後篇 第31 還来度生(げんらいどしょう) #jodoshu #開宗850
後篇 第31 還来度生(げんらいどしょう) 勅伝第28巻
左様(さよう)に、そら事(ごと)をたくみて申(もう)し候(そうろ)うらん人(ひと)をば、かえりてあわれむべきなり。さ程(ほど)のものの申(もう)さんによりて念佛(ねんぶつ)に疑(うたがい)をなし、不信(ふしん)をおこさんものは、言(い)うに足(た)らぬ程(ほど)の事(こと)にてこそは候(そうら)わめ。大方(おおかた)、弥陀(みだ)に縁(えん)あさく、往生(おうじょう)に時(とき)いたらぬものは、きけども信(しん)ぜず、行(おこな)うを見(み)ては腹(はら)をたて、怒(いかり)をふくみて、さまたげんとすることにて候(そうろ)う也(なり)。その心(こころ)をえて、いかに人(ひと)申(もう)すとも、御心(おんこころ)ばかりは動(ゆる)がせ給(たま)うべからず。強(あなが)ちに信(しん)ぜざらんは、佛(ほとけ)なお力(ちから)およびたまうまじ。何(いかに)況(いわん)や凡夫(ぼんぶ)の力(ちから)、および候(そうろ)うまじき事(こと)なり。かかる不信(ふしん)の衆生(しゅじょう)を利益(りやく)せんと思(おも)わんにつけても、とく極楽(ごくらく)へまいりて、さとりをひらきて、生死(しょうじ)にかえりて、誹謗(ひほう)不信(ふしん)の者をもわたして、一切(いっさい)衆生(しゅじょう)、あまねく利益(りやく)せんと思(おも)うべき事(こと)にて候(そうろ)う也(なり)。
後篇 第30 廻向(えこう) #joudosh #開宗850
後篇 第30 廻向(えこう) 勅伝第23巻
当時(とうじ)日(ひ)ごとの御念佛(おねんぶつ)をも、かつがつ廻向(えこう)しまいらせられ候(そうろ)うべし。なき人(ひと)のために念佛(ねんぶつ)を廻向(えこう)し候(そうら)えば、阿弥陀佛(あみだぶつ)、光(ひかり)をはなちて地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)をてらし給(たま)い候(そうら)えば、この三悪道(さんなくどう)にしずみて苦(く)を受(う)くるもの、其(そ)の苦(くるしみ)やすまりて、命(いのち)終(おわ)りて後(のち)、解脱(げだつ)すべきにて候(そうろう)。大経(だいきょう)に、若(も)し三途(さんず)勤苦(ごんく)の処(ところ)に在(あ)りて、此(こ)の光明(こうみょう)を見(み)たてまつらば、皆(みな)休息(くそく)を得(え)て復(また)苦悩(くのう)なし。寿終(じゅじゅう)の後(のち)、皆(みな)解脱(げだつ)を蒙(こうぶ)らんと云(い)えり。
後篇 第29 一蓮托生(いちれんたくしょう) #jodoshu #開宗850
後篇 第29 一蓮托生(いちれんたくしょう) 十六門記
会者定離(えしゃじょうり)は常(つね)の習(ならい)、今(いま)はじめたるにあらず。何(なん)ぞ深(ふか)く歎(なげ)かんや。宿縁(しゅくえん)空(むな)しからずば同一蓮(どういちれん)に坐(ざ)せん。浄土(じょうど)の再会(さいかい)、甚(はなは)だ近(ちか)きにあり。今(いま)の別(わか)れは暫(しばら)くの悲(かな)しみ、春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごと)し。信謗(しんぼう)ともに縁(えん)として、先(さき)に生(うま)れて後(のち)を導(みちび)かん。引摂縁(いんじょうえん)はこれ浄土(じょうど)の楽(たのしみ)なり。夫(そ)れ現生(げんしょう)すら猶(なお)もて疎(うと)からず。同(どう)名号(みょうごう)を唱(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)の中(うち)にありて、同(どう)聖衆(しょうじゅ)の護念(ごねん)を蒙(こうぶ)る、同法(どうほう)尤(もっと)も親(した)し。愚(おろか)に疎(うと)しと思(おぼ)し食(め)すべからず。南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)と唱(とな)え給(たま)えば、住所(じゅうしょ)は隔(へだ)つといえども、源空(げんくう)に親(した)しとす。源空(げんくう)も南無阿弥陀佛と唱(とな)えたてまつるが故(ゆえ)也(なり)。念佛(ねんぶつ)を縡(こと)とせざる人(ひと)は、肩(かた)を並(なら)べ膝(ひざ)を与(く)むといえども、源空(げんくう)に疎(うと)かるべし。三業(さんごう)、皆(みな)異(こと)なるが故(ゆえ)なり。
