5月11日更新分・老犬【石頭FBノート】 | 手上のコイン Blog

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五月天の石頭がFBのノートに書いてる日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘下されば幸いですm(_ _)m


石頭FBノート 老狗'170511


老犬 5月11日更新

家で朝ご飯を食べるのが好きだ。
簡単な食事を楽しむ以外にも、平凡で静かなひとときの時間をもつことが出来る。
暖めたコーヒーを引き立てるのは、空のシリアルボウルにスプーンがぶつかって立てる澄んだ音や、モクセイの木の上の台湾ヒメマルハシの囀る声、離れた隣家の何匹もの子犬の鳴き声、そして15分置きに聞こえる679バスのブレーキの音。
フランス窓の外に見える十数歳の一匹の老犬は、ここ何年かはずっと決まった場所で、少しの運動時間以外は同じ姿勢のまま伏せている。
10年前の彼はもちろんこんな風に泰然とはしていなかった。その頃の19階の狭いアパートは彼のような大型の動物にとってはきゅうくつで、10年後にいる屋外の庭の方がこういった犬種にはふさわしいように思える。
けれど、19階にいた頃のあの若いラブラドール犬のようには転げ回ったり、走り回ることは出来ないのだ。

土、草花、虫に鳥、日の光、こういった景色を空想していた。彼が土を掘り返し、草木の間を何度も行き交い、彼の睡眠を邪魔する蜂を追いかける。
けれど、現在目の前にいる彼は、眠たそうな眼を微かに開いた後、再び頭を振って眠りについてしまう。

たまに、彼の本能を呼び起こしてやろうと、大きな声で彼の名を呼び、大好きなリンゴの果肉を放ってやる。急いで飛びついてくるのを期待するのだが、見られるのはゆっくりと亀のように歩む姿だけだ。
十数年という歳月は彼の為の何の英知ももたらさず、ただあるのは、だんだんと衰えていく四肢だけだ。

先日の朝、彼のことを考えたのは、決して急に恋しくなったからではなく、がっかりすることがあったせいだ。
つまり自分に起きたこと、目の前の本の文字がぼやけていることに気づいたせいだった。
僕の血筋には近視はいない。学校の保健室にある、あのめいめいに四つの方向を向いている大小のEの字、僕は高校の卒業前でもいちばん下まで見えた。
だから、先日のその瞬間こんなに早く始まるものなのかと狼狽えてしまったんだ。

周囲の人にこの話をしたら、同じ年代では誰しもあることだということがわかった。腰や背中が痛く、目がかすんでぼんやりとする、遅いか早いかの違いでしかない。
少し年上の友人が彼が会得したことを教えてくれた。彼は一生こだわりは持たず、この生涯で人の暖かさも冷たさも、浮き沈みも、見通せるものと思っていたが、いちばん後悔しているのは、もうちょっと早く自分の身体を鍛えておかなかったことで、間に合わせに現在ウォーキングをしていると、膝の下に微かに痛みがはしり、どんな姿勢で座っても痛みとしびれが和らぐことがないと。

家の中でしだいに活力を失いつつある老犬にはもう兆候がみえている。人類の八倍近い寿命も永遠ではない。途切れることのない人生の中でずっと気持ちの上でも肉体的にもピークを維持することは不可能だ。
時間の遡ることのない痕跡が、僕の視力をだんだんとぼやけさせ、まだ痛みのない身体も最後には老いさらばえ、ただ時間がいつか彼の慈悲を取り上げるのを待つばかりになる。
僕らもまた失われていくものを取り戻すことは出来ない。望むべくは、それが訪れた時に今のような活力を維持してそれに対抗したい。
いま出来ることは、自分の身体をもっと鍛えて、少しでも早く走り、高く飛び、損傷と再生を経てもう少し長く維持することのできる身体を作り直すことだ。






ここで出てくるラブラドール、文中では“牠”とだけ書いてあるので、そういえば性別どっちだっけ?と思って、《我的搖滾媽咪》………(っていう石頭の第一子(通称小石頭)が誕生した時の本がありまして。)に飼い犬の話が書いてあったな~と引っ張り出しました。
…パラパラしか読んでないけど持ってますよ、ええ、まあ。←ちゃんと読みなさい。

で、男の子でしたので『彼』と訳してます。彼の名前は石大、英語にするとSter、白いラブラドールです。

石ぱぱ、運動好きなのは知ってるけど、何でも程度問題だからほどほどにね(笑)

他のメンバーは近視ぽいけど石頭は目がいいなーってのはなんとなく気づいてましたけど、思いがけない事で判明してしまった。(笑)(ごくごく珍しくメガネかけてる時あったけど、他のメンバーと違って見るからに伊達ぽかったし)