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後篇 第25 護念増上縁(ごねんぞうじょうえん) #jodoshu #開宗850


後篇 第25 護念増上縁(ごねんぞうじょうえん) 

念佛往生要義抄

 

 

 

問(と)うて云(いわ)く、摂取(せっしゅ)の益(やく)をこうぶる事(こと)は、平生(へいぜい)か、臨終(りんじゅう)か、いかん。

答(こた)えて云(いわ)く、平生(へいぜい)の時なり。そのゆえは、往生(おうじょう)の心(こころ)まことにて、わが身(み)を疑(うたが)う事(こと)なくて来迎(らいこう)をまつ人(ひと)は、これ三心(さんじん)具足(ぐそく)の念佛(ねんぶつ)申(もう)す人(ひと)なり。この三心(さんじん)具足(ぐそく)しぬれば、必(かなら)ず極楽(ごくらく)にうまるという事(こと)は、観経(かんぎょう)の説(せつ)なり。かかる志(こころざし)ある人(ひと)を、阿弥陀佛(あみだぶつ)は、八万四千(はちまんしせん)の光明(こうみょう)をはなちててらし給(たま)う也(なり)。平生(へいぜい)の時(とき)照(てら)しはじめて、最後(さいご)まで捨(す)て給(たま)わぬなり。故(かるがゆえ)に不捨(ふしゃ)の誓約(せいやく)と申(もう)す也(なり)。

後篇 第24 滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん) #jodoshu #開宗850


後篇 第24 滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん)

 正如房へつかわす御文

 

 

五逆罪(ごぎゃくざい)と申(もう)して、現身(げんしん)に父(ちち)を殺(ころ)し、母(はは)をころし、悪心(あくしん)をもて佛身(ぶっしん)をそこない、諸宗(しょしゅう)を破(やぶ)り、かくの如(ごと)くおもきつみをつくりて、一念(いちねん)懺悔(さんげ)の心(こころ)もなからん、其(そ)の罪(つみ)によりて、無間地獄(むけんじごく)におちて、多(おお)くの劫(こう)をおくりて苦(く)をうくべからん者(もの)、終(おわ)りの時(とき)に、善知識(ぜんちしき)のすすめによりて、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)と十声(とこえ)唱(とな)うるに、一声(いっしょう)におのおの、八十億劫(はちじゅうおっこう)が間(あいだ)、生死(しょうじ)にめぐるべき罪(つみ)を滅(めっ)して往生(おうじょう)すと説(と)かれて候(そうろ)うめれば、さほどの罪人(ざいにん)だにも、ただ十声(とこえ)一声(ひとこえ)の念佛(ねんぶつ)にて往生(おうじょう)は、し候(そうら)え。まことに、佛(ほとけ)の本願(ほんがん)の力(ちから)ならでは、いかでかさる事(こと)候(そうろ)うべきと覚(おぼ)え候(そうろう)。

後篇 第23 慈悲加祐(じひかゆう) #jodoshu #開宗850


後篇 第23 慈悲加祐(じひかゆう) 大胡太郎へつかわすご返事

 

 

まめやかに往生(おうじょう)の志(こころざし)ありて、弥陀(みだ)の本願(ほんがん)を疑(うたが)わずして、念佛(ねんぶつ)を申(もう)さん人(ひと)は、臨終(りんじゅう)のわろき事(こと)は、大方(おおかた)は候(そうろ)うまじき也(なり)。そのゆえは、佛(ほとけ)の来迎(らいこう)し給(たま)う事(こと)は、もとより行者(ぎょうじゃ)の臨終(りんじゅう)正念(しょうねん)のためにて候(そうろ)う也(なり)。それを意(こころ)えぬ人(ひと)はみな、わが臨終(りんじゅう)正念(しょうねん)にて念佛(ねんぶつ)申(もう)したらん時(とき)に、佛(ほとけ)は迎(むか)え給(たま)うべき也(なり)とのみ意(こころ)えて候(そうろ)うは、佛(ほとけ)の願(がん)をも信(しん)ぜず、経(きょう)の文(もん)をも意(こころ)えぬ人(ひと)にて候(そうろ)う也(なり)。そのゆえは、称讃浄土経(しょうさんじょうどきょう)に云(いわ)く、佛(ほとけ)、慈悲(じひ)をもて加(くわ)え祐(たす)けて、心(こころ)をしてみだらしめ給(たま)わずととかれて候(そうら)えば、ただの時(とき)によくよく申(もう)しおきたる念佛(ねんぶつ)によりて、臨終(りんじゅう)に必(かなら)ず佛(ほとけ)は来迎(らいこう)し給(たま)うべし。佛(ほとけ)の来迎(らいこう)し給(たま)うを見(み)たてまつりて、行者(ぎょうじゃ)、正念(しょうねん)に住(じゅう)すと申(もう)す義(ぎ)にて候(そうろう)。しかるに、さきの念佛(ねんぶつ)を空(むな)しく思(おも)いなして、よしなく臨終(りんじゅう)正念(しょうねん)をのみいのる人(ひと)などの候(そうろ)うは、ゆゆしき僻胤(ひがいん)にいりたる事(こと)にて候(そうろ)う也(なり)。されば、佛(ほとけ)の本願(ほんがん)を信(しん)ぜん人(ひと)は、かねて臨終(りんじゅう)を疑(うたが)う心(こころ)、あるべからずとこそおぼえ候(そうら)え。ただ当時(とうじ)申(もう)さん念佛(ねんぶつ)をば、いよいよ至心(ししん)に申(もう)すべきにて候(そうろう)。