1996年、俺はオーストラリア大陸を自転車で横断して、シドニーにあったバックパッカーに泊まっていた。
Tokyo villageと呼ばれてるこの宿のオーナーは、ドイツ人で当時40歳のチャーリーという良いやつだった。
宿の経営に日本人が関係しているわけではなく、元々は Central Student Accommodationという宿名だったのだが、オートバイで旅をする日本人が集まって来て、いつしか日本人の旅人同士が「東京ビレッジ」と呼び合うようになり、宿の名前が本当に東京ビレッジに変更したのだ。
もちろん他の国の旅人、特にオランダ人もたくさんいたのだが、日本人と気があうチャーリーらしく、東京ビレッジという宿名にしちゃったのだ。
ドイツ人の気質と、日本人の気質って何かあうものがあってさ、このチャーリーとはいろんな話をした。
お互いチャリダー(自転車乗り)だったこともあり、自転車談義から女の子の話まで、あれやこれやしていたw
チャーリの自転車を直したことから、「これからお前はタダで泊まって良い!そこらへんの自転車屋より腕がいい!自転車屋に払うくらいなら、お前に宿代をフリーにした方がずっと良い!」と言ってくれて、気がついたら合計3ヶ月も滞在してしまったw
シドニー滞在中は、チャーリーと一緒に近くのカトゥーンバでサイクリングを楽しんだ。
左端が俺なw
真ん中の友人は、今滋賀県で自転車屋さんをやってるw
右がチャーリーで、後ろに息子を乗せている。
チャイルドシートに乗っている可愛い男の子が、3歳のベンジャミンだ。
チャーリーのやつ、3歳のベンジャミンを乗せたまま、ダート道を軽くドリフトさせて下っていったんだよww
ワイルドすぎるなーって笑いながらサイクリングを楽しんだ。
水をかけられると逃げ回る小さい子がベンジャミンで、よく笑ったり泣いたり、3歳の可愛い子だったんだよね。
チャーリーとは、2005年に再開して、一緒にニュージーランドを自転車で走った。
大雨にあい、次の街で泊まろうって決めたら、その街はゴーストタウンになっていて泊まれず、さらに4時間くらい走って次の街で休んだんだよね。(ニュージーランドは街と街の感覚が50キロくらい)
ひどい目にあったね!って話してたら、チャーリーが
「おい!凄いぞ!俺のサイクルコンピューターが1000キロちょうどになってる!」
って言うんだよ。
「凄いなそりゃ!俺のサイクルコンピューターは何キロなんだろ?え?まじ??こんなことってあるかい!?俺のもジャスト1000キロだぞ!」
お互い大雨の中何時間も走った疲れを忘れて喜び合ったw
だって、同じ場所を同じように走ったんじゃなくて、俺は日本を少しだけ走ったりしてた。(ニュージーランド旅用に自転車を新調していた)
ニュージーランドの旅は、後半からチャーリーと合流したんだ。
チャーリーもまた、オーストラリアで距離を刻んで来たんだ。
こんな奇遇ってあるんだろうか?
旅というやつは、時々ありえないミラクルを起こす。
この日、寒い中2人で飲んだビールは格別だった。
あの街がゴーストタウンじゃなかったら、このミラクルはなかったからね。
そのあとは、ピクトンって言う街から、タンデムカヤックに4日乗って、野生のアシカを見にいった。
途中3泊は、その辺の浜辺にテントを張ることになる。
テントから見た夕日は息をのむほど綺麗で
チャーリーのテントに向かって
「チャーリー、外を見ろよ!やばいくらい綺麗だぜ!」
そんな時間を楽しんでいる日もあれば
別の日は
「おい、チャーリー、あのラブラブカップル、同じ歩幅で歩いてるよな」
「まるで北朝鮮のアーミーみたいだな」
「だよな、でもあと1ヶ月もしないうちに歩幅なんか乱れるんだぜ」
「そうだそうだ、お互いのケツを蹴りあったりするんだぜ」
などと中学生レベルのロクでもない会話を楽しみながら酔っ払ってたりした。
別の日、チャーリーが地図を見ながら
「なぁ晃一、このサンドフライベイってあるじゃん。ここは絶対人が寄り付かないでオイスターがいっぱいあると思うんだ。この先のオイスターベイよりずっと良いと思うんだ。ここは取り尽くされてるだろうし。」
「相変わらずクレイジーな頭してるなwよし!そこに泊まろうw」
サンドフライというのは、こいつさえいなければニュージーランドは最高なのにっていう、すごく嫌な虫だ。日本でいうブヨを小さくしたようなもので、一度刺されると1ヶ月以上痒かったり痛かったりする。
日本の虫除けなんて何の意味も持たず、現地の体に悪そうな虫除けを塗ったら少しはマシになるかなぁって感じなのだ。
サンドフライがいっぱいいそうなネーミングの砂浜には、誰も寄り付かないだろう、そこには誰もオイスターを取らないだろう、だからオイスターがいっぱいあるだろうと予測をしたのだ。
相変わらずクレイジーだなーと思いつつも、1ヶ月の痒みよりも、一瞬の喜びを選択したのだw
サンドフライに刺されることなく、たんまりとオイスターが取れて、戦利品を肴にワインで頭がふらふらになったのだw
写真見ると目がいっちゃってるよなーw
良い子のみんなは真似しちゃダメだけど、チャーリーのやつ、ワインをしこたま持って来て、タンデムカヤックで乗ってる最中に
「このニュージーランドのピノワイン最高なんだぜ!飲んじゃおう!」
「え?コップとかないよ」
「ライクア トランペット!」
おお!日本でいうラッパ飲みを、トランペットのように飲もうぜって英語で言うんだー!また一つお利口さんになったじゃまいかーって気を良くして
「飲もう飲もう!ところで酔ったら俺は漕げないから、チャーリーが漕げよ!」
と後ろでパドルを回すチャーリーに言ったら
「俺だって飲んだら漕げないよ、晃一が漕げよな」
「えー、やだよー、無理だよー、どーすんだよー」
「もういいよ、飲んでから考えよう!」
「そうだな、それはグレイトアイディアだぜ!」
なんて言いながら、いろんな意味でフラフラになってたなーw
そんな楽しい時間を共有したのだが、2010年にもチャーリーのところに訪れた。
新婚旅行で立ち寄ったんだよね。
ちょっとジャンレノ風になったチャーリーの家に泊まったりしたんだよね。
これ、当時のブログな。
https://ameblo.jp/hondakochan/entry-12199290390.html
ふぇー、読み返したけど懐かしいw
とにかく、いつも笑いが絶えない最高の時間を過ごして来た。
そんなチャーリーから、先々週一通のメールが入った。
「息子のベンジャミンが東京に行くんだよ。良かったら会ってくれ。」
おおー、当時3歳だったベンジャミン?
あの東京ビレッジを駆け回ってたベンジャミンが?
おおーどんな大人になってるんだ??
めちゃ楽しみにして、さっき会って来た。
娘に「この写真見てごらん。3歳の男の子がいるだろ。パパは今から3歳だったこの子と20年ぶりに会ってくるんだぜ!どんなお兄ちゃんになってるんだろうな?」
「えー私も会ってみたい!」
「そうか、んじゃちょっとだけ会って、あとはママと一緒に帰るんだぞ」
めちゃ身長が高くなって、めちゃイケメンになってたw
娘がもっと一緒にいたいとか言ってたw
英語わかんないのにw
あまりイケメンハンターになってもなぁw
でも、なんかこう、胸熱だったんだよなー。
ベンジャミン、23歳になったとかで。
俺がオーストラリアにいた頃って、ちょうど23歳くらいだったんだ。
あの頃の俺と、同じ年かー
そうかー
だったらいっぱい旅しろよー
40歳過ぎたおじさんだが、20代に旅したことは鮮明に覚えていて、そのことを思い出すとすごく元気になるんだ。
え?今から渋谷のクラブに行く?
ウンウン、20代の時に音楽はいっぱい聞いておけー
特に旅先で聞くんだぞ。
40過ぎてもな、20代の頃に聞いた音楽を繰り返し繰り返し聞いたりするもんなんだよ。
良い音楽と、良い旅はいっぱいしておけ、あ、説教じゃないぞ、とにかく、これは一生の宝になるんだぞ。20代は金が無いけど一生の心の宝はいくらでも作れる。いっぱい作るんだぞ、ハートは宝箱で誰にも奪われずに経験っていう宝を詰め込むことができるからな。まじだぞーってお酒が入っていないのに、つい語ってもうたw
だって、ちょー嬉しいんだもん。
なんか不思議なタイムマシーンに乗ってる感覚なんだ。
だって、3歳だったベンジャミンが、あの頃の俺と同じ歳になっていて、当時のチャーリーと今の俺が、同じ40代でさ。
なんだか時空と国を超えて不思議な再会をした気分だった。
そこに娘もいることによって、また不思議な時空と国を超えた経験を次世代がするんだろうなぁって感覚になったぜ。
結局娘は最後まで一緒にいたw
娘的にはディズニーにいる、イケメン王子様と同じ感覚で記念写真撮ったんだろうなw
そうそう、自転車のバックはニュージーランドから帰国後変えたんだ。
チャーリーの自転車についてたバッグの方が便利だったもんで。
あの頃2005年、南半球を走った自転車は、2017年の今では通園快速として活躍しサイクルコンピューターが距離を刻み続けてる。
これも時空と国と距離を超えて胸熱なのであるw
追伸
誰かこれを英訳してくれると嬉しいw
チャーリーに見せたくてね。
俺、英語で話すことはできるが、読み書きさっぱりなんだwww
ありがとう!何人かの人から英訳が届いた!嬉しいぜ!