「私の父親と芸能人」 | HONDAのブログ

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①(父親 と 鶴田浩二)
鶴田浩二 1924年(大正13年)12月6日生まれ
本名小野 榮一(おの えいいち)
私の父親 1924年(大正13年)1月7日 生まれ...
学年的には 父親が一学年上
父親は 昭和12年 尋常高等小学校から 大阪

市内の北野中学 夜間に入学 昼は大阪市庁で

アルバイトして昭和18年4月に四国の(現)愛媛

大学に入学している。
鶴田浩二は 昭和15年に此花商業~昭和18年

4月に関西大学その年の10月 学徒出陣で兵役

についていることから


昭和15年~昭和18年3月のどこかで遭遇してると

いうことになります。 此花商業の 小野 榮一

(鶴田)といえば ちょいとした硬派の兄貴分という

ことであったと 父親はいうていた それ以上の詳し

いことは 聞かなかったけれど、昭和48年あたりに

 任侠映画衰退もあり ちょくちょくTVに出るように

なった 鶴田浩二の 画面を見入っていたのは 

よく覚えている。
②(父親 と 水前寺清子)
第12回コロムビア全国歌謡コンクール 
昭和36(1961)年開催
優勝…高橋七重
2位…林田民子→水前寺清子(16歳)
1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビューの
水前寺清子
S39年10月 私が(小学校 4年の秋)
10月の終わりか? 父親が大阪の
旅館に宿泊し ロビーで当時 カラー化
されてきた TVを観ていたら、 女性
が チャンネル変えてよいか?と聞いて
きたので「見たいのがあるのかね?」と
聞くと「初めて TVに出るのです」・・・
聞くところによると 歌手デビューして
今 梅田の北野劇場で 前歌で出ており
初めてTVで歌った のが もうすぐ
始まるとのことで 一緒に見ることに
なったそうである。それが 水前寺清子
のデビュー曲


畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」
を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」と
タイトルを変更したデビュー曲であった。
「どうですか?」と聞かれたが「歌はさっぱりわからん」

と答えたそうで 「サイン書きましょうか?」
と 言われたが(別にほしくもなかったので)遠慮した
とのことでした、それが このS39年の暮れから、
この「涙を抱いた渡り鳥」がヒットしてあれよあれよ
という間に 水前寺清子 は有名人になって S40年
の 紅白歌合戦に出場している。
うちの父親は サインもらい損ねたことより
もうちょっと 「丁寧に対応しとけばよかったな・・」
と いうのが口癖であった。