定年を迎えて 3年経過 いろんなものを断シャリ
していますが、 プロレスという箱から いろんなもの
が出てきます。S44~S47年まで 第二次プロレス
ブームの中で 大阪府立体育館に 観戦にいった
プロレスを回想してみたいと思います。
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S43年1月 国際プロレスが TBSで放送
され 戦後の力道山以来のプロレスブーム
が到来していた。 中学生になっていた
筆者は TVにかじりついて プロレスを見て
いた記憶がある。 中学3年になり どうしても
生のプロレスを見たかったので 夏休みの
前半 アルバイトして 当時のリングサイド
¥3000で前売り券を購入して 勇躍
大阪府立体育館に 観戦にいった。
①1969(S44)8.13(水)
インタータッグ選手権
ザ・ブルーザー VS G馬場
ザ・クラッシャー A猪木
前年 単独で来日していた ブルーザー と クラッシャー
が タッグを組んで 来襲し「あやうし 馬場&猪木」という
ストーリーであり 実際 この1週間前に札幌で インター
タッグを奪われて 大阪でリターンマッチという設定で
あった。 初めて見る 生のプロレスは小僧には刺激的
であった。
②1970(S45)7.31(金)
インター選手権
G馬場 VS D・フアンク・JR
S45年 高専に上がり まだまだプロレスブームは続いていた
夏休みに 2回目も 大阪生観戦 当時は空調もない
大阪府立体育館で G馬場は 動くのもつらそうであった。
③1970(S45)10.29(木)
NWAタッグリーグ戦
吉村道明 VS Lアンダーソン
G小鹿 B ループ
このころから 大阪大会は 木曜開催が定着したのではなかったか
と思われる。木曜にTV録画して 金曜 夜8時のTV放送するという
段取りであったようだ。 この日のメーンエベントは 大阪大会
にしては しょぼいマッチアップであった。
④1970(S45)12.3(木)
インター選手権
G馬場 VS G・キニスキー
木曜の PMと 金曜の AMの授業を友達に「代返」たのんで
高専のある 和歌山の御坊から 3Hかけて大阪ナンバまででてきて
自由席券買って 開場まで延々と並ぶという 学生で体力ある時期
しかできない方法 開場すると 一気に走って 南2階の 最前列
をGETするという アホみたいなことやってました。
このとき Gキニスキーが G馬場をKOして タイトル奪取というのは
今も 日本TVに録画が残っており よく出てくる試合です。
⑤1971(S46)1.7(木)
インタータッグ選手権
G馬場 VS Mストンパー
A猪木 ケンタッキアン
年が明けて S46年の 冬休み プロレス観戦もだいぶなれて
きたし、当日自由席券で並ぶ顔ぶれはいつも同じで 顔なじみ
になりました。 このあたりから G馬場の試合には手抜きが
見えるようになりました。
⑥1971(S46)2.20 (土)
アジアタッグ選手権
A猪木 VS Mマスカラス
吉村道明 Dギルバート
いつも 木曜開催だった 大阪大会が なぜか今回は土曜開催
伝説のマスクマン M・マスカラスの 初来日 で メーンは
猪木&吉村 VS マスカラス&ギルバートの アジアタッグ選手権
これはなかなか見応えある1戦でした。
⑦1971(S46)5.19 (水)
G馬場 VS A ブッチャー
A猪木 VS ザ・デストロイヤー
当時のプロレスブームの頂点だったと思われる 13回Wリーグ決勝
Aブッチャー ザ・デストロイヤー G馬場 A猪木 の 4社が
同点となり 4社で 優勝決定を決めるという試合であった。
普通考えたら 日本側(馬場X猪木) 外人側(ブッチャーXデスト)
で 準決勝をやるのを 外人X日本人 対決を頑なに守り
デストVS猪木 は 場外リングアウトで 勝ち点「0」
G馬場が Aブッチャーを破り 優勝という「なーんやそれ」という
決着で 猪木VS馬場を期待して観戦にいった 筆者はガッカリだった。
⑧1971(S46)6.12 (土)
和歌山県立体育館
地方興業独特の だらーんとした興業で 誰がメーンだったかも忘れた
が 和歌山県立体育館の 控室の構造を知ってるので 裏からいろんな
外人の 生の姿がみられた。私の父親と同年代の吉村道明にサイン
もらった。
⑨1971(S46)12.2 (木)
NWA世界選手権
D・フアンク・JR VS 坂口征二
大阪大会が 元の 木曜開催となり D・F・ジュニア VS A猪木
という 当時としては 最高のマッチアップだったので 期待して
開場に向かったが 開場につくと「猪木 急病で 坂口が代打出場」
???だったが ここまできたので いつものように観戦した。
この日の 坂口は敗れたものの力強い戦いに見えた。
裏で A猪木の 「会社乗っ取り疑惑」が発生していた。
⑩1971(S47)1.6 (木)
インター選手権
G馬場 VS B・ブラジル
前年 年末に A猪木は 日本プロレスから追放され 新規一転
という 正月興行で 当時最強かといわれていた、黒人の
ボボ・ブラジル VS G馬場という 黄金カードであった
リングサイドで Bブラジルの ココバット(鉄槌頭付き)を 目のあたり
に 見たが「全くガツーンという音が聞こえない」素人が見ても
「恰好だけの 必殺技」で がっかりしてしまった。
この S47年は A猪木が追放され、 G馬場が独立し、 弱体化
した日本プロレスを 観戦に行くこともなくなった。
そうしてるうちに 筆者は 小僧から青年になり 羊頭苦肉のプロレス
を 生で見ることはなくなってしまった。