新昭和通
昭島駅の北口を歩いているときに面白い、水の勢いで回る石球が目に入った。
すぐ隣にあったのは「新昭和通の碑」
説明文には
「新昭和通
この道路は、「新昭和通」と呼称し、昭島駅北口の十字路から北へ進み、ゆるくカーブをしながら「フォレスト・イン昭和館」の南東角にある十字路に至る、全長594m・幅員16mの道路で、「昭和館」の建設に合わせて、全額昭和飛行機の負担で新しく築造され、昭島市に寄贈されたものであります。
この工事は、道路用地にかかわる工場敷地内の建物等の移転と並行して、平成8年10月に着工、18ヶ月の工期を経て、平成10年4月17日開通しました。
昭和12年の昭和飛行機創立当時、当社は機械設備等の搬入のため、旧奥多摩街道から諏訪神社脇を北上し宮沢地区を経て旧工場正門に至る、延長約2km・幅員11mの道路を当社の負担で新設し、地元に寄贈しました。
その道路は、「昭和通」の名で、広く人々に親しまれていましたが、道路築造に合わせて当時建立された「昭和通」の石標は、年を経て散失してしまいました。しかしながらその後、地元有志の熱意により、昭島駅南側の宮沢町1丁目1番5号(株)カトービルドシステム前にこの石標は修復再建され今日に至っております。
当社ではこれに呼応して、このたび昭島駅北側に新設した道路を「新昭和通」と称し、南の昭和12年当時の「昭和通」の石標と同型、同寸法の「新昭和通」の石標をここに建て、南北両道路ともども永く人々の記憶に留まり、また広く活用され親しまれることを念願するものであります。
平成10年4月吉日 昭和飛行機工業株式会社」
とあった。
そういえば、昭島駅の南口を車で通過した時に「昭和通」と刻まれた石柱を目にしたことがあった。
名前の由来となった昭和飛行機工業(株)は規模は小さくなったが現在も残っている。
石碑一つにも地域の歴史と地域の人々の思いが込められていることが分かる。
昭島散歩 ⑦ アキシマエンシス
アキシマエンシス?! て何と普通の人は思いますよね。
1961年(昭和36年)に昭島市の多摩川河川敷で見つかった、新種のクジラと認定されたアキシマクジラにEschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス・アキシマエンシス)という学名が与えられた。
と、言うことで 令和2年3月28日(土曜日)にオープン した教育福祉総合センターの名前がアキシマエンシスになったのです。
市民図書館、郷土資料室、教育センター、子ども家庭支援センター、男女共同参画センターなどが連携した複合施設になっている。
郷土資料室や
オープンスペースを利用した、開架式図書館が、
広く市民に開放されている。
広々とした空間を活用した複合施設が市民に等に開放されていて、他市の市民である自分にとっても魅力を感じる施設であった。
昭島散歩 ⑤ 代官山
イチョウ並木の北側一帯は代官山と呼ばれていた。室町時代に扇谷上杉氏の代官がここに館を構えていたので、後世の人々がこの一帯を代官山と呼ぶようになったと伝えられている。
令和元年(2019年)6月、この代官山の中に、「武藤順九彫刻園」が開園した。
入園はフォレストイン昭和館のエントランスから。
大理石中心の9作品が森林内の所々に展示されている。
硬い大理石から布状で曲線的な作品を削り出すのは大変な作業だと思うが、正直なところ作品が何を現しているかはピンと来なかった。^^;
大部分の作品が同じような形状だったが、この作品だけが少し変わっていた。
武藤順九についてはWikipediaに詳しい説明があったので紹介しておく。
武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )は、日本の男性彫刻家・画家。宮城県仙台市出身。
1973年に東京芸術大学を卒業し、ヨーロッパに渡る。イタリアのローマと彫刻の町ピエトラサンタにアトリエを構えて、大理石の彫刻を中心に抽象的なテーマの彫刻を制作している。1997年にピエトラサンタでヴェルシリア賞国際グランプリを受賞した作品「風の環(わ)・PAX 2000」は、2000年7月25日にカステル・ガンドルフォにあるローマ教皇の避暑用の離宮に永久設置された。その後、「風の環」と題した彫刻作品を世界各地に設置している。2019年6月9日には昭島市の昭和の森内に大理石彫刻園を開園させた。