行動:12時少し前に役所の生活福祉担当課へ。何点か質問など。

   ・自分の話⋯市からの歯科無料健診やがん検診はそのまま行っていいものか、医療券になるか。

   ・担当さん⋯前者は直接院へ問い合わせ。後者はそのまま行ってたぶん大丈夫。

   ・自分の話⋯口座に7月13日に古いパソコンの引き取り代金5000円の入金がある予定。(新しいのはもう買わない、今まで使っていたものを節約で処分、パソコンは保護にはいる前から、もっと言えば独身のころから使っていたもの) また、7月20日に交通系ICカードのデポジット返金500円入金予定。

   ・担当さん⋯入金確認したらまた収入申告をお願いします。

   ・自分の話⋯承知。ただ、今は腰の調子がすごく悪いため、出かける回数をまとめたい、7月末になるかも知れない。

   ・担当さん⋯もらった電話で申し訳ないが、8月からの(鍼灸治療要否の)意見書について、整形外科に一度受診するとか担当の先生と話しているなど聞きましたが、どうしますか。以前通知書で送った通り、今って、回数制限が週2回になっていると思いますけど、(ここでわたしが怒りを抑えきれず口調を爆発) 

   ・自分の話⋯回数制限とは一体何の話ですか!通知書の類いは一切受け取っていない。そもそも書類を欲しいと言ってもらえたのは口頭説明を文字に起こしたようなA41枚の紙だけ、封筒に入っていた。それだけ。一体どこのどの通知書に2回と書いてあるか、理解できない。今日この電話で知った。そして鍼灸院さんにも7月通えるか確認した上で通っている、回数制限なんて一切聞いていない。急にまたあとから、実は何月何日から2回の制限でなどと言われても、あとからひかれても、説明も通知も受けていない。

    ・担当さん⋯いや、お送りした書類に2回って書いてありましたよね?

    ・自分の話⋯(怒り継続中) 何の書類ですか。通知書の類いは以前欲しい欲しいと言って、結局一切もらっていない。そもそもA41枚の紙の説明のどこにそんな記載があったか。訪問看護さんやら周りの方に見ていただいて、合わせて内容理解したが、そんな記載があるという理解ではなかった。

    ・担当さん⋯(わたしが理解が足らないという語調で)いや、嘱託医の先生が、今後回数を減らしていくという決定を既にしているんですよ、だから今どれくらい通っていますか?

    ・自分の話⋯それはいつからか?知らない!そもそも7月も決定あるかは鍼灸院にあらかじめ確認を取った!それで今まで思うように通えていなかった蓄積もあって、今かなり治療をしていただいている!A4の紙に、何月何日から回数制限2回か?書いてない!7月までは決定済みは書いてあって、段落を分けて、もしかしたら今後は回数制限があるかもしれない、そういう記載だった。今後というのは、何月何日から?これは、通常の文脈理解で言うと、8月ということに、なるものですよね?

    ・担当さん⋯ああなのではい、8月から、もし意見書提出してってなると、今後回数制限とか、許可がおりないとかってなってくると思うので、(ここで文書の理解が一致していて、7月中の回数制限が無いとはっきりしたので、納得して落ち着いた。)

    ・自分の話⋯(落ち着いて、語気を弱めて)もちろん7月中に治っちゃって、その場合は8月は別にどこも行きませんよ、必要もないのにいきませんよ。でももし8月に治ってなかったら、そういうことが良いのでは、それは理解していますよ。今薬でなんとか生活していますが、さきほど感情を抑えきれなくて、ごめんなさい。

    ・担当さん⋯いえ、では収入申告と、それから意見書はとりあえずは必要そうなら8月整形外科通ってみて、それから、ということでいいですね。

    ・自分の話⋯承知。


ちょっとうろ覚えなので、内容は前後していたかも知れない。いずれも自分の携帯からの架電なので、通話記録が役所に残っているはずである。いつもこっちからかける分には必ず録音されているのアナウンスがある。実際には言葉をかぶせて言ったところも多く、内容はかなり要約している。


ああなるほど。わたしが弱くなっていたのは、このなんにも分かっていだろう弱者から、理由をこじつけて、できるだけあれこれ絞れそうなところを、弱者から絞るのはいつも簡単、言い返せない、思考できない理解できない、いつも自分が悪いかも知れないと謙虚に考えている低知能の人間を、社会生活で自尊心の負のスパイラルに陥って放っておけばどんどん弱くなっている弱者を、ここまで言葉巧みに相手の理解が足らないせいにして、"小銭"を減らせる所を、減らすだけ減らそうという地方政府の弱者への横暴の論理が、実施にはびこっているのを世に明らかにせしめるためであった。

聖書でパウロが手紙に書いた、"我弱い時にこそ強い"、とは、わたしが弱くなければ、いかにも通常の対応しか受けないところで、この地方政府の相手を選んで行われる闇をあぶり出すことができないことだったのである。今回も言い返さずに、はい、はい、と忖度して這いつくばっていたら、一体どうなっていたことだろう。そんなのは火を見るより明らかである。弱い時に、こうして、弱から奪い強にすり寄る日和見菌と、弱に与え、強を挫く善玉菌の見分けがつくようになる。普通の人間相手では、日和見菌と善玉菌の、似て非なる、まるで月とすっぽんのその対応の真価がなかなかどうして分からないのである。日本には広く日和見菌の生き方価値観が、戦後高度経済成長期、一億総中流の平和ボケの創出によって、浸透しきって久しい。しかし失われた30年を生きてきた若い弱者には、すべて事の善悪が、はっきり見えている。わたしは若い世代はあっという間にわたしの味方、まあ神様の義を理解して味方してくださることがよく分かる。団塊の世代には、よっぽどの苦労人ではいない限りちょっと無理だと思う。

神様はこの政策の資金繰りの優先順位を愚かに見誤り、強者のために税金を無駄遣いしながら、弱者への歳出は絞れるだけ絞る、この地方政府のやり方を決してお見逃しにならず、この罪と戦って勝利される所存である。ちなみに以前も書いた通り、おそらく在住の地方政府に限らない。上級庁の審査請求部署は請求案件が多いらしく忙しい様子だ。地方政府の上層部はそれぞれ上級庁や国政だけでなく横のつながりもあり、くだらない個人のライバル意識とかで意味の分からない庶民に関係ない贅沢施設や商業施設に課金し、あるいは小手先で行政の歳出削減をする小賢しいやり方を共有し合って真似し合って、言われなくたって見えなくたってそんな地上の人間の営み、神様はすべて旧約聖書の時代からつぶさに見てご存知である。

このようなことが、この地方政府に限らず、しかしこの地方政府に至っては特に悪質、そのことを世に示し見せしめにして徹底的にイエス様の勝利をお示しになることであろう。

電話1件:午前11時半手前、鍼灸院へ。

    ・自分の話⋯いつもお世話になっている。昨日も施術していただいたが、今日もまた今から伺いたい。しかし、ちょっと連日になるのでどうか、確認したかった。大丈夫でしょうか。

    ・受付さんの話⋯ぜんぜん大丈夫です。どうぞ。


行動1件:午前11時半過ぎ、鍼灸院へ。

    ・自分の話⋯ちょっと7月は確実に支給決定しているということで、今後のことは、8月にいったん整形外科に行くにしてもわからないので、もうとにかく7月中に通えるだけ通って、とにかく早く良くなりたいです。夏休みもあるし。ちょっとだけ歩けて、それで今度は足が痛くなって。

    ・先生の話⋯そうですね、そうしましょう。いつ来てもらって大丈夫です。歩くのは動くのはいいことではあります。引き続き診ていきます。

 この日も大変丁寧で、そのうちに少しずつの運動も含めて蓄積が取れ、改善すればいいなと思う。しかし依然として治療後もゆっくりの動きしかできない。7月中にどこまで改善できるか。不安だけど今行動できることをするしかない。

行動:午前11時半過ぎ、鍼灸院へ。治療は日を追って気になる箇所が変わる2に合わせ、丁寧に行われる。

    ・自分の話⋯今本当に詰めて通って、とにかく早く良くなりたいです!決定がおりている7月にとにかく詰めて通いたい。

    ・先生、院長先生の話⋯今後申請がおりるか分からないという不安の話をお聞きした。いつ来てもらっても構わない。


先生がお休みの時以外、引き続き通い続け、数カ月の蓄積を早く取り去って、現状維持を超えて改善へたどり着きたい。そして、早く仕事をして自立をしたい!

行動: 午前11時半ごろ鍼灸院へ。今日は学校を休んだ子どもさんと歩きで行ける。治療箇所を都度調整しながら。生活の活動量まだ普通には戻れないが効果もあって活動量は増えている。まだ引き続き頻繁に通う。


数日前くらいから、急に何か思いついたり、急に何か考えたり思い出したりで、急に泣き叫んでしまうことが多い。子どもが居ても居なくても。

子どもには、あなたのせいじゃない、我の病気のせいだというが不安で一緒に泣いてしまうこともある。その時には泣きながら抱きしめ合う。


急に怒るとかも増えてきてしまった。急に大声が出る。何度も注意など言っていることを子どもがすると、冷静にコミュニケーションが取れない。


とにかく仕事がしたい。仕事して自立したい。

今日は、叫びだしそうな精神状態だと思った時に、病気になる前は頭も動いたのですぐ文章を書いて落ち着かせていたが、病気になって、特にそういうときには文章も書けないので、気分を落ち着かせるために、なんか適当に声を出して歌ってみた。これが結構良かった。歌うことに集中し、差し支えない、非攻撃的な大声も出して落ち着いた。子どもさん与える不安もない。しばらく適当に歌って、落ち着くまでやってみた。


今週、かかりつけ医の診察があるので、何か薬があるか、あるいはうたっていることについて言ってみようと思う。声を出すストレス解消法を見つけたと。うまく歌えない時もあったが、今は変なる時もあるがいちおうそれなりに歌にはなっている。


なんですぐ人のせいにしたり努力しなかったり親切じゃなかったり勤勉じゃないルールを知っていても守らない、そういう人たちが当たり前に大きい顔で働いていて、それはわたしの今までの職場で、見てきた世の汚さ、

なぜ高潔に使命や責任感を背負って限界まで働いてきた我はいつも蹲っていて、まともに仕事ができないのか。神様に乞食をさせられている。弱い立場。誰にも感謝されないどころか、いつも監視され直接的に何の恩義も無くても常に感謝を求められる立場信仰者なので尚の事それが努めだった。いつも目線は役立たずで怠け者で、働かざる者食うべからずなのに。そういうこと。親から見た子、その立場。養ってやっている。そういうこと。

でも仕事については、訪問看護さんが、腰が治ったらすぐ一緒に探しますよと言ってくださる。でも、それではなぜそもそも我の腰の調子は悪いのか?そこに問いは戻ってくるのだ。


無論、割と直接的には、生活保護入って半年ほどで尾てい骨骨折。でもレントゲンは異常なし、しかし引っ越し当初の、交通費を節約するために隣同士の市を自転車で行き来し、特に市役所があっちがこれが必要こっちはこれが必要で買い物もあり、ほぼ連日3〜4時間は漕いでいるという状況が、真夏の1ヶ月のくらい続く。それで秋口に腰が立たなくなり、救急搬送、腰の治療はもとはといえばそこからだ。しかし、出産時にも坐骨神経痛で、1ヶ月は座れず、室内を這い這いで移動していた。当然のように2ヶ月目からの育児はワンオペ、生活費をもらえず2ヶ月後から自宅で在宅ワークをし、半年後から2年ほど、週2回は近所の鍼灸整骨院で治療を受けないと生活ができない状況だった。


でも。もっと元を辿れば。


いつも。子ども時代の記憶ときり離せない。もっと食べろ吐くまで食べろの煽り、度重なる過食、心臓病で同じ病気のひとたちは、か弱い感じでいろいろ出来ませんで通してきているのに父親の方針で休日にマラソンに連れて行かれたり、そもそも誰の面倒もフォローなかった学校生活では当然のように体育もプールも休んだことがなかった。すごく疲れてすごく嫌だったけど、休むという選択肢が無かった。健康的だからとその後選べる部活はぜんぶ運動部。10歳を超えるくらいにはもう父親にいちいち言われずとも自分から父親の指示を生活に取り込んで自分から従い、自分はひとより2倍も3倍も体力のあるほうだとおもって身体をこき使ってきた。

それで急に太って、身長が伸び切ってから一切変動のない体重。それが自分のありのままだと思っていた。

一見すると普通体型。BMI的にも標準。でも実際は筋肉などが骨に擬態していて、いま本来の姿に近付いてはいるけど、こんなに骨が細かったんだ…となる。

一人前も、仕事くらいまでは大人の大盛りくらい食べて活動していたが、胃が受け付けなくなり、一般的な量になり、そこから半分になり、さらに半分に…

いまは給食すら食べ切れなかったろう少食の感じである。たしかに母がまだ生きていて、わざわざの運動をさせられてなかったときは、すごく少食で、え?それだけ?とはよく言われた。平均値から離れた個体だって言うことを親は教えてもくれなかったし、心臓病のことはハンデだから誰にも喋っちゃいけないとずっと思ってずっとほとんどの場面で隠していた。

行動:午前11時すぎ鍼灸院へ。なかなか回復しないけど頻繁に根気強く、今日も細かな具合を見て施術してくださる。立派な治療行為だけど公的な取り扱われ方がいまだに、それで施術といった方が良いのだろうか。


移動はほとんど自転車。普通の人の速度で歩けない。でも家で家事を最低限は施術のおかげで、たまに横になって休みつつ、出来る。早くいまの院で先生に数ヶ月前のはじめての施術で一気に良くなってたくさん歩けるようになりたい。そうなると好循環に入れる。でも自費で回数を我慢しておさえて通っていた分で長くの蓄積がなかなか取れてくれない。


訪問看護さん:今日も割合喋れる。


昨日の朝すごい調子が良かったので審査請求など問い合わせしたことをお伝えし、あとはひたすら早く自立したいです、と言った。

なぜなら、先週は信仰に入ってからの、自分は間違っていなかったということが分かったことだったが、今週はさらに小学生の同級生からの扱いを振り返り、それでもそういうふうに扱うほうがおかしいということの気付き、つまり、イエス様を信じて本当に生まれる前からの、500年前の前世の洗礼にもかかわらず神様の望む愛の道を踏み外したその懲らしめ裁きの500年の延長で今世があった、それすらもすべてゆるされて、すべて神様と人間には何があっても神様がいつも正しいが、人間と人間とのあいだで起きた出来事はそうでは無い、そういうことを気付いて、つまりわたしはむしろ親に気に入られ生存するために親の罪をコピーし、社会でうまく生きるために、エゴの罪から離れるように、や、最低限の暗黙の了解や時間を守るなどの一般の育ちの人からしたら当たり前の生活習慣を、ついに丁寧に教えられたことが無かったが、それをしていくために生かされていると。


教えてもらえない人たちがたくさんいるのであり、当然のように知っている人たちに利用されたり、あるいはバカにされて仲間に入れなかったり、いつの間にか孤立して悪い立場になったりする。


仕事については、まずは腰を治して欲しい、そのうえでいつでも就労のサポートは訪問看護チームでできるので安心してほしいと言われた。できれば作業所とかじゃなくちゃんとした自立できる仕事がいいとは伝えたものの、仕事があるかは神様の御心次第である。でも聖書的にも働かざる者食うべからずだし、世間からの見られ方に飽き飽きうんざりして、それでもわたしの世の中の多くの常識とは違った価値観や考えが、もちろん行動には罪あったが、しかしそれらの基本的概念が神様の御前に、一切間違っていなかった、そのことで再びこうして喋れる時も増えて、ただ腰はじめ首肩にも響いて来てしまっていて、そのことの回復がなかなかという様子で、アドバイス通りに腰の改善を先に優先ということを了解ですと。しかし、強い意志をお伝えする。今度こそ、かなり体力的に制限されたはたらき方になるかもしれなかったが、また社会に放り込まれてもだいじょうぶかなと。わたしは間違っていなかった、周りの人の目や対応に、そこに罪があってそれは神様の御心ではなかった、神様の前には上下関係は表面的にはあっても、人間同士なら誰もが本来対等、世話してやってるとは親もよく言ったが、その立場から惨めのことになるのは、信仰に入ったら生活保護で周りのそういう目線があったが、どちらも、わたしは間違っていなかった。いくら力や経済的な差があったとして、それによって弱いほうをいくらでも搾取して利用して支配していいはずがない。だから日本の普通参政権も、女子教育も、文明開化でキリスト教で宣教師が一気に入ってきて、あるいはエリート層がこぞって欧米へ留学やらの教育やらから、進めたことであって、2000年前にイエス様が復活されてから地上で綿々と行われてきた人間同士の対等化、それが日本では少し遅くて500年前にはじめてキリスト教でイエス様や聖書が入ってきたわけだから、それでやっぱり下の立場の人間がおかしいってなってきているのが社会的な毒親関連作品の流れとか、昭和の女性が押し付けられてきたあたりまえからの解放のいろいろな主張や流れで。わたしも信仰からそれをしなくては。そのこと。

役所とのことを進めるにあたっても、自立して日常的に生活が大きな干渉を受けにくい立場になっておきたい。


ちなみに、先週は別人みたいでした、と慎重に言われた。自分で気づきましたか?と。言葉のスピードも全然違う。わたしは、まったく自覚なし、ただ今日もそうだったが、かなりはっきりたくさん喋れたような記憶はある。でも今日もたくさん喋った。でも今日はいつものわたしだったみたいで、安心しましたと言ってくださった。先週だいじょうぶかな、と言う感じだったそうで、攻撃的だったよう。なんとなく、わたしの中の男性が100%でてきたときだったかなと思った。でもしゃべるスピードは、今日も頭に浮かんだもの全部喋れて、それは先週と同じ感覚ではあって、でも結果的に全然違ったみたいだった。考えていることも、今日も信仰や過去のこともお話したし、同じように思っているけど、外から見たら全然違うようだった。


でもちゃんと薬飲んでいるし、水と食事も最低限の量を1日3回、いただいている。内容もタンパク質や、たまに鉄分も意識して取っている。来週土曜には定期の診察なので、あまり心配しないでいはずである。

この日は朝からまるで普通の調子に戻ったかのように頭も働き、言葉も喋れる。動くなら今かと思い、担当の施設に審査請求について問い合わせしてみる。


・電話1件:上級庁の担当窓口に電話で審査請求について問い合わせ。簡単な事情と経緯説明をし、今後の手続きの流れについて説明を受けた。期限の確認など。また、開示請求については、審査請求の途中で見たい資料が出てくるとも限らないので別でしたほうがよく、そのこともご案内くださる。ちなみに、審査請求がいま込み合っているみたいで、手続きや信仰にも時間がかかりそうなこと。


きっとこのことはわたしと同じ市区町村だけでなく、とくにはこの地方だったかも知れないものの、ひいては日本のあちこちで横行していることだろう。まあ、自己顕示などの建設や設備広告等の的外れの充実で支出がかさみ、財政の緊迫もあるだろうがやりやすい所を削って税金の支出を減らす手柄を立てる、こういう考え方があちこちではびこっているのである。


電話ののち、5月19日からの支給については「本人がその決定のことを知った日付」がこのブログのとおり6月12日となり、9月12日が期限となると、改めて確認。頭が冴えているのでこういう確認ができる。しかし以前から電話で「19日から」 と言っていたと主張される可能性があるが、こっちは申請書類にある医師の同意の日付、4月19日のことかと思っていたため、完全に5月19日だと知ったのは、6月12日の鍼灸院さんからの電話であった。少なくとも5月1日からは出るだろうとふんでいた鍼灸院さんも、その日電話でけっこう驚いていて焦燥の様子だった。


つまり書類を準備し、9月12日までに送り返せばよいが、その間、キャッシュバックの件や、もし他の決定通知に関してのことがあれば、合わせて審査請求をする所存である。複数件合わせて、のことについては、今日の電話口では鍼灸治療費のことに限って話を進めていたので、具体的には相談も頭に思い浮かばなかったが、用紙に書き連ねたり、あるいは投函の際までに、改めて分けるか、合わせて良いかを問い合わせしようと思う。


窓口対応は懇切丁寧で良心的、話がすぐに通じて理路整然とした回答があり、わたしは地方政府の判断が公正明大でないことを想定した、人間の罪について知り尽くしたゆえのこの制度、生活保護制度と合わせて過去の善意のエリートたちが人生を費やして整えた制度に、また現在のエリートたちが善意と社会正義を胸にはたらいてくださっている、そのことに思いを馳せイエス様の救いに感謝した。


わたしが神様に出会う前、自分の見つけた社会の歪みばかりに気を取られて、井のなかの蛙になり、怒り感情的になって味方を次々に失っていき、そうやって他に戦っている人たちがいるということ、それでもこの悪魔の治外法権の地上社会で、それでもまともに生きて真っ当なことを神様の義を実現しようとしている人たちがいるのだという、実感を失っていた。今私はとてもイエス様への信仰によって、このような状態にあっても、必ず助けは得られるという精神的安寧に包まれている。なぜならわたしはエゴではなく、わたしは神様の必要を行っているひとつの善の歯車であり、日和見菌を味方につけて悪玉菌と戦おうとしている無数にうごめいている菌のうちのほんのひとつの菌なのである。わたしが善に踏みとどまる限り、神様は必ずわたしを守ってくださる。


ちなみに、生活保護が無ければわたしはとっくに野垂れ死んでいると何度もあちこちで言ったり書いたりしてきたが、当初具体的にどういう制度にするかをエリートたちが細かく内容を詰めていったのである。もともとは善意の制度である。しかし、あまりの手厚さに欲深さやずるさ、怠惰による不正受給が増えたり(わたしが怠惰なら、そもそも解離性障害になっていない、怠惰でないのに、怠惰だと思われ続けてそれをそのまま受け取ってきて自分を殺されるがままにしてきたのだ) 、そのことでどんどん支給範囲や支給額も狭く小さくなり、あるいは受給者に群がるようなビジネスが発展したり(巷より高い価格で取引されるなど) 、それで今は事実上の最低限度、難しい生活を強いられる立場になったと思う。働かざる者食うべからず、は多くの受給者が直面する精神的迫害であり、半分以上は高齢者であるが、そもそも正社員でなければ生活費の半分も出ない破綻した年金制度の受け皿となっている。年金制度をあれこれ批判してはそのことに合わせて言及している人はあまり見かけない。夏場にクーラーを設置できずに熱中症で死亡する老人は、間違いなく生活保護で、安い物件で、エアコン無しの場合に、その支給認定がおりなかった場合も多く含まれているだろうと思う。わたしは幸い幼児の子どもがいたので、若い女性職員が必要でしょうと手続きを進めてくださったが、引っ越し当初の面談では当然のように、まあ、窓を開ければだいじょうぶでしょう、と言われたことを忘れはしない。その時に主張できるのは正常な人間、できないのは搾取されることに慣れ、主張すらできなくなって弱っている病気の人間や、知能の衰えていく老齢者だ。脱線した。


ともあれ、たくさんの人たちが神様の義のために働いておられるのである。イエス様が既に復活なされた紀元後の世界、この世に、イエス様によって、味方がたくさんいるのである。揺るぎない復活のイエス様のお力こそ希望。


必ず、最後には神様の義が示されるだろう。そして恵まれた人たちについては、人間ではなく、神様を恐れるようになるだろう。


引き続き、信仰者として、自己の心身管理と足元の生活、いろいろのことを殊更に悔い改めて神様に仕えることをいっそう、励まなくてはならない。


ユニセフの募金を、就職当初から、ときどき払えなくなったりで少額で続けたりだったが、生活保護でも、払えるときは払っていて、当初まだ腰の調子がここまでと思っておらず2026年2月に再び再開をして、毎月3000円を寄付してきた。それを情報誌が届いて気付いて、最近は流石に経済的に水道代すら延期してしまっているので、それでも収入が途絶えるわけでもない、食費もかなり節約している、月500円に減額した。

なぜなら水インフラに関わる状況が一番最近の情報誌のテーマだったが、信仰以前からわたしの判断にかかる問いは常に、おまえは同じ生活ができるのか?ということであって、わたしはこの情報誌の明かすような情報に、決して同じ生活はできないと思う。無理だから、せめてお金を支援するしかない。そういうことである。


だから全ての支援するかの判断への問いは、今回の市役所の一連の


 おまえは同じ生活ができるのか?


そのことのみであって、他に相手の人間性や価値観など、一切判断には関わらないのである。同じ生活ができないなら、そうでない今の生活に感謝し、少しでも金銭や、あるいは精神的関心を、分け与えなくては、何が隣人愛だろうか。神様が見ておられる。

わたしに関しては、しかし足元、自分の子どものこともあるので、しかしそれでも、広い世界の多くの子どもたちより生活環境は遥かに恵まれて良いし、じゅうぶんに素晴らしい教育も受けられているので、親としては少しで満足できるところはしてもらわないと、そしてその満足を軽々とできるような愛で育てていければいいと思っている。


そもそも、わたしも、病気なったが、それは自分のせいではなかった、自分は間違っていなかったと最近一連のことで強く思い、改善を目指している。わたしは家庭環境、親の価値観を主な要因とし、精神的には酷い苦痛を伴い心身に強い歪みが残されたが、しかし物理的に多くのよい教育現場でよい教育を授かってきた。また信仰以前から社会正義や公正明大さについて常に考え世の悪を悉く聞いた話や自分の体験からも知ってきた。ぬるま湯育ちが一生触れ得ない社会、心の闇。どうあがいても抜け出せない貧困。それは全員が与えられているものではない。それらをどうにかして最後まで、イエス様に救われた以上、神様のために、用いて活かさなくてはならない。こんなところで、いつまでもうずくまっているわけにはいかない。


しかし、すべては御心のままに。わたしはひとりでは無力で弱く、明日もまた鍼灸へ行かなくては、まだ普通の生活もいまだにままならないだろう。どうにかして7月中に、せめて身体だけは、もう少しまともに動けるようにならなければ、しかし、「弱い時にこそ強い」、その聖書に記録される確かなかつての信仰者から語られた神様の言葉が、身の上に実現しているのをただただ感じる数年間だった。分からない…

行動:鍼灸院へ。朝11時ごろ。わたしは書類受け取ってないので、前にコピーしてもらったのは5月分の一月に一枚の役所から鍼灸院への書類、それで7月からちゃんと公費、保険で受けられるかでそのこと受付さんで確認してから施術に。7月中はだいじょうぶですとのことでずいぶん安心をした。でも相変わらず施術後も階段のぼれず、すごくゆっくりしか歩けない。


以前のように改善が劇的でないものの、7月中に、週3を続けてしたい。審査請求や、開示請求にあたって、直接、都道府県庁の窓口へ行ったりしなきゃいけないかも知れない。夏休みもはじまる。考えることが多くて辛い。でも正直説明のA41枚以外、何の資料ももらえなかった鍼灸の空白期間については、いつが、3カ月の期限の尾起算日なのかが分からない。だから、最悪継続の申請書類を提出した4月20日ごろからとすると7月中か8月頭には、その期限が到来している可能性がある。だから、電話とかして早く一歩目を踏み出さないといけない。説明を受けながらじゃないと難しいとなると、郵送で、じゃあ電話でどこまでサポートしてくださるか、分からない。問い合わせるしかない。


行動:午前11時ごろ鍼灸院へ。この時間帯が空いていそうと、土曜の時の様子や会話からなんとなく察して、今まで朝すぐ行っていたところを調整してみる。そうかも知れなかった。時間の調整がきく立場なのでできるだけ忙しい時にならないよう気を付けたい。相変わらず首肩、右腰、ずっと10歳くらいから、右のお腹にうまく力入らず、それで歪んだり、鍛えそうとしても外側の筋肉しかつかずで立っているときも傾いてる、そういうことがもう長年。先生は、もともと筋肉つきにくいのかも知れないですねと言っておられる。とりあえずやはり1回2回ではどうにもならなさそう、引き続き頻繁に通って、様子を見ていくしかなさそう。施術後も、おそくしか歩けないので実用的自転車、でもサドルの揺れがいつも痛いし怖い。あと振動が痛いので、階段は1歩ずつ、ゆっくりでないとのぼれない。


郵送2件

1,市役所からの保護変更決定通知書(6月25日)

    6月分と7月分の計算2枚(写真参照)

    以下電話で、内容確認したが、BIGLOBEの8千円のみの控除と、4月からやや増額の児童扶養手当分が合わせて、7月分の支給から差し引かれているということらしかった。5月に3月と4月の2か月分の支給があり、その4月の増額分1360円を7月の支給額から差し引いているらしかった。


2枚目の青文字は、電話で説明を受けながら書いた数字のメモ。






5月に支給のあった児童扶養手当、それを6月分の保護費から差し引いていないのも、役所のタイミングとして、何かどこかで遡って切り詰めてやる所を探しているような不信感を抱いたし、


そもそも物価高などを鑑みて増額しているはずの児童扶養手当を、何年も増額していない保護費の決定額上限ことで結局増額分が差し引かれるのは、変だと思った。保護費の決定は市単位ではなく国が一律で行っているらしいと担当さんが電話で教えてくださった。なので、国となると、最高裁判所まで、行く必要があるかも知れなかった。


そして、鍼灸のことだけじゃなく、この7月分の保護費の調整(キャッシュバックの取り扱い、そして児童扶養手当の増額の取り扱い)についても審査請求からの裁判になるだろうと思われる。十分その理由がある。キャッシュバックについては当然他の自治体や取り扱い例を検索して知っているのもあり、8千円差し引かれるならまだ分かるが、そもそも差し引きの実質料金を見て契約している。そして、児童扶養手当については、その増額の理由が明らかに物価高だった場合に、それの影響を生活保護世帯だけが受けていないという、実質的にそういうふうに考えていると見做せる取り扱いになっているのが、とても公正で無いし、神様の御心でもないと思われる。


2,住宅管理者から、生活保護受給者証の提出依頼の書類。年1回の定期確認。

    電話で、市役所の方がちょうど他の方の分も送るので合わせて市役所から送ると言ってくださり、外出の手間が省ける。その後住宅管理者に、電話でそのことを伝える。市役所から一括して必ず送るようにしてくださればいいのに、そう思った。あるいは住宅管理者から、市役所に直接請求してくださればいいのにと思った。タイミングに救われたが、市役所に行き帰りのエネルギーと、あと切手代を失うところだった。


電話2件

1,13時ごろ市役所福祉課へ発信 郵送の1を受けて、生活保護受給者証のお願いと、通知書の数字の内訳の確認。あとは、なんとなく物価によって保護費って調整されるんでしょうかと聞いてみると、さきほど書いたとおり、支給額の基準が国で決められているそうで、市単位の決定ではないので、今後のことはなんとも言えない、そういうことを言ってくださった。

2,13時過ぎ住宅管理者へ発信 さきほどの生活保護受給者証が直接市役所から送ってくださることを申し伝える。

早朝、未明、肩と背中の痛み違和感で目覚める。腰の調子は、昨日一日家だったので訪問看護さんの時には、しばらく通うけど良くなるかも知れない!と意気揚々に言っていたが、やっぱり今日も午前中やっているはずなので、子連れになっちゃうけど、自転車で行こうか迷う。雨もやんだみたいで、あと動けそうにない。腰の調子から姿勢維持が筋肉がうまく使えずいつも少し動いたりすると首肩までの違和感になってくる。たくさん歩くと足首や足裏まで。身体全部繋がっている。さいきん考えすぎも疲れるねと言って頭に鍼を打ってくださってそれもとても効く。なので今日いけたらいいなあ。


余談。日本列島が未曾有の欠乏に直面するのもそう遠くない。各地の立て続けの地震がそれを物語っている。今までの生活の当たり前が嘘か幻のように消え去っていく。モノが消えヒトが消えマチが機能しなくなる。経済政治の混乱、無能の支配者は神様の怒りをあらわし、有能の支配者に恵まれればイエス様の救いをあらわす。火事場泥棒に注意せよ。質素倹約に努め、少しでも満足できるように心と体の備えをし、魂をいつも神様のみ前に裁かれないように、人義に気高く隣人愛に生きなくては、ひとりずつ神様に相応の応酬を受けるだろう。タワーという韓国映画を思い出す。この5年ほどを経てまたたく間にイエス様の御名と神様への恐れが広まるだろう。ぬるま湯しか知らない日和見の人生を送ってきた人たちが地上の本当の地獄を知り、天国を渇望することになる。だからまたたく間に信仰が広まる。今まで信仰を必要とせず信仰を迫害してきた人たちが、イエス様にゆるされ、イエス様にひれ伏す時が来る。


行動:午前11時ごろ鍼灸院へ。子連れ申し訳ないが迎え入れてくださる。子どもさんも本見て大人しくしてくれて助かる。少し良くなって買い物して帰るが、やはり4月の通い始めと異なり、蓄積があるようで、1回ではどうにも回復しなくなってきている。しばらく頻繁に通うことになりそう

今日は台風により子どもさんも昨日からやや体調が喉が痛いなど言っていたので、学校お休みする。明日も何かイベントがあったがお休みする。


鍼灸院へ行くなら、子どもを一緒に行く必要がある。どうしよう。そうなると自転車に子ども乗せたり、これはすごく重いし、ふらふらしてしまって怖い。ひとりで自転車乗れないので、お留守番も自分の幼少期のことは一切引き合いに出さずに、低学年のうちはやっぱりしない。鍼灸院行きたいが、もはや行くまでの体力も残っていない。どうしようかな。


朝から昼にかけて何もせずに、やや動けるようになり、雨なので行くほうが大変なのもあり、鍼灸院は月曜にしようかなと思う。


子どもさんと部屋の片付けをしながら、昨日の先生たちとの話もありつつ、心の状態と喋りの調子がすごく整っている。


訪問看護さん: 昼12時から。ものすごくよく喋れる。

    ・自分の話⋯昨日役所からの手紙を学校に渡したまま返ってきていないので、また返してもらう。連絡帳で現在の精神的・肉体的・経済的な状況と経緯を簡単に学校に共有し、昨日の先生たちとのお話しに至る。

なので書類のことでなく、昨日の先生たちとのお話の内容など、あと信仰上、昨夜と今朝思い巡らすにつけ、はっきりしたなと思うことを、お伝えする。すごくよく喋れてすごくよく頭が回って30分間その場でも考えながら一生懸命、一方的に話す。とにかく伝えたい情報量が多いので、早口でまくしたてるようにして。



内容の詳細は、以下に書くが以下の全部はお伝えしてないが、大まかには、信仰以降の出来事、特に発症前後、発症してからの出来事は、わたしはなんにも悪くなかったんだという強い実感が、昨日からあって、気持ちも穏やかで、意識もはっきりしている、そういうふうに言ったと思う。このまま生きていける気がして、今度こそ完全に立ち直ったので、ぜひそのうちに仕事をしたいと言ったりもした。


信仰のことは、つまり昨日の出来事によって、ずっと3年前にイエス様に救われてからは、今までの人生はぜんぶ自分の生まれ持ったあるいはその後の罪ゆえだったと気付かされて、それが今後の人生で一切ゆるされたというのが腑に落ちなかった。祈祷会では全部私の罪でした、と泣きながら祈り、諮問会でも、もう絶対に罪を犯したくない、絶対に天国への道を踏み外したくない、だからマタイ5章冒頭を踏まえて、今までの人生自分の罪ゆえに迫害されてきたが、これからは義のために迫害されたい!と泣き伏しながら言った。

引っ越し後も発症後も起きること全て罪深い自分が懲らしめられたり裁かれたりしてるだけだと思って、余計に意気消沈したりして這いつくばっていた。神様に全自分を否定されて信仰に入ったので、そう思っていたので、そういう感じで、何が起きても不平不満など口にしてはいけないと思っていた。

でもやっぱりこの数ヶ月のことは明らかな理不尽に基づいていて、それは周りのかたがたとのコミュニケーションの反応などで分かり、神様の戦いのこともあり、これこそがこの地に遣わされてきた意味だと思ってやっている。

自分は、イエス様への信仰によって、本当にゆるされたんだという実感が、信仰後のことはわたしは実はなんにも悪くなかったんだという、そのことがこれからきっと、数年かけても、次々に証明されていくだろうと、そういう気持ちでその解放、悔い改めによるゆるしってそういうことか、本当にイエス様と出会って信じたら過去の享受してきた理不尽とすら神様はたたかってくださる、それを実感した、そのことを一生懸命お伝えしていた。わたしを見て、きっと多くの人がイエス様を知って神様をおそれ、信仰に入れられるはずだと。


ヤコブの手紙4章7節