「高倉 健 没5年」 | HONDAのブログ

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死後5年して 養女の登場でなにかとにぎやかな

高倉健1931年〈昭和6年〉2月16日生まれ - 先日

亡くなった八千草薫と同年代 2014年〈平成26年〉

11月10日)没
1955年(S30)明治大学卒業後 東映入社 

1956年(S31)(25歳)でデビューしたが鳴かず飛ばず
1959年2月16日(高倉が28歳の誕生日の時に)、

1956年の映画『恐怖の空中殺人』での共演が縁で

江利チエミと結婚当時は 江利チエミの夫という呼

び名であった。
(1964年(S39)8月13日公開)中村錦之助の代役で

主演した「日本侠客伝」がヒットし その後 1965年

4月「網走番外地」1965年10月「昭和残侠伝」で

 東映を背負って立つスターとなった。
きっかけである「日本侠客伝」は S46年までで

11作作られている。
レンタルビデオで シリーズを鑑賞してみたが、

第2作 「日本侠客伝「浪花編」のみ シリーズの主役

が高倉であるのに 本編の 配役クレジットの 

TOPは「鶴田浩二」となっている。

この映画の配給は 1965(S40)年1月
(察するに)S39年に やっと高倉の映画は ヒットしたものの

まだ「網走番外地」や「昭和残侠伝」の出る前の時期 であり

 S40年の正月映画として (高倉)主演は荷が重い 

(鶴田)をかまそうとなったのではないだろうか? 

映画前半は 高倉主演で進むが かんじんのラスト場面に

なると 完全に(鶴田)主演の 映画となっている。
高倉健が なぜに最後の大物俳優と言われたのか?

演技はうまいとは全く思わない が、 観てるほうが「演技が

うまい」と思うということは「演じてる」という認識があるわけだ

が、高倉健には「演じてる」と感じさせない 吉永小百合が先日

TVインタビューで 「演じていない演技こそ最高」と 言うてまし

たが 高倉健は そういうところにおる役者ということだろうか。