昨日かおとといに子どもが学校からのお手紙で未納の6月分の学校徴収金のお知らせを持ってくる。なので、昨日の夜、以前電話でお願いした通りで、経済状況が変わらないので、8月25日でいいといっていただけてできればそのことがありがたいがどうか、そう書いた。それだけだと微妙に思ったので、何故そんな状況になっているのか、最近の役所にやり取りに関して鍼灸治療が思うように受けられて来ず、それで精神面と肉体面、それから経済面も数ヶ月苦境があり、今までの分があるので苦境が続きそう、そういうことをたくさん説明して書いた。もしわたしのそういったストレス学校で子どもさんが出ていて迷惑をかけているといけないので、そのへんのことも書いて状況説明をした。


すると、子どもさんの持ち帰ってきた連絡帳に、たくさん愛のあるお返事いただいた。学校徴収金はそれでだいじょうぶに、子どもさんも何の問題も無いということなどを。感謝。また7月に懇談もあるが、やはり再三の学校徴収金の請求にお願いする必要があるのがすごくプレッシャーがあったが、思い切って事情を詳細に説明してみて、とても良かった。

行動: 朝8時半、自転車で鍼灸院へ治療に
    ・自分の話⋯昨日役所から説明の書類が届いた。(コピーしていいですか、どうぞ) そうしてはじめは5月19日書いてある書類のコピーもください言ったが入っていなかったので、昨日電話して聞こうか迷ったけれども、きょう先生にみてもらって、あと金曜日に訪問看護さん来てくださるので、理解力が低いので、一度相談しようと思った。
    ・先生の話⋯ぜんぶ相談してからで良いと思う。書類は5月19日ではなかったはずだが書いたのが本部の人間。部署が違うのでまた確認する。書類の後半、整形外科の受診については、また時期を関係者に相談して決めてください。
    ・自分の話⋯一番初め、引っ越し前の市で、尾てい骨骨折の時にお世話になった整形外科に行って、レントゲン異常なし、どんなに痛くても、鍼灸なんて治療と認めない書かないの一点張りで困ってしまった。(それで当時の鍼灸の先生に相談して普通は主治医と言われ精神科の主治医の先生にお願いして書いてもらっていた) 併設の整形外科で安心助かる。
    ・先生の話⋯昔よりは書いてくれる(整形外科の)先生は増えたように思う。併設だとやはり書いてもらいやすい。また、申請資料の見積もりに依らず、必要なだけ治療を受けに来てもらってかまわない。

施術後も、すごく良い治療だったにも関わらず、今までの蓄積か、本当にゆっくりしか動けない。でもお陰様で買い物にはいける。先生にも、衝撃が怖い、とにかく痛いのと力が入らないのとで階段も歩くのも控えている、と言って治療を受けた。スーパーではお年寄りのほうがわたしより早く歩いておられた。

ぎっくり腰が鍼1本で治ったり、効果も費用も格段の素晴らしい治療法なのに、日本では仕組み制度上も資金上も、あるいは世間の人からの扱いも、西洋医学が幅を効かせていて、多くの人たちにとって本当の駆け込み寺になっている東洋医学が、長らく迫害されているように思う。市役所での基本方針もそうだ。コロナ禍で医療現場の権威や幻想が壊れ、その闇を多くの人が知ることとなったろうが、公的な判断の基本方針となる制度やルールを決めている国が動かなければ、そんな一朝一夕で変わる話でもない。でもひとりひとりの中では確実に違和感は蓄積されているようだ。

状況: 施術後、食品等の買い出しに。行ったあと疲れて部屋の中は四つん這いで移動。夜の、子どものご飯も考えなくてはだが、レンチンにしても立つ必要があるのであとは休んでおく。節約があるので出来合いで楽はできない。でも、涼しいので掃除洗濯お風呂多少おいても平気なのが助かる。他の家事を省略してできるだけエネルギーを節約して休んでおくしかない。

ありがとうも言われずごめんも言われずただ親の満足のために生きた幼少期からを思いだして少し泣く。

薬を服用し、食べ物も水の聖書の教えの半量も喉を通らない。
郵送1件: 朝9時頃、郵便受けに、役所の生活保護担当部署、わたしの担当さんから以下のA41枚のみ。以下のように、書類の日付も分からないし、消印も分からない。
朝、子どもさんがもちものを忘れて出かけたので、歩くのが遅いが、とにかくゆっくりでも追いかけるようにして、学校へ届けた玄関くらいですぐ先生が受け取ってくださって助かった。なので朝から郵便物に気付けた。昨日の午後、子どもを迎えに行った帰りに必ず見ているので、それ以降に届いた。
やっぱり、文字を読むのも理解も難しいので、前Dz半はとにかく鍼灸院からの書類5月19日からだったということの、たぶん電話で聞いた説明なのだが、それがその時必ずその5月19日書いてある書類のコピーも欲しいですと言った。なので、それは何の説明も無く同封がなく、これについて電話してもう一度お願いするか悩んでいる。よくわからない。
後半部分はもっとよく分からない。いったん、2年前の9月ごろ、正規の手順を以前踏んだが、その時の、引っ越し前の尾てい骨骨折を入院して診てもらった整形外科の先生は、レントゲンで異常なしの所見、鍼灸治療なんて書類なんて書かない!というので、痛み止めでも車椅子で院内を移動するくらいで、仕方なく見かねたスタッフさんがリハビリステーション杖をこっそりかしてくださり、タクシーで帰って、市役所の当時の担当さんに相談してから、このままでは子どもを自転車でお迎え最低30分かかる、そのお迎えにもいけない、相談してから、近所の以前の鍼灸整骨院にかけこんでなけなしの現金でなんとか1回施術を受けられ、あとからすれば一時期にだがかなり動けるようにはなった。それで仕方なく鍼灸整骨院の先生に申請を相談して、普通はかかりつけの先生に書いてもらうものだと言っていただいて、精神科ではあるが診察時にお願いして書いてもらった。

明日、また鍼灸院へ行くときにこの書類を持っていく。以前、確認しますと言ってくださっていた。それから、5月19日より前に提出したはずと言っておられた。よく分からない。
また、後半部分も、今後どうしたらいいか、相談する。いちど併設の整形外科は、そのうちに検査したほうが良いとは言われていたので、7月末まで決定していて8月あたりに整形外科受診するのかも知れない。いずれも先生に相談しながら。でも8月に整形外科へ行って、やっぱり鍼灸じゃないと治療できないとなって、それで必要性が変わらなくて、それで結局書類がなんやかんやで、8月分が自費になってしまうのだろうか。

そもそも学校に支払うお金も6月から、支給が8月と2月の年2回にまとめてだから、しかも教科書も細かく一個一個の内容みて、それらが全部認定なるか分からない、そんな状況でいくら帰ってくるのかも分からず、ずっと、お金の心配が尽きない。

そもそも、2022年7月当初、引っ越し前から、一切1円たりとも保護費があがっていない。

プレミアム商品券の支援など、独自にいろいろしているのも、どちらの市も例外でなかったけど(国主導の低所得層向けなどの支援も含む) 、そもそも1年に1度あるかないか、ほんとうは毎月1万2万の単位で支援があるなら努力も認められようが、そうして結局食費は毎月どんどん右肩上がりでかかり、そうして毎月支出がある、将来の収入があるからと言って、あらかじめの補填ならずにあとから補填では、貯める余裕など無い世帯は飢え死にを用意されているようなものだ。それでいてどこの自治体も市主導の再開発や新しい商業施設の建設必要以上に綺麗で家電などの整った施設用意に余念が無い。実際、低所得層の世帯の家よりも、はるかに良い環境がそこにあり、子どもの遊び場に自宅には絶対置けない空気清浄機などがあって、なるほどそれも税金である。引っ越し前は環境があまり良くなく子どもの病気しないように欲しいといったことがあるが、ぜいたく品みたく扱われて取り合ってはもらえず、お金を借りる対象品目にもならず、なんとか自分で貯めて脱臭機を買い使っていた。ひとりひとりの生活を良くするとかではなく、大雑把に市政府のあるいは市の印象として見て分かるものにお金をかけている印象がある。子ども家庭庁の地方政府版が、まあ国はそういう写し鏡でもあるのでどっちが先かは難しいものの政治現場の考え方ややり方の価値観の流れはだいだい同じである。毎月の必要経費の算定の内訳は、なぜ市場価格の食費と連動しない?この4年、あっという間にいろいろなものが値上げし、たまに10個100円で買えた卵も今や10個300円が普通。個々人の工夫や食生活の適応、その知恵、snsみれるなら、わたしもさいきんやっと見れるようになった、去年とかはそういうのも見れる状態でなかった、工夫を共有し合って知恵を借り生活できるものの、スマホあまり使わない天涯孤独の高齢者は?そもそも、保護費の算定においての食費は、単純にスーパーでの食品の価格、食生活のロールモデルを作ってそれ計算して中央値を取るべきではないのか。物価連動じゃないと、簡単にどんどん実質保護費が減っていくことになる。そもそも最低限の暮らしをしている人間に食品やペーパーなどの日用品以外のものを買う余裕はなく、機械系の利便向上や価格低下の恩恵は普段受けることはない。食費が2−3倍になることによる打撃の程度は各家庭のエンゲル係数により決まり、明らかに保護世帯は拠出のほとんどが食費あるいは日用の消耗品が多くを占める。給料が増えない嘆きもあるなか、このことについて、いちばん最低限の金額でやりくりしている保護世帯へ、世間は仕事何もしないのにと世間様の目は冷たいわたしは4年間それに耐え忍んできた。引っ越し当初に市役所とのやりとりがきつすぎて、そもそも言ったことが子どもの預け先もぜんぶ相談してそのとおりにしたのに、フタを開ければ期限が過ぎてますで7月はほとんど難しく、市の無料施設に遊び場に言って精神的苦痛から、耐えきれず泣いていたら、子どもさん場の雰囲気で遊べてよかったが、大人のわたしにたいては、何この迷惑な空気を壊さないで欲しい、みたいなスタッフの無言の圧力、結局心身に余裕ある人たちだけの遊び場、わがまましか言わずにいくら説明しても理解しない自分の要求ばかりの子どもに、今にも手を上げそうになる自分を狂気になりそうなのを、首の皮一枚で信仰によって正気に踏みとどまって、市の無料施設を頼るようにしてがんばって連れて行っても、そのような仕打ち、6月7月の市の対応、8月9月の元家族の対応によってわたしの脳及び身体機能はついに本人意思によってコントロールが効かなくなってしまった。9月1日に解離性障害を発症し、中旬に腰痛で動けなくなり出先で救急搬送、そしてかかりつけへ通院もできずに10月に脳検査などいろいろ経てやっと診断がおりた。

ずっと、子どもさんと節約生活、頑張るしか無い。子どもさん、いつも給食でおかわりをしているらしい。でもほんとうはおうちでも、必要なカロリーや栄養を、ちゃんと3食用意してやりたい。(自分は断食も良くするし、数日前から少しずつ食べても、大人なので栄養素度外視で一日600カロリー、水一日600ml程度、それで良い。やすく済ませると3食でも100円で済む。一ヶ月3000円予算にしてしばらく生き延びる予定※) でも料理どころか皿洗いすら何日もできずに溜まっていく状況で、もしかしたら頑張ったら悪化するかも知れない状況で、いつも子どもさん心が満足するように、学校イヤならないように気を付けてがんばらなくてはいけない、学童イヤでずっと行かない、そもそも性格的にわたしに似ていて繊細な感覚過敏ぎみで、環境変化にストレスしやすい、外では何事もなく振る舞ってストレスをため、5歳の冬はいきなり夜中におなかいたい、と言い出し、なんとなく心の問題を感じ、さいきん嫌なことあるの、と聞くと、もう幼稚園いきたくないと言う。それで半年ほど行ったり行かなかったり、2ヶ月くらいずっと行かなかったのもあった。公園すらもずっと行きたがらなかった。次の年の4月から先生や友達がかわって、わたしも家でずっと家にいていいよってケアして、それで時々休みつつも行くようにはなった。周りと比べて父親もない、祖父母もない、そういうのを敏感に感じていつもうっすら我慢していて、それらを美味しいご飯や、欲しいおもちゃやゲームなどで、慰めてやりたかった。当時わたしはろくに文章どころか単語すら喋るができず、あー、うあとか身振り手振りになることもしばしばだった。不安定。時々急に喋れたりもするが、ほんとうにそれが週1回訪問看護さんの時だけ、など。腰痛もあるし、一緒にいるときに何をできるか、遊んだり、喋ったりで安心させられない、ちょっとスキンシップをして、あとは楽しいもので部屋で過ごしてもらうしかなかった。
それでもたったひとりの親も病気でまともじゃないお母さんで子どもさんなかなか心難しい時あって、きっといままでのストレスがあって、わたしも食事の健康バランス考えた世話難しくて、幼稚園ずっとお弁当だった、それで今年4月末に、便秘性の胃腸炎になった。便秘が原因。金曜日の夜にいきなりゲロ吐いて、熱出て、慌てて土曜かかりつけ小児科へ行った。大人も一緒に見てもらえる病院さん、わたしの様子も心配されたが、税金だと思って、だいじょうぶなので遠慮した。少なくともその時は吐いていなかったが、数日後にしっかり吐いて、子どもさんの処方で、実は足りなくて2回もらってから、それから残った分をちょうど飲んだ。ちょうど子どもさん教会のイベント行ったりで休めた。それで、食生活改善しないとレトルトばかりや簡単ものばかりでは、頑丈な身体でなさそうな私達親子は工夫していかないと、できるだけいつも手作り、がんばらないと。子ども守るため、いままでも妊娠からもうずっと子ども守るためどんな状況でもがんばってふんばって耐え忍んできた。3年前からは神様も一緒。一般人の体力の半分も無いけど、一般人2−3倍くらいできて当然の環境で生きてきて活動量の少ないことへの罪悪感、それを付け込まれるなど、自分で無理だと言えない、たすけてがいえない、それ病気、ここまでひどくなってしまった。神様が少しずつ変えてくださって、この件もイエス様の励ましもある。それで頭比較的動くときに忘れないうちに書く。子どもも小学生になったので、それも大きい。大きい子の方が当然大人とって楽なる。物分り良いように育つなら。自分でできること増える、ことばでの指示を理解して動ける、うちも親に様子ひどいなら、もうレトルトチンくらいならできる。健康栄養ことなどことあるのでちゃんと相談して言うが。それでさらに今は、時々赤ちゃん見たくわたしが泣いちゃうのを薬でおさえれば、変な日本語ではあるが、一般生活を最低限のコミュニケーション意思疎通はなんとか、向こうが汲んでくれればできる。子どもさんとも、学校の様子をたくさん話聞いたり、以前より物分りも良くなって、だいぶ。

それから、もちろん訪問看護さんにも読んでもらってこれからのこと、教えてもらおうと思う。

※旧約聖書のエゼキエル書4章10節11節より。似たような状況のエゼキエルへ、神様が具体的な飲食の指示をだされている。神様はエゼキエルを愛しておられ、その必要をご存知だったのは、イエス様も「思い悩むな」と教え、各福音書に記載の通り。
今の地上の常識のほとんどは神様の知恵とはかけ離れているはずだったしそういうことばかりだった。コロナ禍でもそういうことだった。

以下聖書の引用ーーー

エゼキエル書 4:1-12 新共同訳
 [1] 人の子よ、れんがを一つ取って目の前に置き、その上に都であるエルサレムを刻みなさい。
 [2] そして、これを包囲し、これに向かって堡塁を建て、塁を築き、陣営を敷き、破城槌を周囲に配備しなさい。
 [3] 自ら鉄の板を取り、それを自分と都との間に鉄の壁とし、あなたの顔を都に向けなさい。こうして都は包囲される。あなたがそれを包囲するのだ。これはイスラエルの家に対するしるしである。
 [4] 左脇を下にして横たわり、イスラエルの家の罪を負いなさい。あなたは横たわっている日の数だけ、彼らの罪を負わなければならない。
 [5] わたしは彼らの罪の年数を、日の数にして、三百九十日と定める。こうして、あなたはイスラエルの家の罪を負わねばならない。
 [6] その期間が終わったら、次に右脇を下にして横たわり、ユダの家の罪を四十日間負わねばならない。各一年を一日として、それをあなたに課す。
 [7] あなたは包囲されたエルサレムに顔を向け、腕をまくり上げて、これに向かって預言しなさい。
 [8] わたしがあなたに縄をかけるので、あなたはその包囲の日が終わるまで、一方の脇から他の脇へと寝返りを打つことができなくなる。
 [9] あなたは小麦、大麦、そら豆、ひら豆、きび、裸麦を取って、一つの器に入れ、パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数、つまり三百九十日間、それを食べなさい。
 [10] あなたの食べる食物の分量は一日につき二十シェケルで、それを一定の間隔をおいて食べなければならない。
 [11] あなたの飲む水の分量は六分の一ヒンで、それを一定の間隔をおいて飲まなければならない。
 [12] 大麦のパン菓子のようにそれを食べなければならない。それを人々の目の前で人糞で焼きなさい。

https://bible.com/bible/1819/ezk.4.1-12.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

参考、続き

エゼキエル書 4:16-17 新共同訳
[16] また、主はわたしに言われた。「人の子よ、わたしはエルサレムのパンをつるして蓄える棒を折る。彼らはおびえながらパンの目方を量って食べ、硬直した様で水を升で量って飲むようになる。
 [17] 彼らは罪のゆえにパンにも水にも事欠き、やせ衰えて、互いに恐れに取りつかれる。」
https://bible.com/bible/1819/ezk.4.16-17.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

エゼキエル書 5:14-17 新共同訳
[14] わたしはお前を廃虚とし、すべての旅人の目にも、周りの国々にも、嘲りの的とする。
[15] わたしが怒りと憤りと激しい懲らしめをもってお前を裁くとき、お前は周りの国々の嘲りとそしりの的となり、教訓となり脅威となる。主なるわたしがこれを告げる。
 [16] わたしは滅びに定められた者に対して悲惨な飢えの矢を放つ。お前たちを滅ぼすためにそれを放つとき、わたしは飢えをますますひどくし、パンをつるして蓄える棒を折る。
 [17] わたしは飢えと狂暴な獣をお前たちに送り込み、子供たちを奪わせる。疫病と流血はお前の中を通り抜ける。またわたしは剣をお前に臨ませる。主なるわたしがこれを告げる。」

https://bible.com/bible/1819/ezk.5.14-17.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

なんどもこの地上において、イエス様の来臨以前に行われてきた、繰り返されてきた自動化されていない神様の裁きの詳細である。わたしは子どもの頃に今以上の欠乏を経験していたものの、もちろん独身仕事の際にはもっとお金を使っていたが、今のうちに質素倹約生活に戻り、そしてイエス様の愛さえあれば、それを喜んで、それでも心から満足して魂が養われる生き方へ多くの日本人が導かれてほしいと願っている。外国人とくに経済格差のある国からの移民はさぞその原住民たる日本人の生活の豊かさに驚いただろう。あるいはそれは、戦後植え付けられてきた普通、が蔓延していたこと、にまつわることだった。
戦争の貧しさ、まあ今となっては戦後の初期、を知るご老人あるいは、家がもともと貧しかった人たち、あるいは経済格差のある国からの移民の人たち、その生き方を変えないほうがいいし、普通の原住民はむしろ享受してきた豊かさを平等の精神で分けられないなら、もっと貧しい暮らしで良いと思う。豊かさを追い求めることの幻想やミクロやマクロ視点での社会的危険性については、いろいろな人がいろいろ言っているが、よくまとまっている要点を得たものとしては、既に世界一貧しい大統領のスピーチが、絵本にもなって、神様の御心にかなうものとしてひそやかなる称賛とひそやかなる伝播をしている。

行動: 11時半ごろ鍼灸院へ行く。階段や重たいものが、痛みと、力が入らずできない状態。まっすぐ立てず歩く時やや腰が曲がっていたい。自転車はなんとかこげる。施術後は、比較的まっすぐ歩けるが、常に何かによりかかりたい。相変わらず階段はのぼりが難しい。買い物をして帰り、重いものは少しなら持てたが、帰ってきたら午前中とお昼の活動の疲れで、午後は寝るくらいしかできない。子どものお迎えに10分ほど歩くのもたいへんで、何をするにも身体をずっとゆっくりしか動かせない。夜ごはんの時に少しがんばって動く必要がある。すぐ疲れたり痛いので、毎日のちょっとの家事のために寝て休まなくてはいけない。

昨日は自転車で教会への送迎や、子どもさんの生活に必要なものの買い出しに、歩きは無理なので子供のせて自転車で行ったが、あちこちで計1時間くらい漕いだが、流石に帰ってきたらもう動けず、そのあとはほとんど寝たきりに食事は子どもが自分で用意できるものを口頭で指示して、食べてもらう。自分は5月くらいからずっと断食継続中で、ここ数日は水も飲んでいなかった。子どもが寝たあとに、さすがにトイレに起きたときに少し動けたので水を飲んで少し食べるように。牧師さんに明日の教会へ子どもさんの送迎をお願いする。

行動:体調すぐれず身体の歪み感、痛みがひどいので鍼灸院へ行くが担当の先生がお休みなのでそのまま帰宅。自宅では身体が動くときのいつもの家事はできず、子どものお迎え以外ほとんど寝て過ごす。


訪問看護さん:土曜の診察から、周りの反応から違和感を感じて、かなり理不尽な状況に置かれているのではないかと感じたこと、そして説明や書類をお願いしして、求めたりしたことをお伝えする。市役所の口頭の説明と鍼灸院の説明にくい違って不信感があり、ここ1週間またもや精神的にかなり不安定で、数日は薬を飲む以外ほとんど食べものも水も口にできていないが、必要としていない感じである。聖書や信仰面からもやっとこの地に引っ越してきた理由がわかったと感じる。などをとめどなくお話する。喋りながらいろいろ過去の感情など思い出したりして、かなり不安定になったが、主には理不尽への怒りで、泣かなかった。30分真剣に親身に話を聞いてくださる。

行動:朝9時頃鍼灸院へ治療

    ・自分の話⋯市役所に空白期間のこと聞いてみた。わたしはよくわからないし、取り乱しちゃっていろいろ言ってしまって、でも忘れっぽいしことば理解難しいので、書類にしてぜんぶ送ってくださいとお願いした。説明もぜんぶ文章でくださいと言った。しかし口頭での説明では、登録のない鍼灸院だったので、市で支給にあたって新規登録が必要だったが、その時の鍼灸院から提出の書類の日付が、登録希望日?が5月19日だったので19日になりましたと言っていたような気がする。でも書類上のことなんて、機械的な判断じゃないかって昨日取り乱して言ってしまった。

    ・先生の話⋯4月に申請書類をわたしと用意してわたし経由で提出してから、こちらの鍼灸整骨院で、鍼灸科目に登録無いので、新規登録が必要だと5月初旬に市から電話があった。そのあとに割りとすぐ書類を用意したので、5月19日よりは前に提出したはず。もし市から書類一式届いたら、こちらにも見せて欲しい。


治療前はうまく歩けなかったが、いつも効果をすぐ実感し、治療後はゆっくりだけど歩けたので、そのまま1〜2時間散歩でからだを動かす。しかし歪みがひどくなる感じで、また数日のうちに治療必要そう。6月はもう支払いなく通えるので、ちょっと遠慮して月火曜いきたかったが、まだだいじょうぶと思っていかなかったが、やっぱり治療あると思うように動けるので家の中で動き回るのもしやすいでたすかるので通いたい。


こうして書くのも時間かかって、家でゆっくり落ち着いて薬飲んで頭ゆっくりで書くが、訪問看護さんや教会のかたは話すのも書くのも調子良い悪いがあって、思うようにできないことを知ってくださっている。代わりに書類を書いていただくや文章を考えていただくもしばしばである。

電話:午前11:30ごろ 市役所 担当さんへ

    ・自分の話・・・折り返しを待っていたが、要件につきお電話した(取次1回、はじめから取り乱してしまう)

    ・担当さんの話・・・鍼灸院の新規登録?に関する書類が5月19日付けだったのでそれに従って5月19日になっている。(細かくは不明 心理的不安定で、あまり頭に入らず、あまり覚えておらず)

    ・自分の話・・・とにかく書類が欲しい、今までの決定の際には何か書類が届いていた。それに加えて、今回の5月19日以降になった理由を説明を、文章にして書類にして欲しい、理由の資料と一緒に、まわりの人に見せて詳しく教えてもらう(いつも判断などできないので学校の手紙も訪問看護さんなどにみてもらっている)わたし理解が難しいことあってお話もすぐ忘れてしまうので、だから書類で欲しい。

    ・担当さんの話・・・承知。一式、資料にして、お送りする。

 

時に感情の昂りが制御できずに、あまり落ち着いて喋ることができない。感情の昂りは2024年9月解離性障害の症状が出た時から、いろいろな方法によらず、とにかく抑えられない。時にパニックのようになり、この日も朝から昂りが襲ってきていたので、朝に頓服の薬を服用していた。

行動:朝10時ごろ 鍼灸院へ

    ・自分の話・・・きょうはまだ先週金曜のせじゅつのおかげでがんばれそう。以前電話のとおりに返金だけ頼みたい。あと市役所からの通知書を良ければ写真を取らせて欲しい、わたしは何も書類をもらっていないため。

    ・鍼灸院さん・・・5月19日からの分、計3回分返金。それから書類は、申請書と、通知書をコピーしてあげます。

    ・自分の話・・・感謝。もし今週そのうちまた来ると思う、引き続きよろしく。

 

(金曜から、きょうの調子が続いたのは、日曜に、集会へ行きにくいわたしを気遣い、牧師さんが送迎で子どもさんだけ教会で夕方まで過ごす。そのことで身体面の負担が少なかったので、自転車で行くことはできた。)

 

電話:昼12:53 市役所へ

    ・自分の話・・・昼に失礼。担当さんへお願いしたい。

    ・受付の方・・・担当さん昼休みで不在。かけ直し対応。

    ・自分の話・・・(要件は、)鍼灸院へ行き、とりあえず5月19日からの返金を受けたが、なぜ空白期間があるのか、意味がよく分からないので不安。自分も何かの決定書類と、あと説明が欲しい。(感情をコントロールできなくなり泣いてしまう)

    ・受付の方・・・内容承知。


その後、市役所から、この日は、なんの電話連絡もなし。

 

 

行動:かかりつけの精神科に子どもを連れて受診。(※子どもは、教会での子ども集会があり、牧師さんも外出の間に預かる旨申し出してくださったが、子どもが、今は月1回程度の診察で先生とお話しする機会が必要みたいで、病院へ行きたがる。前日の金曜日には、宿題につかっている台紙を勝手に落書きされて、それを消しても消せなくて台紙がボロボロになり、それをわたしに「ごめん」と言ってみせてきた。子どもがわたしに似て繊細で感受性が高く、穏やかな性格で強く主張ができないので、どうしても昔から自己否定的で認知に歪みがある。先生は子どもの話をよく聞いてくださり、子どもも楽しみにしているのだろう。)

    ・自分の話・・・家計が相変わらず苦しい。(断食や少食の話は、訪問看護さんなどから、先生も共有してご存じの様子)しかし、昨日ついに、なぜか5月19日からだが支給決定したようで、とりあえずは良かったが、なぜ支給決定された期間に、空白期間があるのかよく分からないし、自立支援と言いつつも4月からずっと自費で、回数を抑えて最低限しか通えなかったのもあり、不安定で腰が悪い状態が続くことで、先週の土曜参観時も2時間立っていられず、人目を憚らずにしゃがみ込んだりするしかなかった。これはどこが自立支援で、社会的に見たらわたしが早く元気になって、作業所などでも少しでも自立できるのが良いかもしれなかったが、それを阻止するような状況ばかりで、正直意味が分からない。しかし考えてもキリがないし、頭もおかしくなりそうなので(ここ1〜2週間は急に大泣きしたり、突然何か襲ってくるように激しく感情が乱れることも多く、薬で抑えたが)、子どもの世話もあるし、わたしは信仰者なので、神様を信じて感謝して、忘れて現状を享受して生きるしかない。子どもが昨日話してきた出来事を話して、やっぱり学校を行くのを一生懸命に励ましたり、喋り続けるのが難しいので一緒に遊ぶのが1時間ほどで、しばらく頭がぼーっとして休憩が必要になってしまうが、しかし、自分が子ども時代に無かった身近な大人の寄り添い、学校の話をするなどをして欲しいし、そういうサポートを重要に思って、遊べなくても、そういう寄り添いをしたいと思っている。

    ・先生の話・・・(子どもの話も聞いてくださる。)とにかく、子どもにとって、親が安心して何でも話せる居場所になれれば、それでいい。(学童が嫌かどうか子どもに確認、子ども相変わらずおやつの時間はマジだけど嫌。学童は5月全日欠席、6月も1日も出席無しで、自分も行きたくないなら行かなくていいといつも言っている。小学校の先生も家が良ければそれで全然いいとのことを5月懇談で言っていた。)

 

先生とのお話が終わって、聞いてくださった先生の空気感や、いろいろ神様のころを考えていると、やっぱり帰る途中に、どうしても理不尽だよなあ。誰もが分けあって生きているし、なんとか耐えるしかないかなあ。とりあえずこれからは鍼灸院へ通えるわけだし。でもこういうところで、市役所も支出を抑えるしかないのかなあ。4月19日医師同意で、申請書は5月1日からの申請ではあったけど、ずっと市役所の担当さんと相談しながら新しい鍼灸院に行ったりもしたので、せめて実質的には以前の鍼灸院も一切通わなくなっているし、自分が決定者なら、本来は4月19日からの決定がおりてもいい内容の出来事だったなあ。そういう判断の内容になるものだ。そういうふうに思う。でも新しい鍼灸院の登録が市役所になかったりで、長引いて、色々ちょうど良くて、「19日」と言っておけばわたしが4月19日と勘違いして黙って待っているのではないかと思って、市役所が決めちゃえば何も言えないだろうと思って、どうせ障害者で、いろいろよく分かっていなさそうだし、5月19日でいいやと、数回分の治療費の支出をここで節約しようとしたのか。などなど。すると、突然、「不服申し立てをしろ」と神様の声を聞いたので、あ、そっか、いつも市役所での決定通知書には小さな字でいろいろ不服申し立てができるとか書いてあると思い出す。このことについても?絶対にあるはず。

 

しかし不自然にも、以前の鍼灸院の支給決定通知書は当然のようにわたしの手元に届いたが、今回は、直接鍼灸院に送る、というお話の内容だったし、わたしの手元には、お願いしないと通知書が来ないかもしれない。

 

ますます不信感のある、あやしい、やましいことを隠すような対応に、自分の命ならどうでもいいし、子どもさえ何とかなればあとは自分が我慢すれば丸く治るなら絶対に昔からそうしてきた人生だったが、わたしは3年前に死ぬところを、イエス様に命を救われて、神様のために生かされている信仰者にされた。そうか。だから、市役所は本気でプライドをかけて弁明して、その役割や社会性を全く考えなくなって、訛り切った判断志向になって、やましい手段で理不尽を通そうとしたことの、非を認めないかもしれなかった。だから裁判を見据えて、記録をつけなきゃと思った。たくさんのひとに相談をしながら、まずは月曜日に、すぐ鍼灸院へ行って通知書を見せてもらい、写真を撮り、市役所の担当さんにわたしも支給決定の通知書が欲しいといい、まずはなぜ5月1日からではなく19日からなのかの説明を求める。内容次第では、納得できなければ不服申し立てをしたいので、手続きの案内をお願いする。

それから、小学校の教育費も、立て替えが続いて家計が厳しい時に連絡が届いて、渡りに船だったインターネット回線(2年契約の一番最後にもらえる特典)のキャッシュバックを受け取っていたが、それも担当さんから「満額差し引かれるかも」と言われてしまっていたので、それについても、結果次第では不服申し立てをしたいので、手続きの案内をお願いする。

 

わたしは体調が難しく、子どもだけ牧師さんの送迎で日曜日の礼拝と子ども集会に参加しに行った。それで、このブログは日曜日にはじめて、これも日曜日に書いていて、だから書くのは日曜日にはじめられるけど、行動と電話は明日にならないとできない。まずは行動で鍼灸院で治療を受けて、せめて最低限、動ける身体を確保していなければ、子どもとの生活に支障が出る。現に、教会はじめ多くのひとの助けを借りなくては、そもそもこのまともに治療の受けられなかった数ヶ月、特に、まともな生活ができていない。支出が増えていたのも、思うように動けず活動ができずで、いろいろ頼っていたからで、その分の支払いが7月、8月まで決まっていて、まだまだ経済面も一切の余裕がない日々が続きそうだ。イエス様に守られて、せめて心の平安が共にあって、子どもさんと笑って楽しく過ごせたら良いと思う。