5月7日更新分・立夏は秋の如し【石頭FBノート】 | 手上のコイン Blog

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五月天の石頭がFBのノートに書いてる日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘下されば幸いですm(_ _)m



石頭FBノート 立夏如秋 '170507


立夏は秋の如し 5月7日更新分

幾度か人を記憶の深くへと誘い込んでしまう得難い旅がある。それは天使の涙のように滅多にない貴重なものだ。
何故ならその記憶は時間を超越するからだ。
僕達が知っているすべての出来事は遺伝子のように繋がり合っていて、子供時代や青春の一歩一歩はみな人生の一部だし、呼吸のひとつひとつはみな、過去のため息だ。

太原に向かう旅路で、香港の広い搭乗ロビーにしばし滞在した。このロビ ーは記憶の樹の洞(うろ)で、一歩よろめいてはまりこむと、かつて乗り換えを待っていた時間へと戻るのだ。
直行便が増えて、この広いロビーもまるで忘れ去られてしまった公園のようだった。
ある日、再びそこを訪れると、肥大した身体は当時よじ登って遊んだ遊具に押し込めることができなくなっていて、はりきって登った滑り台も人目を気にしてやらなくなる。
そうやって少しずつ失われてしまったものに気がつくのだ。

この空港には百近い搭乗ゲートがあって、ちょっとした時間があると、毎回航程の軌跡を寄せ集めてみていた。
でも引き出しの中に山積みとなった欠片の意味も、搭乗前の気持ちも、ある日、再び思い出すことができなくっていて、思い切ってそれを捨て去って、次の旅路は別の方法で守ることにした。

次の搭乗機に乗り大型空港から飛び立った。
飛んでいる間中ずっと太原の様子を頭の中に描こうとしてみた。何か一つでも、この都市の美しさを過去の旅路の中から思い出せないかと思い巡らせてみたのだけれど、忘れっぽい僕の記憶は真っ白で、次は忘れては駄目だぞと厳しく自分に言い聞かせた。

着陸して、飛行機の扉を出ると、不動産や投資の広告で占められているはずの武宿のターミナルの壁には、この街の過去の歴史的人物や名士が細やかに描かれていた。多くの人が馴染みのある、よく耳にする名前だ。白居易、関羽、武則天、狄仁傑など、この地方では地元の出身者より評判が高い者はいないらしい。
けれど、その馴染んだ感覚は学生だった頃を思い出させる。
僕がよく知りたいのはここの事なのだ。

そのときはもう夕方で、立夏の後の太原に吹く風は台北の秋の終わりのような涼しさで、からりとしていて清々しく、出かけるにはちょうどよかった。
タクシー運転手に現地の特色を尋ねると、彼は剔尖という、刀削麺に似た種類の麺食(小麦粉料理)の話を詳細に描写してくれて、僕の興味をかきたてた。ホテルのすぐそばにある市場からは呼び込みの声が沸き立ち、食指を動かされた僕を誘っている。
端から端まで歩いてほんの一キロほど、晩ご飯にと考えた剔尖も忘れ、手には半斤の麻花と二枚の葱花餅(ねぎパイ)開花饅頭、それに塩クッキーを一つと甘いクッキーを一つずつ買い求めていた。
僕は欲張りにもこの街で自分が食べられそうなものを全部お腹に放り込もうと思ったのだ。

そういった暖かい麺食をぶら下げて、見つけた小さな店で一碗七元の剔尖を頼んだ。ついでにケースの中から隣の席と同じ汾酒(お酒の種類)の瓶を取り、彼らが豪快に杯を一杯、また一杯とあおりながら、昼間に遭遇した話を朗々と語るのを聞いていた。
僕の口の中の剔尖の味ははっきりとしていて、それにいくらかの、そこでしか味わえない地元の風味が加わっていた。

その店を離れる前に、目つきの鋭いおかみさんが僕にどこから来たの?剔尖おいしかった?と尋ねたので、心から返事をした。それに続いて仕事で来たのか、それとも観光かと聞かれた時に、僕は少し迷ってからこう答えた。
「会社と一緒に、旅行に来たんです。」

次の旅行も、また会社と一緒だ。



剔尖は日本だと撥魚の呼び方の方がメジャーなのかな?これは北京あたりの名称みたいですが。竹の棒や箸で生地を削って作る麺の事らしいです。

…………あと何個か、解説した方が良い???
という用語がある気もしますが、麵食の名前とかは文字で書いて解説しても、あまり変わりが無いと思うので、興味のある方は名前を入れて画像検索でもしてみて下さいませウインク