおかげで、たまに横になって休みつつ、出来る。早くいまの院で先生に数ヶ月前のはじめての施術で一気に良くなってたくさん歩けるようになりたい。そうなると好循環に入れる。でも自費で回数を我慢しておさえて通っていた分で長くの蓄積がなかなか取れてくれない。


訪問看護さん:今日も割合喋れる。


昨日の朝すごい調子が良かったので審査請求など問い合わせしたことをお伝えし、あとはひたすら早く自立したいです、と言った。

なぜなら、先週は信仰に入ってからの、自分は間違っていなかったということが分かったことだったが、今週はさらに小学生の同級生からの扱いを振り返り、それでもそういうふうに扱うほうがおかしいということの気付き、つまり、イエス様を信じて本当に生まれる前からの、500年前の前世の洗礼にもかかわらず神様の望む愛の道を踏み外したその懲らしめ裁きの500年の延長で今世があった、それすらもすべてゆるされて、すべて神様と人間には何があっても神様がいつも正しいが、人間と人間とのあいだで起きた出来事はそうでは無い、そういうことを気付いて、つまりわたしはむしろ親に気に入られ生存するために親の罪をコピーし、社会でうまく生きるために、エゴの罪から離れるように、や、最低限の暗黙の了解や時間を守るなどの一般の育ちの人からしたら当たり前の生活習慣を、ついに丁寧に教えられたことが無かったが、それをしていくために生かされていると。


教えてもらえない人たちがたくさんいるのであり、当然のように知っている人たちに利用されたり、あるいはバカにされて仲間に入れなかったり、いつの間にか孤立して悪い立場になったりする。


仕事については、まずは腰を治して欲しい、そのうえでいつでも就労のサポートは訪問看護チームでできるので安心してほしいと言われた。できれば作業所とかじゃなくちゃんとした自立できる仕事がいいとは伝えたものの、仕事があるかは神様の御心次第である。でも聖書的にも働かざる者食うべからずだし、世間からの見られ方に飽き飽きうんざりして、それでもわたしの世の中の多くの常識とは違った価値観や考えが、もちろん行動には罪あったが、しかしそれらの基本的概念が神様の御前に、一切間違っていなかった、そのことで再びこうして喋れる時も増えて、ただ腰はじめ首肩にも響いて来てしまっていて、そのことの回復がなかなかという様子で、アドバイス通りに腰の改善を先に優先ということを了解ですと。しかし、強い意志をお伝えする。今度こそ、かなり体力的に制限されたはたらき方になるかもしれなかったが、また社会に放り込まれてもだいじょうぶかなと。わたしは間違っていなかった、周りの人の目や対応に、そこに罪があってそれは神様の御心ではなかった、神様の前には上下関係は表面的にはあっても、人間同士なら誰もが本来対等、世話してやってるとは親もよく言ったが、その立場から惨めのことになるのは、信仰に入ったら生活保護で周りのそういう目線があったが、どちらも、わたしは間違っていなかった。いくら力や経済的な差があったとして、それによって弱いほうをいくらでも搾取して利用して支配していいはずがない。だから日本の普通参政権も、女子教育も、文明開化でキリスト教で宣教師が一気に入ってきて、あるいはエリート層がこぞって欧米へ留学やらの教育やらから、進めたことであって、2000年前にイエス様が復活されてから地上で綿々と行われてきた人間同士の対等化、それが日本では少し遅くて500年前にはじめてキリスト教でイエス様や聖書が入ってきたわけだから、それでやっぱり下の立場の人間がおかしいってなってきているのが社会的な毒親関連作品の流れとか、昭和の女性が押し付けられてきたあたりまえからの解放のいろいろな主張や流れで。わたしも信仰からそれをしなくては。そのこと。

役所とのことを進めるにあたっても、自立して日常的に生活が大きな干渉を受けにくい立場になっておきたい。


ちなみに、先週は別人みたいでした、と慎重に言われた。自分で気づきましたか?と。言葉のスピードも全然違う。わたしは、まったく自覚なし、ただ今日もそうだったが、かなりはっきりたくさん喋れたような記憶はある。でも今日もたくさん喋った。でも今日はいつものわたしだったみたいで、安心しましたと言ってくださった。先週だいじょうぶかな、と言う感じだったそうで、攻撃的だったよう。なんとなく、わたしの中の男性が100%でてきたときだったかなと思った。でもしゃべるスピードは、今日も頭に浮かんだもの全部喋れて、それは先週と同じ感覚ではあって、でも結果的に全然違ったみたいだった。考えていることも、今日も信仰や過去のこともお話したし、同じように思っているけど、外から見たら全然違うようだった。


でもちゃんと薬飲んでいるし、水と食事も最低限の量を1日3回、いただいている。内容もタンパク質や、たまに鉄分も意識して取っている。来週土曜には定期の診察なので、あまり心配しないでいはずである。

この日は朝からまるで普通の調子に戻ったかのように頭も働き、言葉も喋れる。動くなら今かと思い、担当の施設に審査請求について問い合わせしてみる。


・電話1件:上級庁の担当窓口に電話で審査請求について問い合わせ。簡単な事情と経緯説明をし、今後の手続きの流れについて説明を受けた。期限の確認など。また、開示請求については、審査請求の途中で見たい資料が出てくるとも限らないので別でしたほうがよく、そのこともご案内くださる。ちなみに、審査請求がいま込み合っているみたいで、手続きや信仰にも時間がかかりそうなこと。


きっとこのことはわたしと同じ市区町村だけでなく、とくにはこの地方だったかも知れないものの、ひいては日本のあちこちで横行していることだろう。まあ、自己顕示などの建設や設備広告等の的外れの充実で支出がかさみ、財政の緊迫もあるだろうがやりやすい所を削って税金の支出を減らす手柄を立てる、こういう考え方があちこちではびこっているのである。


電話ののち、5月19日からの支給については「本人がその決定のことを知った日付」がこのブログのとおり6月12日となり、9月12日が期限となると、改めて確認。頭が冴えているのでこういう確認ができる。しかし以前から電話で「19日から」 と言っていたと主張される可能性があるが、こっちは申請書類にある医師の同意の日付、4月19日のことかと思っていたため、完全に5月19日だと知ったのは、6月12日の鍼灸院さんからの電話であった。少なくとも5月1日からは出るだろうとふんでいた鍼灸院さんも、その日電話でけっこう驚いていて焦燥の様子だった。


つまり書類を準備し、9月12日までに送り返せばよいが、その間、キャッシュバックの件や、もし他の決定通知に関してのことがあれば、合わせて審査請求をする所存である。複数件合わせて、のことについては、今日の電話口では鍼灸治療費のことに限って話を進めていたので、具体的には相談も頭に思い浮かばなかったが、用紙に書き連ねたり、あるいは投函の際までに、改めて分けるか、合わせて良いかを問い合わせしようと思う。


窓口対応は懇切丁寧で良心的、話がすぐに通じて理路整然とした回答があり、わたしは地方政府の判断が公正明大でないことを想定した、人間の罪について知り尽くしたゆえのこの制度、生活保護制度と合わせて過去の善意のエリートたちが人生を費やして整えた制度に、また現在のエリートたちが善意と社会正義を胸にはたらいてくださっている、そのことに思いを馳せイエス様の救いに感謝した。


わたしが神様に出会う前、自分の見つけた社会の歪みばかりに気を取られて、井のなかの蛙になり、怒り感情的になって味方を次々に失っていき、そうやって他に戦っている人たちがいるということ、それでもこの悪魔の治外法権の地上社会で、それでもまともに生きて真っ当なことを神様の義を実現しようとしている人たちがいるのだという、実感を失っていた。今私はとてもイエス様への信仰によって、このような状態にあっても、必ず助けは得られるという精神的安寧に包まれている。なぜならわたしはエゴではなく、わたしは神様の必要を行っているひとつの善の歯車であり、日和見菌を味方につけて悪玉菌と戦おうとしている無数にうごめいている菌のうちのほんのひとつの菌なのである。わたしが善に踏みとどまる限り、神様は必ずわたしを守ってくださる。


ちなみに、生活保護が無ければわたしはとっくに野垂れ死んでいると何度もあちこちで言ったり書いたりしてきたが、当初具体的にどういう制度にするかをエリートたちが細かく内容を詰めていったのである。もともとは善意の制度である。しかし、あまりの手厚さに欲深さやずるさ、怠惰による不正受給が増えたり(わたしが怠惰なら、そもそも解離性障害になっていない、怠惰でないのに、怠惰だと思われ続けてそれをそのまま受け取ってきて自分を殺されるがままにしてきたのだ) 、そのことでどんどん支給範囲や支給額も狭く小さくなり、あるいは受給者に群がるようなビジネスが発展したり(巷より高い価格で取引されるなど) 、それで今は事実上の最低限度、難しい生活を強いられる立場になったと思う。働かざる者食うべからず、は多くの受給者が直面する精神的迫害であり、半分以上は高齢者であるが、そもそも正社員でなければ生活費の半分も出ない破綻した年金制度の受け皿となっている。年金制度をあれこれ批判してはそのことに合わせて言及している人はあまり見かけない。夏場にクーラーを設置できずに熱中症で死亡する老人は、間違いなく生活保護で、安い物件で、エアコン無しの場合に、その支給認定がおりなかった場合も多く含まれているだろうと思う。わたしは幸い幼児の子どもがいたので、若い女性職員が必要でしょうと手続きを進めてくださったが、引っ越し当初の面談では当然のように、まあ、窓を開ければだいじょうぶでしょう、と言われたことを忘れはしない。その時に主張できるのは正常な人間、できないのは搾取されることに慣れ、主張すらできなくなって弱っている病気の人間や、知能の衰えていく老齢者だ。脱線した。


ともあれ、たくさんの人たちが神様の義のために働いておられるのである。イエス様が既に復活なされた紀元後の世界、この世に、イエス様によって、味方がたくさんいるのである。揺るぎない復活のイエス様のお力こそ希望。


必ず、最後には神様の義が示されるだろう。そして恵まれた人たちについては、人間ではなく、神様を恐れるようになるだろう。


引き続き、信仰者として、自己の心身管理と足元の生活、いろいろのことを殊更に悔い改めて神様に仕えることをいっそう、励まなくてはならない。


ユニセフの募金を、就職当初から、ときどき払えなくなったりで少額で続けたりだったが、生活保護でも、払えるときは払っていて、当初まだ腰の調子がここまでと思っておらず2026年2月に再び再開をして、毎月3000円を寄付してきた。それを情報誌が届いて気付いて、最近は流石に経済的に水道代すら延期してしまっているので、それでも収入が途絶えるわけでもない、食費もかなり節約している、月500円に減額した。

なぜなら水インフラに関わる状況が一番最近の情報誌のテーマだったが、信仰以前からわたしの判断にかかる問いは常に、おまえは同じ生活ができるのか?ということであって、わたしはこの情報誌の明かすような情報に、決して同じ生活はできないと思う。無理だから、せめてお金を支援するしかない。そういうことである。


だから全ての支援するかの判断への問いは、今回の市役所の一連の


 おまえは同じ生活ができるのか?


そのことのみであって、他に相手の人間性や価値観など、一切判断には関わらないのである。同じ生活ができないなら、そうでない今の生活に感謝し、少しでも金銭や、あるいは精神的関心を、分け与えなくては、何が隣人愛だろうか。神様が見ておられる。

わたしに関しては、しかし足元、自分の子どものこともあるので、しかしそれでも、広い世界の多くの子どもたちより生活環境は遥かに恵まれて良いし、じゅうぶんに素晴らしい教育も受けられているので、親としては少しで満足できるところはしてもらわないと、そしてその満足を軽々とできるような愛で育てていければいいと思っている。


そもそも、わたしも、病気なったが、それは自分のせいではなかった、自分は間違っていなかったと最近一連のことで強く思い、改善を目指している。わたしは家庭環境、親の価値観を主な要因とし、精神的には酷い苦痛を伴い心身に強い歪みが残されたが、しかし物理的に多くのよい教育現場でよい教育を授かってきた。また信仰以前から社会正義や公正明大さについて常に考え世の悪を悉く聞いた話や自分の体験からも知ってきた。ぬるま湯育ちが一生触れ得ない社会、心の闇。どうあがいても抜け出せない貧困。それは全員が与えられているものではない。それらをどうにかして最後まで、イエス様に救われた以上、神様のために、用いて活かさなくてはならない。こんなところで、いつまでもうずくまっているわけにはいかない。


しかし、すべては御心のままに。わたしはひとりでは無力で弱く、明日もまた鍼灸へ行かなくては、まだ普通の生活もいまだにままならないだろう。どうにかして7月中に、せめて身体だけは、もう少しまともに動けるようにならなければ、しかし、「弱い時にこそ強い」、その聖書に記録される確かなかつての信仰者から語られた神様の言葉が、身の上に実現しているのをただただ感じる数年間だった。分からない…

行動:鍼灸院へ。朝11時ごろ。わたしは書類受け取ってないので、前にコピーしてもらったのは5月分の一月に一枚の役所から鍼灸院への書類、それで7月からちゃんと公費、保険で受けられるかでそのこと受付さんで確認してから施術に。7月中はだいじょうぶですとのことでずいぶん安心をした。でも相変わらず施術後も階段のぼれず、すごくゆっくりしか歩けない。


以前のように改善が劇的でないものの、7月中に、週3を続けてしたい。審査請求や、開示請求にあたって、直接、都道府県庁の窓口へ行ったりしなきゃいけないかも知れない。夏休みもはじまる。考えることが多くて辛い。でも正直説明のA41枚以外、何の資料ももらえなかった鍼灸の空白期間については、いつが、3カ月の期限の尾起算日なのかが分からない。だから、最悪継続の申請書類を提出した4月20日ごろからとすると7月中か8月頭には、その期限が到来している可能性がある。だから、電話とかして早く一歩目を踏み出さないといけない。説明を受けながらじゃないと難しいとなると、郵送で、じゃあ電話でどこまでサポートしてくださるか、分からない。問い合わせるしかない。


行動:午前11時ごろ鍼灸院へ。この時間帯が空いていそうと、土曜の時の様子や会話からなんとなく察して、今まで朝すぐ行っていたところを調整してみる。そうかも知れなかった。時間の調整がきく立場なのでできるだけ忙しい時にならないよう気を付けたい。相変わらず首肩、右腰、ずっと10歳くらいから、右のお腹にうまく力入らず、それで歪んだり、鍛えそうとしても外側の筋肉しかつかずで立っているときも傾いてる、そういうことがもう長年。先生は、もともと筋肉つきにくいのかも知れないですねと言っておられる。とりあえずやはり1回2回ではどうにもならなさそう、引き続き頻繁に通って、様子を見ていくしかなさそう。施術後も、おそくしか歩けないので実用的自転車、でもサドルの揺れがいつも痛いし怖い。あと振動が痛いので、階段は1歩ずつ、ゆっくりでないとのぼれない。


郵送2件

1,市役所からの保護変更決定通知書(6月25日)

    6月分と7月分の計算2枚(写真参照)

    以下電話で、内容確認したが、BIGLOBEの8千円のみの控除と、4月からやや増額の児童扶養手当分が合わせて、7月分の支給から差し引かれているということらしかった。5月に3月と4月の2か月分の支給があり、その4月の増額分1360円を7月の支給額から差し引いているらしかった。


2枚目の青文字は、電話で説明を受けながら書いた数字のメモ。






5月に支給のあった児童扶養手当、それを6月分の保護費から差し引いていないのも、役所のタイミングとして、何かどこかで遡って切り詰めてやる所を探しているような不信感を抱いたし、


そもそも物価高などを鑑みて増額しているはずの児童扶養手当を、何年も増額していない保護費の決定額上限ことで結局増額分が差し引かれるのは、変だと思った。保護費の決定は市単位ではなく国が一律で行っているらしいと担当さんが電話で教えてくださった。なので、国となると、最高裁判所まで、行く必要があるかも知れなかった。


そして、鍼灸のことだけじゃなく、この7月分の保護費の調整(キャッシュバックの取り扱い、そして児童扶養手当の増額の取り扱い)についても審査請求からの裁判になるだろうと思われる。十分その理由がある。キャッシュバックについては当然他の自治体や取り扱い例を検索して知っているのもあり、8千円差し引かれるならまだ分かるが、そもそも差し引きの実質料金を見て契約している。そして、児童扶養手当については、その増額の理由が明らかに物価高だった場合に、それの影響を生活保護世帯だけが受けていないという、実質的にそういうふうに考えていると見做せる取り扱いになっているのが、とても公正で無いし、神様の御心でもないと思われる。


2,住宅管理者から、生活保護受給者証の提出依頼の書類。年1回の定期確認。

    電話で、市役所の方がちょうど他の方の分も送るので合わせて市役所から送ると言ってくださり、外出の手間が省ける。その後住宅管理者に、電話でそのことを伝える。市役所から一括して必ず送るようにしてくださればいいのに、そう思った。あるいは住宅管理者から、市役所に直接請求してくださればいいのにと思った。タイミングに救われたが、市役所に行き帰りのエネルギーと、あと切手代を失うところだった。


電話2件

1,13時ごろ市役所福祉課へ発信 郵送の1を受けて、生活保護受給者証のお願いと、通知書の数字の内訳の確認。あとは、なんとなく物価によって保護費って調整されるんでしょうかと聞いてみると、さきほど書いたとおり、支給額の基準が国で決められているそうで、市単位の決定ではないので、今後のことはなんとも言えない、そういうことを言ってくださった。

2,13時過ぎ住宅管理者へ発信 さきほどの生活保護受給者証が直接市役所から送ってくださることを申し伝える。

早朝、未明、肩と背中の痛み違和感で目覚める。腰の調子は、昨日一日家だったので訪問看護さんの時には、しばらく通うけど良くなるかも知れない!と意気揚々に言っていたが、やっぱり今日も午前中やっているはずなので、子連れになっちゃうけど、自転車で行こうか迷う。雨もやんだみたいで、あと動けそうにない。腰の調子から姿勢維持が筋肉がうまく使えずいつも少し動いたりすると首肩までの違和感になってくる。たくさん歩くと足首や足裏まで。身体全部繋がっている。さいきん考えすぎも疲れるねと言って頭に鍼を打ってくださってそれもとても効く。なので今日いけたらいいなあ。


余談。日本列島が未曾有の欠乏に直面するのもそう遠くない。各地の立て続けの地震がそれを物語っている。今までの生活の当たり前が嘘か幻のように消え去っていく。モノが消えヒトが消えマチが機能しなくなる。経済政治の混乱、無能の支配者は神様の怒りをあらわし、有能の支配者に恵まれればイエス様の救いをあらわす。火事場泥棒に注意せよ。質素倹約に努め、少しでも満足できるように心と体の備えをし、魂をいつも神様のみ前に裁かれないように、人義に気高く隣人愛に生きなくては、ひとりずつ神様に相応の応酬を受けるだろう。タワーという韓国映画を思い出す。この5年ほどを経てまたたく間にイエス様の御名と神様への恐れが広まるだろう。ぬるま湯しか知らない日和見の人生を送ってきた人たちが地上の本当の地獄を知り、天国を渇望することになる。だからまたたく間に信仰が広まる。今まで信仰を必要とせず信仰を迫害してきた人たちが、イエス様にゆるされ、イエス様にひれ伏す時が来る。


行動:午前11時ごろ鍼灸院へ。子連れ申し訳ないが迎え入れてくださる。子どもさんも本見て大人しくしてくれて助かる。少し良くなって買い物して帰るが、やはり4月の通い始めと異なり、蓄積があるようで、1回ではどうにも回復しなくなってきている。しばらく頻繁に通うことになりそう

今日は台風により子どもさんも昨日からやや体調が喉が痛いなど言っていたので、学校お休みする。明日も何かイベントがあったがお休みする。


鍼灸院へ行くなら、子どもを一緒に行く必要がある。どうしよう。そうなると自転車に子ども乗せたり、これはすごく重いし、ふらふらしてしまって怖い。ひとりで自転車乗れないので、お留守番も自分の幼少期のことは一切引き合いに出さずに、低学年のうちはやっぱりしない。鍼灸院行きたいが、もはや行くまでの体力も残っていない。どうしようかな。


朝から昼にかけて何もせずに、やや動けるようになり、雨なので行くほうが大変なのもあり、鍼灸院は月曜にしようかなと思う。


子どもさんと部屋の片付けをしながら、昨日の先生たちとの話もありつつ、心の状態と喋りの調子がすごく整っている。


訪問看護さん: 昼12時から。ものすごくよく喋れる。

    ・自分の話⋯昨日役所からの手紙を学校に渡したまま返ってきていないので、また返してもらう。連絡帳で現在の精神的・肉体的・経済的な状況と経緯を簡単に学校に共有し、昨日の先生たちとのお話しに至る。

なので書類のことでなく、昨日の先生たちとのお話の内容など、あと信仰上、昨夜と今朝思い巡らすにつけ、はっきりしたなと思うことを、お伝えする。すごくよく喋れてすごくよく頭が回って30分間その場でも考えながら一生懸命、一方的に話す。とにかく伝えたい情報量が多いので、早口でまくしたてるようにして。



内容の詳細は、以下に書くが以下の全部はお伝えしてないが、大まかには、信仰以降の出来事、特に発症前後、発症してからの出来事は、わたしはなんにも悪くなかったんだという強い実感が、昨日からあって、気持ちも穏やかで、意識もはっきりしている、そういうふうに言ったと思う。このまま生きていける気がして、今度こそ完全に立ち直ったので、ぜひそのうちに仕事をしたいと言ったりもした。


信仰のことは、つまり昨日の出来事によって、ずっと3年前にイエス様に救われてからは、今までの人生はぜんぶ自分の生まれ持ったあるいはその後の罪ゆえだったと気付かされて、それが今後の人生で一切ゆるされたというのが腑に落ちなかった。祈祷会では全部私の罪でした、と泣きながら祈り、諮問会でも、もう絶対に罪を犯したくない、絶対に天国への道を踏み外したくない、だからマタイ5章冒頭を踏まえて、今までの人生自分の罪ゆえに迫害されてきたが、これからは義のために迫害されたい!と泣き伏しながら言った。

引っ越し後も発症後も起きること全て罪深い自分が懲らしめられたり裁かれたりしてるだけだと思って、余計に意気消沈したりして這いつくばっていた。神様に全自分を否定されて信仰に入ったので、そう思っていたので、そういう感じで、何が起きても不平不満など口にしてはいけないと思っていた。

でもやっぱりこの数ヶ月のことは明らかな理不尽に基づいていて、それは周りのかたがたとのコミュニケーションの反応などで分かり、神様の戦いのこともあり、これこそがこの地に遣わされてきた意味だと思ってやっている。

自分は、イエス様への信仰によって、本当にゆるされたんだという実感が、信仰後のことはわたしは実はなんにも悪くなかったんだという、そのことがこれからきっと、数年かけても、次々に証明されていくだろうと、そういう気持ちでその解放、悔い改めによるゆるしってそういうことか、本当にイエス様と出会って信じたら過去の享受してきた理不尽とすら神様はたたかってくださる、それを実感した、そのことを一生懸命お伝えしていた。わたしを見て、きっと多くの人がイエス様を知って神様をおそれ、信仰に入れられるはずだと。


ヤコブの手紙4章7節

昨日かおとといに子どもが学校からのお手紙で未納の6月分の学校徴収金のお知らせを持ってくる。なので、昨日の夜、以前電話でお願いした通りで、経済状況が変わらないので、8月25日でいいといっていただけてできればそのことがありがたいがどうか、そう書いた。それだけだと微妙に思ったので、何故そんな状況になっているのか、最近の役所にやり取りに関して鍼灸治療が思うように受けられて来ず、それで精神面と肉体面、それから経済面も数ヶ月苦境があり、今までの分があるので苦境が続きそう、そういうことをたくさん説明して書いた。もしわたしのそういったストレス学校で子どもさんが出ていて迷惑をかけているといけないので、そのへんのことも書いて状況説明をした。


すると、子どもさんの持ち帰ってきた連絡帳に、たくさん愛のあるお返事いただいた。学校徴収金はそれでだいじょうぶに、子どもさんも何の問題も無いということなどを。感謝。また7月に懇談もあるが、やはり再三の学校徴収金の請求にお願いする必要があるのがすごくプレッシャーがあったが、思い切って事情を詳細に説明してみて、とても良かった。

行動: 朝8時半、自転車で鍼灸院へ治療に
    ・自分の話⋯昨日役所から説明の書類が届いた。(コピーしていいですか、どうぞ) そうしてはじめは5月19日書いてある書類のコピーもください言ったが入っていなかったので、昨日電話して聞こうか迷ったけれども、きょう先生にみてもらって、あと金曜日に訪問看護さん来てくださるので、理解力が低いので、一度相談しようと思った。
    ・先生の話⋯ぜんぶ相談してからで良いと思う。書類は5月19日ではなかったはずだが書いたのが本部の人間。部署が違うのでまた確認する。書類の後半、整形外科の受診については、また時期を関係者に相談して決めてください。
    ・自分の話⋯一番初め、引っ越し前の市で、尾てい骨骨折の時にお世話になった整形外科に行って、レントゲン異常なし、どんなに痛くても、鍼灸なんて治療と認めない書かないの一点張りで困ってしまった。(それで当時の鍼灸の先生に相談して普通は主治医と言われ精神科の主治医の先生にお願いして書いてもらっていた) 併設の整形外科で安心助かる。
    ・先生の話⋯昔よりは書いてくれる(整形外科の)先生は増えたように思う。併設だとやはり書いてもらいやすい。また、申請資料の見積もりに依らず、必要なだけ治療を受けに来てもらってかまわない。

施術後も、すごく良い治療だったにも関わらず、今までの蓄積か、本当にゆっくりしか動けない。でもお陰様で買い物にはいける。先生にも、衝撃が怖い、とにかく痛いのと力が入らないのとで階段も歩くのも控えている、と言って治療を受けた。スーパーではお年寄りのほうがわたしより早く歩いておられた。

ぎっくり腰が鍼1本で治ったり、効果も費用も格段の素晴らしい治療法なのに、日本では仕組み制度上も資金上も、あるいは世間の人からの扱いも、西洋医学が幅を効かせていて、多くの人たちにとって本当の駆け込み寺になっている東洋医学が、長らく迫害されているように思う。市役所での基本方針もそうだ。コロナ禍で医療現場の権威や幻想が壊れ、その闇を多くの人が知ることとなったろうが、公的な判断の基本方針となる制度やルールを決めている国が動かなければ、そんな一朝一夕で変わる話でもない。でもひとりひとりの中では確実に違和感は蓄積されているようだ。

状況: 施術後、食品等の買い出しに。行ったあと疲れて部屋の中は四つん這いで移動。夜の、子どものご飯も考えなくてはだが、レンチンにしても立つ必要があるのであとは休んでおく。節約があるので出来合いで楽はできない。でも、涼しいので掃除洗濯お風呂多少おいても平気なのが助かる。他の家事を省略してできるだけエネルギーを節約して休んでおくしかない。

ありがとうも言われずごめんも言われずただ親の満足のために生きた幼少期からを思いだして少し泣く。

薬を服用し、食べ物も水の聖書の教えの半量も喉を通らない。
郵送1件: 朝9時頃、郵便受けに、役所の生活保護担当部署、わたしの担当さんから以下のA41枚のみ。以下のように、書類の日付も分からないし、消印も分からない。
朝、子どもさんがもちものを忘れて出かけたので、歩くのが遅いが、とにかくゆっくりでも追いかけるようにして、学校へ届けた玄関くらいですぐ先生が受け取ってくださって助かった。なので朝から郵便物に気付けた。昨日の午後、子どもを迎えに行った帰りに必ず見ているので、それ以降に届いた。
やっぱり、文字を読むのも理解も難しいので、前Dz半はとにかく鍼灸院からの書類5月19日からだったということの、たぶん電話で聞いた説明なのだが、それがその時必ずその5月19日書いてある書類のコピーも欲しいですと言った。なので、それは何の説明も無く同封がなく、これについて電話してもう一度お願いするか悩んでいる。よくわからない。
後半部分はもっとよく分からない。いったん、2年前の9月ごろ、正規の手順を以前踏んだが、その時の、引っ越し前の尾てい骨骨折を入院して診てもらった整形外科の先生は、レントゲンで異常なしの所見、鍼灸治療なんて書類なんて書かない!というので、痛み止めでも車椅子で院内を移動するくらいで、仕方なく見かねたスタッフさんがリハビリステーション杖をこっそりかしてくださり、タクシーで帰って、市役所の当時の担当さんに相談してから、このままでは子どもを自転車でお迎え最低30分かかる、そのお迎えにもいけない、相談してから、近所の以前の鍼灸整骨院にかけこんでなけなしの現金でなんとか1回施術を受けられ、あとからすれば一時期にだがかなり動けるようにはなった。それで仕方なく鍼灸整骨院の先生に申請を相談して、普通はかかりつけの先生に書いてもらうものだと言っていただいて、精神科ではあるが診察時にお願いして書いてもらった。

明日、また鍼灸院へ行くときにこの書類を持っていく。以前、確認しますと言ってくださっていた。それから、5月19日より前に提出したはずと言っておられた。よく分からない。
また、後半部分も、今後どうしたらいいか、相談する。いちど併設の整形外科は、そのうちに検査したほうが良いとは言われていたので、7月末まで決定していて8月あたりに整形外科受診するのかも知れない。いずれも先生に相談しながら。でも8月に整形外科へ行って、やっぱり鍼灸じゃないと治療できないとなって、それで必要性が変わらなくて、それで結局書類がなんやかんやで、8月分が自費になってしまうのだろうか。

そもそも学校に支払うお金も6月から、支給が8月と2月の年2回にまとめてだから、しかも教科書も細かく一個一個の内容みて、それらが全部認定なるか分からない、そんな状況でいくら帰ってくるのかも分からず、ずっと、お金の心配が尽きない。

そもそも、2022年7月当初、引っ越し前から、一切1円たりとも保護費があがっていない。

プレミアム商品券の支援など、独自にいろいろしているのも、どちらの市も例外でなかったけど(国主導の低所得層向けなどの支援も含む) 、そもそも1年に1度あるかないか、ほんとうは毎月1万2万の単位で支援があるなら努力も認められようが、そうして結局食費は毎月どんどん右肩上がりでかかり、そうして毎月支出がある、将来の収入があるからと言って、あらかじめの補填ならずにあとから補填では、貯める余裕など無い世帯は飢え死にを用意されているようなものだ。それでいてどこの自治体も市主導の再開発や新しい商業施設の建設必要以上に綺麗で家電などの整った施設用意に余念が無い。実際、低所得層の世帯の家よりも、はるかに良い環境がそこにあり、子どもの遊び場に自宅には絶対置けない空気清浄機などがあって、なるほどそれも税金である。引っ越し前は環境があまり良くなく子どもの病気しないように欲しいといったことがあるが、ぜいたく品みたく扱われて取り合ってはもらえず、お金を借りる対象品目にもならず、なんとか自分で貯めて脱臭機を買い使っていた。ひとりひとりの生活を良くするとかではなく、大雑把に市政府のあるいは市の印象として見て分かるものにお金をかけている印象がある。子ども家庭庁の地方政府版が、まあ国はそういう写し鏡でもあるのでどっちが先かは難しいものの政治現場の考え方ややり方の価値観の流れはだいだい同じである。毎月の必要経費の算定の内訳は、なぜ市場価格の食費と連動しない?この4年、あっという間にいろいろなものが値上げし、たまに10個100円で買えた卵も今や10個300円が普通。個々人の工夫や食生活の適応、その知恵、snsみれるなら、わたしもさいきんやっと見れるようになった、去年とかはそういうのも見れる状態でなかった、工夫を共有し合って知恵を借り生活できるものの、スマホあまり使わない天涯孤独の高齢者は?そもそも、保護費の算定においての食費は、単純にスーパーでの食品の価格、食生活のロールモデルを作ってそれ計算して中央値を取るべきではないのか。物価連動じゃないと、簡単にどんどん実質保護費が減っていくことになる。そもそも最低限の暮らしをしている人間に食品やペーパーなどの日用品以外のものを買う余裕はなく、機械系の利便向上や価格低下の恩恵は普段受けることはない。食費が2−3倍になることによる打撃の程度は各家庭のエンゲル係数により決まり、明らかに保護世帯は拠出のほとんどが食費あるいは日用の消耗品が多くを占める。給料が増えない嘆きもあるなか、このことについて、いちばん最低限の金額でやりくりしている保護世帯へ、世間は仕事何もしないのにと世間様の目は冷たいわたしは4年間それに耐え忍んできた。引っ越し当初に市役所とのやりとりがきつすぎて、そもそも言ったことが子どもの預け先もぜんぶ相談してそのとおりにしたのに、フタを開ければ期限が過ぎてますで7月はほとんど難しく、市の無料施設に遊び場に言って精神的苦痛から、耐えきれず泣いていたら、子どもさん場の雰囲気で遊べてよかったが、大人のわたしにたいては、何この迷惑な空気を壊さないで欲しい、みたいなスタッフの無言の圧力、結局心身に余裕ある人たちだけの遊び場、わがまましか言わずにいくら説明しても理解しない自分の要求ばかりの子どもに、今にも手を上げそうになる自分を狂気になりそうなのを、首の皮一枚で信仰によって正気に踏みとどまって、市の無料施設を頼るようにしてがんばって連れて行っても、そのような仕打ち、6月7月の市の対応、8月9月の元家族の対応によってわたしの脳及び身体機能はついに本人意思によってコントロールが効かなくなってしまった。9月1日に解離性障害を発症し、中旬に腰痛で動けなくなり出先で救急搬送、そしてかかりつけへ通院もできずに10月に脳検査などいろいろ経てやっと診断がおりた。

ずっと、子どもさんと節約生活、頑張るしか無い。子どもさん、いつも給食でおかわりをしているらしい。でもほんとうはおうちでも、必要なカロリーや栄養を、ちゃんと3食用意してやりたい。(自分は断食も良くするし、数日前から少しずつ食べても、大人なので栄養素度外視で一日600カロリー、水一日600ml程度、それで良い。やすく済ませると3食でも100円で済む。一ヶ月3000円予算にしてしばらく生き延びる予定※) でも料理どころか皿洗いすら何日もできずに溜まっていく状況で、もしかしたら頑張ったら悪化するかも知れない状況で、いつも子どもさん心が満足するように、学校イヤならないように気を付けてがんばらなくてはいけない、学童イヤでずっと行かない、そもそも性格的にわたしに似ていて繊細な感覚過敏ぎみで、環境変化にストレスしやすい、外では何事もなく振る舞ってストレスをため、5歳の冬はいきなり夜中におなかいたい、と言い出し、なんとなく心の問題を感じ、さいきん嫌なことあるの、と聞くと、もう幼稚園いきたくないと言う。それで半年ほど行ったり行かなかったり、2ヶ月くらいずっと行かなかったのもあった。公園すらもずっと行きたがらなかった。次の年の4月から先生や友達がかわって、わたしも家でずっと家にいていいよってケアして、それで時々休みつつも行くようにはなった。周りと比べて父親もない、祖父母もない、そういうのを敏感に感じていつもうっすら我慢していて、それらを美味しいご飯や、欲しいおもちゃやゲームなどで、慰めてやりたかった。当時わたしはろくに文章どころか単語すら喋るができず、あー、うあとか身振り手振りになることもしばしばだった。不安定。時々急に喋れたりもするが、ほんとうにそれが週1回訪問看護さんの時だけ、など。腰痛もあるし、一緒にいるときに何をできるか、遊んだり、喋ったりで安心させられない、ちょっとスキンシップをして、あとは楽しいもので部屋で過ごしてもらうしかなかった。
それでもたったひとりの親も病気でまともじゃないお母さんで子どもさんなかなか心難しい時あって、きっといままでのストレスがあって、わたしも食事の健康バランス考えた世話難しくて、幼稚園ずっとお弁当だった、それで今年4月末に、便秘性の胃腸炎になった。便秘が原因。金曜日の夜にいきなりゲロ吐いて、熱出て、慌てて土曜かかりつけ小児科へ行った。大人も一緒に見てもらえる病院さん、わたしの様子も心配されたが、税金だと思って、だいじょうぶなので遠慮した。少なくともその時は吐いていなかったが、数日後にしっかり吐いて、子どもさんの処方で、実は足りなくて2回もらってから、それから残った分をちょうど飲んだ。ちょうど子どもさん教会のイベント行ったりで休めた。それで、食生活改善しないとレトルトばかりや簡単ものばかりでは、頑丈な身体でなさそうな私達親子は工夫していかないと、できるだけいつも手作り、がんばらないと。子ども守るため、いままでも妊娠からもうずっと子ども守るためどんな状況でもがんばってふんばって耐え忍んできた。3年前からは神様も一緒。一般人の体力の半分も無いけど、一般人2−3倍くらいできて当然の環境で生きてきて活動量の少ないことへの罪悪感、それを付け込まれるなど、自分で無理だと言えない、たすけてがいえない、それ病気、ここまでひどくなってしまった。神様が少しずつ変えてくださって、この件もイエス様の励ましもある。それで頭比較的動くときに忘れないうちに書く。子どもも小学生になったので、それも大きい。大きい子の方が当然大人とって楽なる。物分り良いように育つなら。自分でできること増える、ことばでの指示を理解して動ける、うちも親に様子ひどいなら、もうレトルトチンくらいならできる。健康栄養ことなどことあるのでちゃんと相談して言うが。それでさらに今は、時々赤ちゃん見たくわたしが泣いちゃうのを薬でおさえれば、変な日本語ではあるが、一般生活を最低限のコミュニケーション意思疎通はなんとか、向こうが汲んでくれればできる。子どもさんとも、学校の様子をたくさん話聞いたり、以前より物分りも良くなって、だいぶ。

それから、もちろん訪問看護さんにも読んでもらってこれからのこと、教えてもらおうと思う。

※旧約聖書のエゼキエル書4章10節11節より。似たような状況のエゼキエルへ、神様が具体的な飲食の指示をだされている。神様はエゼキエルを愛しておられ、その必要をご存知だったのは、イエス様も「思い悩むな」と教え、各福音書に記載の通り。
今の地上の常識のほとんどは神様の知恵とはかけ離れているはずだったしそういうことばかりだった。コロナ禍でもそういうことだった。

以下聖書の引用ーーー

エゼキエル書 4:1-12 新共同訳
 [1] 人の子よ、れんがを一つ取って目の前に置き、その上に都であるエルサレムを刻みなさい。
 [2] そして、これを包囲し、これに向かって堡塁を建て、塁を築き、陣営を敷き、破城槌を周囲に配備しなさい。
 [3] 自ら鉄の板を取り、それを自分と都との間に鉄の壁とし、あなたの顔を都に向けなさい。こうして都は包囲される。あなたがそれを包囲するのだ。これはイスラエルの家に対するしるしである。
 [4] 左脇を下にして横たわり、イスラエルの家の罪を負いなさい。あなたは横たわっている日の数だけ、彼らの罪を負わなければならない。
 [5] わたしは彼らの罪の年数を、日の数にして、三百九十日と定める。こうして、あなたはイスラエルの家の罪を負わねばならない。
 [6] その期間が終わったら、次に右脇を下にして横たわり、ユダの家の罪を四十日間負わねばならない。各一年を一日として、それをあなたに課す。
 [7] あなたは包囲されたエルサレムに顔を向け、腕をまくり上げて、これに向かって預言しなさい。
 [8] わたしがあなたに縄をかけるので、あなたはその包囲の日が終わるまで、一方の脇から他の脇へと寝返りを打つことができなくなる。
 [9] あなたは小麦、大麦、そら豆、ひら豆、きび、裸麦を取って、一つの器に入れ、パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数、つまり三百九十日間、それを食べなさい。
 [10] あなたの食べる食物の分量は一日につき二十シェケルで、それを一定の間隔をおいて食べなければならない。
 [11] あなたの飲む水の分量は六分の一ヒンで、それを一定の間隔をおいて飲まなければならない。
 [12] 大麦のパン菓子のようにそれを食べなければならない。それを人々の目の前で人糞で焼きなさい。

https://bible.com/bible/1819/ezk.4.1-12.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

参考、続き

エゼキエル書 4:16-17 新共同訳
[16] また、主はわたしに言われた。「人の子よ、わたしはエルサレムのパンをつるして蓄える棒を折る。彼らはおびえながらパンの目方を量って食べ、硬直した様で水を升で量って飲むようになる。
 [17] 彼らは罪のゆえにパンにも水にも事欠き、やせ衰えて、互いに恐れに取りつかれる。」
https://bible.com/bible/1819/ezk.4.16-17.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

エゼキエル書 5:14-17 新共同訳
[14] わたしはお前を廃虚とし、すべての旅人の目にも、周りの国々にも、嘲りの的とする。
[15] わたしが怒りと憤りと激しい懲らしめをもってお前を裁くとき、お前は周りの国々の嘲りとそしりの的となり、教訓となり脅威となる。主なるわたしがこれを告げる。
 [16] わたしは滅びに定められた者に対して悲惨な飢えの矢を放つ。お前たちを滅ぼすためにそれを放つとき、わたしは飢えをますますひどくし、パンをつるして蓄える棒を折る。
 [17] わたしは飢えと狂暴な獣をお前たちに送り込み、子供たちを奪わせる。疫病と流血はお前の中を通り抜ける。またわたしは剣をお前に臨ませる。主なるわたしがこれを告げる。」

https://bible.com/bible/1819/ezk.5.14-17.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

なんどもこの地上において、イエス様の来臨以前に行われてきた、繰り返されてきた自動化されていない神様の裁きの詳細である。わたしは子どもの頃に今以上の欠乏を経験していたものの、もちろん独身仕事の際にはもっとお金を使っていたが、今のうちに質素倹約生活に戻り、そしてイエス様の愛さえあれば、それを喜んで、それでも心から満足して魂が養われる生き方へ多くの日本人が導かれてほしいと願っている。外国人とくに経済格差のある国からの移民はさぞその原住民たる日本人の生活の豊かさに驚いただろう。あるいはそれは、戦後植え付けられてきた普通、が蔓延していたこと、にまつわることだった。
戦争の貧しさ、まあ今となっては戦後の初期、を知るご老人あるいは、家がもともと貧しかった人たち、あるいは経済格差のある国からの移民の人たち、その生き方を変えないほうがいいし、普通の原住民はむしろ享受してきた豊かさを平等の精神で分けられないなら、もっと貧しい暮らしで良いと思う。豊かさを追い求めることの幻想やミクロやマクロ視点での社会的危険性については、いろいろな人がいろいろ言っているが、よくまとまっている要点を得たものとしては、既に世界一貧しい大統領のスピーチが、絵本にもなって、神様の御心にかなうものとしてひそやかなる称賛とひそやかなる伝播をしている。

行動: 11時半ごろ鍼灸院へ行く。階段や重たいものが、痛みと、力が入らずできない状態。まっすぐ立てず歩く時やや腰が曲がっていたい。自転車はなんとかこげる。施術後は、比較的まっすぐ歩けるが、常に何かによりかかりたい。相変わらず階段はのぼりが難しい。買い物をして帰り、重いものは少しなら持てたが、帰ってきたら午前中とお昼の活動の疲れで、午後は寝るくらいしかできない。子どものお迎えに10分ほど歩くのもたいへんで、何をするにも身体をずっとゆっくりしか動かせない。夜ごはんの時に少しがんばって動く必要がある。すぐ疲れたり痛いので、毎日のちょっとの家事のために寝て休まなくてはいけない。