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後篇 第28 順逆二縁(じゅんぎゃくにえん) #jodoshu #開宗850


後篇 第28 順逆二縁(じゅんぎゃくにえん) 念佛往生要義抄

 

 

此(こ)のたび輪廻(りんね)のきずなをはなるる事(こと)、念佛(ねんぶつ)に過(す)ぎたる事(こと)はあるべからず。このかきおきたるものを見(み)て、そしり謗(ほう)ぜんともがらも、必(かなら)ず九品(くほん)のうてなに縁(えん)をむすび、たがいに順逆(じゅんぎゃく)の縁(えん)むなしからずして、一佛(いちぶつ)浄土(じょうど)のともたらむ。抑(そもそも)機(き)をいえば五逆(ごぎゃく)重罪(じゅうざい)をえらばず、女人(にょにん)・闡提(せんだい)をもすてず。行(ぎょう)をいえば一念(いちねん)十念(じゅうねん)をもてす。これによりて五障(ごしょう)三従(さんじゅう)を恨(うら)むべからず。この願(がん)をたのみ、この行(ぎょう)をはげむべき也(なり)。念佛(ねんぶつ)のちからにあらずば善人(ぜんにん)なおうまれがたし、いわんや悪人(あくにん)をや。五念(ごねん)に五障(ごしょう)を消(け)し、三念(さんねん)に三従(さんじゅう)を滅(めっ)して、一念(いちねん)に臨終(りんじゅう)の来迎(らいこう)をこうぶらんと、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に名号(みょうごう)をとなうべし。時処(じしょ)諸縁(しょえん)に此(こ)の願(がん)をたのむべし。あなかしこ、あなかしこ。

後篇 第27 転重軽受(てんじゅうきょうじゅ) #jodoshu #開宗850


後篇 第27 転重軽受(てんじゅうきょうじゅ) 浄土宗略抄

 

 

宿業(しゅくごう)かぎりありて、受(う)くべからん病(やまい)は、いかなる諸(もろもろ)の佛(ほとけ)・神(かみ)にいのるとも、それによるまじき事(こと)也(なり)。祈(いの)るによりて病(やまい)もやみ、命(いのち)ものぶる事(こと)あらば、たれかは一人(いちにん)として、やみ、しぬる人(ひと)あらん。いわんや又(また)、佛(ほとけ)の御力(おんちから)は、念佛(ねんぶつ)を信(しん)ずる者(もの)をば、転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)といいて、宿業(しゅくごう)限(かぎり)ありて、おもくうくべきやまいを、かろくうけさせ給(たま)う。いわんや非業(ひごう)をはらい給(たま)わん事(こと)、ましまさざらんや。されば念佛(ねんぶつ)を信(しん)ずる人(ひと)は、仮令(たとい)いかなる病(やまい)を受(う)くれども、皆(みな)これ宿業(しゅくごう)也(なり)。これよりも重(おも)くこそ受(う)くべきに、佛(ほとけ)の御力(おんちから)にて、これほども受(う)くるなりとこそは申(もう)す事(こと)なれ。我等(われら)が悪業(あくごう)深重(じんじゅう)なるを滅(めっ)して、極楽(ごくらく)に往生(おうじょう)する程(ほど)の大事(だいじ)をすら遂(と)げさせ給(たま)う。まして、此(こ)の世(よ)に、いく程(ほど)ならぬ命(いのち)を延(の)べ、病(やまい)をたすくる力(ちから)、ましまさざらんやと申(もう)す事(こと)也(なり)。されば、後生(ごしょう)をいのり、本願(ほんがん)をたのむ心(こころ)も薄(うす)き人(ひと)は、かくのごとく、囲繞(いにょう)にも護念(ごねん)にもあずかる事(こと)なしとこそ、善導(ぜんどう)は宣(のたま)いたれ。同(おな)じく念佛(ねんぶつ)すとも、深(ふか)く信(しん)を起(おこ)して穢土(えど)をいとい、極楽(ごくらく)をねがうべき事(こと)也(なり)。

後篇 第26 佛神擁護(ぶっしんおうご) #jodoshu #開宗850


後篇 第26 佛神擁護(ぶっしんおうご) 浄土宗略抄

 

 

弥陀(みだ)の本願(ほんがん)を深(ふか)く信(しん)じて、念佛(ねんぶつ)して、往生(おうじょう)を願(ねが)う人(ひと)をば、弥陀佛(みだぶつ)よりはじめ奉(たてまつ)りて、十方(じっぽう)の諸佛(しょぶつ)・菩薩(ぼさつ)、観音(かんのん)・勢至(せいし)、無数(むしゅ)の菩薩、この人(ひと)を囲繞(いにょう)して、行住座臥(ぎょうじゅうざが)、よるひるをもきらわず、影(かげ)の如(ごと)くにそいて、諸(もろもろ)の横悩(おうのう)をなす悪鬼(あっき)悪神(あくじん)のたよりをはらいのぞき給(たま)いて、現世(げんぜ)には横(よこ)さまなる煩(わずらい)なく安穏(あんのん)にして、命終(みょうじゅう)の時(とき)は極楽世界(ごくらくせかい)へむかえ給(たま)う也(なり)。されば、念佛(ねんぶつ)を信(しん)じて往生(おうじょう)をねがう人(ひと)は、ことさらに、悪魔(あくま)をはらわんために、万(よろず)の佛(ほとけ)・神(かみ)に祈(いのり)をもし、慎(つつしみ)をもする事(こと)は、なじかはあるべき。いわんや、佛(ほとけ)に帰(き)し、法(ほう)に帰(き)し、僧(そう)に帰(き)する人(ひと)には、一切(いっさい)の神王(しんのう)、恒沙(ごうじゃ)の鬼神(きじん)を眷属(けんぞく)として、常(つね)に此(こ)の人(ひと)をまもり給(たま)うといえり。然(しか)れば、かくの如(ごと)きの諸佛(しょぶつ)・諸神(しょしん)、囲繞(いにょう)して守(まも)り給(たま)わん上(うえ)は、又(また)いずれの佛(ほとけ)・神(かみ)かありて、なやまし、さまたぐる事(こと)あらん。