【観劇記録】降りそそぐ百万粒の雨さえも | 手上のコイン Blog

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演劇集団キャラメルボックス2011サマーツアー
『降りそそぐ百万粒の雨さえも』

《東京》サンシャイン劇場
2011年8月6日(土)~28日(日)

《名古屋》名鉄ホール
2011年9月3日(土)・4日(日)

《神戸》新神戸オリエンタル劇場
2011年9月10日(土)~18日(日)


■Cast

左東広之
畑中智行
三浦剛
坂口理恵
岡田達也
大内厚雄
岡内美喜子
温井摩耶
筒井俊作
實川貴美子
阿部丈二
小多田直樹

■Story

慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いに敗れた新選組は、船で江戸へ向かう。
副長・土方歳三は江戸で再起を叫ぶが、隊士は半減。
池田屋騒動の頃の勢いはもはやどこにもなかった。
一番隊士・立川迅助は、土方の命令で、沖田総司の世話係となる。
沖田は労咳が悪化し、一人で歩くこともできなくなっていた。
隊から離脱し、千駄ヶ谷池尻橋近くの植木屋の離れで静養することに。しかし、土方たちが甲陽鎮撫隊として、甲府に行くと聞き、無理やり後を追いかける。
迅助が止めるのも聞かずに……。



この新選組の『立川迅助』が主人公の物語は、三作作られている。
一作目は、『風を継ぐ者』
新選組に入隊した、気の優しい走るだけが特技の男が、隊士として成長してゆく姿と、沖田の恋物語。
そして二作目は、『裏切り御免』
その迅助が隊務の中で坂本龍馬と出会う物語。そして迅助の恋物語でもある。
そして、その二作でも語られなかった空白を埋めるのが、今回の『降りそそぐ百万粒の雨さえも』
話は新選組が江戸に戻ってきたあたりから始まる。
沖田は病を悪化させ療養のため隊から離れざるをえず。
幕軍として戦い続けた新選組は敗戦に継ぐ敗戦を重ね、かつて新選組の中心人物であった原田や永倉が、近藤との意見の食い違いから離脱し。
隊は衰退し、追いつめられ、策を弄したものの近藤は捕まって打ち首となり、
かつて新選組と呼ばれた彼らはどんどんジリ貧となってゆく。

このあたりの経緯って、ちょっとゴチャゴチャして難しいので、未だに混乱するんですよね……。←かつてこれが厭で幕末が嫌いだった女。

芝居観れば少しは整理されてわかるかな~と思ったけど、
うん。やっぱり一部わからなかった(笑)
新選組が日野で長居したせいで先にお城とられたのとかは知ってるけど。色々、記憶が前後しちゃってるのよね~(^_^;)

まあ、背景わからなくても、芝居は観られたけど。

薩長同盟とか大政奉還とかその後の龍馬暗殺とか、
龍馬の書いた船中八策とか。
そういう有名なとことか、大きな流れくらい知っていれば……。
それもわからない場合は人間ドラマだけに集中して下さいとしか言えませんが。

キャラメルの台詞の速さにはだいぶ慣れているはずなのに、経緯と人物それぞれの信条と心情に追いつくのに、かなり必死で観ました。
まあ、そうやって芝居にくらいついていくうちに、前のめりに物語に入り込んでいけるのが、キャラメルの特徴なんだけど。今回はかなり怒濤の展開という感じ。


この時代、本当にそれぞれの人の中に、「正義」があったのだと思う。
もちろん、一方的に正しいという意味での正義ではなくて。
義というのは、殉じるべき信念ではあるけれど、もちろんそれが正解とは限らない。

小さな視野でしかものが見えていない者もいただろうし、
時代の流れから逆行してでも守りたいものがあった者もいるだろう。
逆に、大きな視野でものを見るあまりに、周囲の理解をなかなか得られない者も。

それは一つの大きな安寧の中に居て、流れに身を任せていた人々が、
日本という国の大きな危機に直面して、
それぞれが独立して、自らの頭で考え始めた結果の流れで。
時にそれが命をかけた造反や、
許されない裏切りになってしまう、そういう時代にあって。
一つの方向を向いていたはずのものが、変化し、
ボロボロと櫛の歯のように折れて欠け落ちてゆく姿になど、
私は美学を感じたりしない。

そしてこの物語も、
そんな美学(もの)を語ったりなどしていないのだと思う。
誰もが、信じるように生きるしかなく…。
けれど、それぞれの生き方を貫く姿はどれも、優劣などなく美しいのだ。



主人公の立川迅助は、どんな時代の中にあっても、想いで動いてゆく。真っ直ぐで、時に不器用なほどの、『信』という想いで。
風を受け継いだ、その想いで。

一作目の『風を継ぐ者』の中で、武士として生きる己の信念、大事な人たちを命がけで守る沖田のその心は、風に喩えられている。
しかし、この作品の中でその想いを受け継ぐ者は、予感だけを匂わせつつも明確にはされていない。

三作目にして、ようやく観客は受け継がれた沖田の想いを、
”風の姿”をしっかりと感じ、受け止めることが出来る。


風を継ぐ者が好きな私としては、この芝居を観て
それを多くの人が受け止めてくれればいいなぁと、

そんなことを思ったりしている。