1967年(S42年)の G 馬場 | HONDAのブログ

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1967年(S42年)のG・馬場を振り返る G・馬場に

とっては1966年に続き好調な年であったろう。 

1966年暮れに 豊登が旗揚げした 東京プロレスも崩壊 

が確実となり、吉原功の国際プロレスも TV放映のメドが

 たたず日本プロレスの1人勝ち状態であった。 1月 に 

29歳となった G・馬場は不動のインターナチョナル 

チャンピオンとして新年を迎える。

 2月シリーズで 防⑧=バディ・オースチン(1967.2.7)

 )キラー・オースチン)

狂犬 オースチンとの 8度目のインター防衛を飾る。

 この時期 A猪木の動向は不透明であったこともあり

 将来の日本プロレスのエース候補として S40年の 

全日本 柔道選手権者であり 翌年に迫るメキシコオリ

ンピック競技から 柔道が 外れたことにより目標を

失っていた 坂口征二の獲得 に 成功する。

(これはもしも猪木が戻ってこない時の保険でもあった)

3月 ニューヨーク時代の 最大のライバルであり 友人

でもあった WWWF世界ヘビー級チャンピオン

 B・サンマルチノ

 防⑨=ブルーノ・サンマルチノ(1967.3.2)

 防⑩=ブルーノ・サンマルチノ(1967.3.7) と 

2連戦を行いまことにプロレス的 プロレスで インタ

ー王座 を防衛する。

 このあたりが馬場にとって一番安心してプロレスを

 やっているように見える。 4月の 第9回Wリーグ

戦最中に

 防⑪=ザ・デストロイヤー(1967.4.16) から 

11回目のインター防衛に成功する 5月の第9回

W・リーグ 決勝では ザ・デストロイヤー を破り 

2連覇を達成する。 崩壊した 東京プロレスの廃墟か

ら 永遠のライバル A・猪木が日本プロレスに戻り

 G馬場のサブにつくことになる。

 防⑫=フリッツ・フォン・エリック(1967.5.27)

苦手の F・V・エリックに辛勝し

12回目のインター防衛達成

 防⑬=ジン・キニスキー(1967.8.10)

防⑭=ジン・キニスキー(1967.8.14)

8月には NWA世界ヘビー級チャンピオンの

 G・キニスキー と(馬場曰く)生涯最高の 

プロレスを展開しインター王座を防衛する。

 防⑮=アート・ネルソン(1967.9.30) 

9月シリーズには あまり知名度のない 

A・ネルソンを破り15回目 の 王座防衛 防

⑯=ターザン・タイラー(1967.11.1)

 おとなしくしていた A・猪木をパートナーに

して どこから涌いてきた のか いまいち要領の

えない インター・タッグチャンピオンとなり

シングル タッグの2冠王となる。

防⑰=クラッシャー・リソワスキー(1967.12.6) 

G馬場と手の合う(つまりは、レスリングはでき

ないが派手な殴り合い得意) の

粉砕者 C・リソウスキー相手に 17度目の インタ

ー防衛戦顔面 血だらけの リソウスキーが 徳光アナ

のインタビューマイクに かぶりつく様は まさに 

馬場プロレスの真骨頂であった。

 このころ 国際プロレスを TBSが抱き込み 日本

マットの利権を 虎視眈眈と狙う G・東郷をマッチ

メーカーにした TBSプロレスが

 1968年 正月に旗揚げすることが決定 

翌1968(S43)年は 日本プロレスのエース 

G・馬場の真価が問われることとなった。