散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚) | HONDAのブログ

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散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)

江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚

の辞世の句と言われている歌です。意味は、「今どんな

に美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。

そのことを心得ておくこと。」というように受け取れます。

要するに限られた「いのち」です。

今の世の中は色々悩み事が多くあります。仕事、家庭、

対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等、

幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている

毎日ではないでしょうか。

しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもあ

りません。無常にも時間は止めることができません。

ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限ら

れた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に

充実したものにし、悔いの残らないようにすることが

大事だということか。

また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされ

る時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う

心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を

連想させられます。「明日があると思い込んでいる気持

ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐

が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのよう

な心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたこと

と思います。

この二つの歌から伺えることは、今生きている命を

「如何に生きるか」ということではないでしょうか。自分

自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)

を現在に生かし、そして未来につなげていくことができ

るのは、自分一人の力ではありません。いろいろな人

に支えられているからこそ実現できるのです。

そのことに気付き、そして感謝の気持ちを持って日々

充実した生活を過ごさせていただくことが私たちの

使命なのではないでしょうか。(宗)