今更ながらの・・・人在日本身不由己
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

胡麻味噌担担麵 VS 揖保乃糸

最近の食事では御飯よりも麺類の方が美味しい気がするのは気のせいかな?

と、言う訳で地元の温泉に行った時、併設されている食堂で食べた胡麻味噌担担麺が美味しかった。

 

 

 

 

もっとも、手羽先も注文しちゃったけどね。^^;


で、対抗した訳では無いけど、連日のように真夏日になって来たので涼しく食べられる素麵が恋しくなってきた。
そこで、揖保乃糸素麵を買ってきて茹でて作ることにした。

 

 

外食と違い、準備に時間がかかるのが玉に瑕だけど、暑い夏には冷やし素麵が美味しい。

どちらも美味しいので甲乙つけ難い。まあ、美味しければどっちでも良いや!(笑)

昭島散歩 ⑧ 林の馬頭尊

JR青梅線中神駅の南、中神駅と砂川二番を結ぶ大山道のY字路にあり、道しるべの役目も果たしている。この地域は「林」という集落で、安政六年(1859年)の大洪水の時に流失された中神村の田中地域の住民が移住した所で、当時二〇頭の馬を飼育していたので、馬持連中が慶応四年(1868年)に建て、馬匹の守護と村の安泰を祈願したといわれている。馬頭尊あたりの道は急坂で、「林の坂」とも言われていたそうだ。

 

 

 

(最後の画像はY字路に建つ林の馬頭尊:昭島市のHP より拝借 )

自然石に「馬頭尊」「世話人馬持中」などの銘文が彫られている。

新昭和通

昭島駅の北口を歩いているときに面白い、水の勢いで回る石球が目に入った。

 

 

すぐ隣にあったのは「新昭和通の碑」

 

 

 

説明文には

「新昭和通
 この道路は、「新昭和通」と呼称し、昭島駅北口の十字路から北へ進み、ゆるくカーブをしながら「フォレスト・イン昭和館」の南東角にある十字路に至る、全長594m・幅員16mの道路で、「昭和館」の建設に合わせて、全額昭和飛行機の負担で新しく築造され、昭島市に寄贈されたものであります。
 この工事は、道路用地にかかわる工場敷地内の建物等の移転と並行して、平成8年10月に着工、18ヶ月の工期を経て、平成10年4月17日開通しました。
 昭和12年の昭和飛行機創立当時、当社は機械設備等の搬入のため、旧奥多摩街道から諏訪神社脇を北上し宮沢地区を経て旧工場正門に至る、延長約2km・幅員11mの道路を当社の負担で新設し、地元に寄贈しました。
 その道路は、「昭和通」の名で、広く人々に親しまれていましたが、道路築造に合わせて当時建立された「昭和通」の石標は、年を経て散失してしまいました。しかしながらその後、地元有志の熱意により、昭島駅南側の宮沢町1丁目1番5号(株)カトービルドシステム前にこの石標は修復再建され今日に至っております。
 当社ではこれに呼応して、このたび昭島駅北側に新設した道路を「新昭和通」と称し、南の昭和12年当時の「昭和通」の石標と同型、同寸法の「新昭和通」の石標をここに建て、南北両道路ともども永く人々の記憶に留まり、また広く活用され親しまれることを念願するものであります。 
 平成10年4月吉日  昭和飛行機工業株式会社」

とあった。

 

そういえば、昭島駅の南口を車で通過した時に「昭和通」と刻まれた石柱を目にしたことがあった。

 

名前の由来となった昭和飛行機工業(株)は規模は小さくなったが現在も残っている。

 

 

石碑一つにも地域の歴史と地域の人々の思いが込められていることが分かる。

昭島散歩 ⑦ アキシマエンシス

アキシマエンシス?! て何と普通の人は思いますよね。

1961年(昭和36年)に昭島市の多摩川河川敷で見つかった、新種のクジラと認定されたアキシマクジラにEschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス・アキシマエンシス)という学名が与えられた。

 

と、言うことで 令和2年3月28日(土曜日)にオープン した教育福祉総合センターの名前がアキシマエンシスになったのです。

 

 

 

 

市民図書館、郷土資料室、教育センター、子ども家庭支援センター、男女共同参画センターなどが連携した複合施設になっている。

 

 

郷土資料室や

 

 

 

 

オープンスペースを利用した、開架式図書館が、

 

 

 

 

 

広く市民に開放されている。

 

広々とした空間を活用した複合施設が市民に等に開放されていて、他市の市民である自分にとっても魅力を感じる施設であった。

街中に猿!

先日、所用でJR青梅線の中神駅近くまで出かける用事があった。

 

 

 

なんと、江戸街道と呼ばれている大通りの歩道上に1匹の猿がいるじゃありませんか!


動きが激しくないので、どうも野生の猿ではなさそう。でも、鎖や紐などは無いのでペットとして飼われていたのかどうかは不明。

 

 

 

通行人が携帯のカメラで写していたが知らん顔して無視していた。(笑)

人を警戒する様子も無いので、ペットとして飼われていた猿が逃げ出してきたみたいだ。
先を急いでいたので、自分も持っていたデジカメで数枚写してその場を離れてしまったので、その後どうなったかは分からないが気になるな~。

昭島散歩 ⑥ フォレストイン昭和館

代官山の武藤順九彫刻園があるのは昭島モリパークにある都市型リゾートホテルであるフォレスト・イン昭和館(オークラホテルズ&リゾーツ)の敷地内で、ホテルのエントランスからしか入園できない。

と、言うことでエントランスに飾ってあった絵画類もカメラに収めてきた。

 

 

 

 

又、彫刻園の手前にはチャペルやテーブル席もある。

 

 

 

 

平日の午前中だったがレストランには何組かの利用客が入っていた。


なお、フォレスト・イン昭和館は2025年1月で閉鎖され、閉鎖後の跡地の予定は現在発表されていないので武藤順九彫刻園には早めに行っておいた方が良さそうである。

サッパリした後の夕食は・・・

何にしようか迷ってしまう。
地元の温泉の帰りに、併設されている食堂で夕食を食べることが多くなってきた。

で、今回メニューを見ながら暫し迷う。

 

 

 

どれも美味しそうで目移りするな~


で、結局注文したのは・・・

 

 

「とんかつカレーうどん」(税込み 1150円)と「なんこつ揚げ」(税込み470円)の2品。   
カツカレーはよく食べるけど、
「とんかつカレーうどん」は初めてかも。

次回は何にするかな~?!

昭島散歩 ⑤ 代官山

イチョウ並木の北側一帯は代官山と呼ばれていた。室町時代に扇谷上杉氏の代官がここに館を構えていたので、後世の人々がこの一帯を代官山と呼ぶようになったと伝えられている。
令和元年(2019年)6月、この代官山の中に、「武藤順九彫刻園」が開園した。

 

 

 

 

入園はフォレストイン昭和館のエントランスから。


大理石中心の9作品が森林内の所々に展示されている。

 

 

 

 

 

硬い大理石から布状で曲線的な作品を削り出すのは大変な作業だと思うが、正直なところ作品が何を現しているかはピンと来なかった。^^;


大部分の作品が同じような形状だったが、この作品だけが少し変わっていた。

 

 

 

 

 

武藤順九についてはWikipediaに詳しい説明があったので紹介しておく。

武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )は、日本の男性彫刻家画家宮城県仙台市出身。
1973年に東京芸術大学を卒業し、ヨーロッパに渡る。イタリアローマと彫刻の町ピエトラサンタにアトリエを構えて、大理石の彫刻を中心に抽象的なテーマの彫刻を制作している。1997年にピエトラサンタでヴェルシリア賞国際グランプリを受賞した作品「風の環(わ)・PAX 2000」は、2000年7月25日にカステル・ガンドルフォにあるローマ教皇の避暑用の離宮に永久設置された。その後、「風の環」と題した彫刻作品を世界各地に設置している。2019年6月9日には昭島市の昭和の森内に大理石彫刻園を開園させた

クレープ生地を焼くのは難しい

自分でクレープ生地を焼こうと思って、またまたこんなものを買ってしまった。^^;

 

 

 

 

 

流し込む生地の量や加熱時間を変えながら数回チャレンジ。

 

 

で、その結果…

 

 

 

どうも硬くてクレープの皮としては使えなかった。^^;

昭島散歩 ④ 昭和飛行機旧格納庫

昭和の森のイチョウ並木を歩いていると東側に大きな蒲鉾型の白い建物が見える。

 

 

 

 

いちょう並木の東側にある室内テニススクールの建物がそれで、かつての飛行機格納庫数棟を利用したもので、かまぼこ型の大きな屋根が特徴である。

建物は鉄骨・鉄板葺き・平屋建てで、橋梁メーカーで知られる巴組鉄工所の施工で、内部に入ると大きな弧を描く鉄骨を見ることができる。

 

昭島デジタルアーカイブに格納庫建設当時の写真があったので拝借してきた。

 

 

これを見ると、確かにかまぼこ型の大きな屋根で大きな弧を描く鉄骨造りということが良く分かる。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>