イキウメ『太陽 THE SUN』
〈東京公演〉
2011年11月10日(木)~27日(日)
青山円形劇場
〈大阪公演〉
12月2日(金)~4日(日)
ABCホール
■Cast
加茂杏子
有川マコト
岩本幸子
森下創
大窪人衛
盛隆二
伊勢佳世
安井順平
浜田信也
■Story
四十年程前、
世界的なバイオテロで拡散したウィルスにより人口は激減し、政治経済は混乱、社会基盤が破壊された。
数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が注目される。
彼らは人間をはるかに上回る身体に変異していた。
頭脳明晰で、若く健康な肉体を長く維持できる反面、紫外線に弱く太陽光の下では活動できない欠点があったが、
変異は進化の過渡期であると主張し、自らを「ノクス」(ホモ・ノクセンシス=夜に生きる人)と名乗るようになる。
ノクスになる方法も解明され、徐々に数を増やす彼らは弾圧されるが、変異の適正は三十前後で失われる為、若者の夜への移行は歯止めが効かなくなった。
次第に政治経済の中心はノクスに移り、遂には人口も逆転してしまう。
ノクスの登場から四十年、普通の人間は三割ほどになり、ノクス社会に依存しながら共存している。
かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治体が点在し、緩やかな連合体を築いていた。
都市に住むノクスに対し、人間は四国を割り当てられ多くが移住していたが、未だ故郷を離れず小さな集落で生活するものもいた。
個人的には、こういうのがイキウメの本領。というイメージがある。
我々の現実とは少し違う。
だが全く異なるものではなく、隣あったベン図のような関係性をもつ世界、とでもいうのか。
普段の常識の一部分が非常識に。
非常識が常識にそっとすり替わる感覚。
あくまでも、ガラリとではなく、そっと、だ。
何故ならば、それは全くの無ではなく、我々の潜在意識の中には存在しているものだから。
人間の間にある差別意識というものは、どこから派生してどう形を成していくのだろう。
それを解体してゆくと、それは何と何と何で出来上がっているのだろうか。
自分には違和感に思える感覚を、他の人は当然とし、また他の人は完全否定する。
人間なのだから、もちろん違いはあるだろう。
立たされる立場が違えば、当然、真逆の意見が出てくることもある。
自分にとっての常識は、決して他人にとっての常識ではない。多分どちらにも、正しいということはなく、間違っているということもない。
その間をどう繋いでゆくのか。
繋ぐことができるのか。
どちらかが優位に立ってしまった時、それはより困難な道のりに思われる。
どちらもが優位に立とうとすれば尚のこと。
今回、イキウメでの有川さんを観るのが(私は)久しぶりだったので、それが楽しみでした。
有川さんの芝居は好きだから出演されてる作品見つけると結構、選んで観たりするんですけど。
今回は安井さんと共演。いや、これは観るしかない!(笑)
そして、やはりこのお二方は見応えがありました。
イキウメの芝居で観る有川さんは、いつも以上に技術面よりもその存在感が際立つ印象で、とても好きですし。
お二人のシーンに印象的なやりとりが結構ありましたしね…。
でも、
大窪さんと浜田さんの関係性や立場。言葉。やはりこちらに惹かれたかな……。
けっこう刺さりますよ。
自分に照らして考えてしまう。
理解するって、とてつもなく難しい道のりだ。
だって人間には、相手のことをどうやっても知り得ない事柄だって、沢山あるのだから。
…いや、まて。
自分の事だって、一体どれくらいわかっているっていうんだ?
偏らないってどうするんだ?思い上がらず、卑屈にならず……。って、無理無理。
特にどちらかに偏りやすい自分にはかなり難題だ(苦笑)
そんなことを思いつつ。
偏ってしまうことの方が、きっと、楽なんだろうなと考える。でも楽なことが、いいことでもいい方法でも、
…無いんだよな。
この芝居を、私は
共感で終わることはなかった。
ただ、
頭の中に浮かび上がった複数の想いの中に、少しばかりの祈りの気持ちを、そっと滑り込ませていた。
ほんの少しだ。
けれど、そのほんの少しの気持ちに出会えただけで、この芝居を観た意味はあると、そう思う。