1974年 ドンカスターの岩男 | HONDAのブログ

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最近 私の周りで イギリスの話題が出る 1974年 

7月~9月まで 19歳のミーは 今でいうホームステイ

(当時はそういう言葉がなかったように思うが)というの

をイギリスの南海岸のブライトンという町で過ごした。
話は その5年前にさかのぼりますが S44年 プロレス

ブームだったころに 初めて見た イギリスレスラーが 

Bロビンソンその強さ うまさは G馬場がウスノロに見え

るほどすばらしいものだったが、いかんせん当時の国際プ

ロレスの日本人レスラーとは実力差がありすぎてロビンソ

ンが遊んでいるように見えてしまう。で、国際プロレスは 

イギリスでのライバルであった

「ドンカスターの岩男」のあだ名のあった アルバート・

ウオールを来日させ 外人VS外人 の メインエベント

を開催した。当時は (善玉)日本人 VS (悪玉)

外国人というのが パターンであったので TV観戦して

る自分は不思議な感じであったが 

「ロビンソンVSウオール」は はでな殴り合いもなく 

(得意のフライングヘッドットバも出さず)ネチネチし

た 寝技の応酬で 最後も ロビンソンの変形の 

腕がらみのような関節技で 決まってしまい。

エキサイトする場面もなかったが、妙に「本当の勝負だ

とああいうことになるのかな?」(今のUFCを見たら

納得の攻防でした)
結局話はなんだいとなりますが・・この A・ウオール

の「ドンカスター」という地名が 妙に頭にこびりつ

いて 1974年のイギリス滞在時のとある日曜日に 

電車とバス乗り継いで ドンカスター

(ブライトンからは ロンドン経由で4Hほど)を訪れました。

インフォメーションで「A・ウオールの家」と聞きましたが 

「誰それ」みたいな反応でした。

(東京駅で アントニオ猪木といえば まず知らないひとが

 いない 日本とは全く違うのです)
そうなんです、イギリスで「プロレスラー」の社会的地位は

そんなもんなんです。結局 1Hほど 「ドンカスター」に

いました(町はイギリスのよくある地方都市です)が、トン

ボ帰りでブライトンに引き上げました。NETで調べると 

18’現在 1938年生まれのBロビンソンは先に逝去して

いますが、1932年(昭和7年)生まれの彼は 85歳の

今も健在のようです。