マーガレット・コーベルト女史、追悼文 | 日本人よ速やかに新人類に変貌せよ!

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革命家足立啓司がゴーピ・クリシュナの遺志を継いで運営するクンダリーニ・リサーチ・ファンデーション日本支部からの情報発信。

 先年2019年の7月29日、ゴーピ・クリシュナの「高次元意識」を発

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  •    ISBN-10: 481501303
  •          ISBN-13: 978-4815013035
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  • ゴーピ・クリシュナ師への追悼文、ということで前回までレスリー・シェパード氏の文を載せました。今回は、僕もお会いできたコーベルト女史の追悼文です。
 マダム・マーガレット・コーベルト、スイス 1984年9月
 
 パンディット・ゴーピ・クリシュナがこの地上から他界したことで、人類は、極めて稀(まれ)なそして最も大切な人材を失いました。彼は、肉体にとらわれ五感に制約された私達への、存在の高い次元からの伝達者でした。プラトンは述べています。私達人間は生涯を通して洞穴の壁面に映った影を見ている、と。決して周りに注目することはなく自分が暗闇の中に閉じ込められている事実には気がつかない、と。ゴーピ・クリシュナは、しかし、そのたゆまぬ真理の探究によって洞穴の開口部を発見した数少ない人間の一人でした。そして彼は、怒涛の如く奔流してくる無上の栄光と普遍の智慧と愛に圧倒されたのです。彼は法悦の境に入りました。その歓びから、歌い踊りました。昼と夜の区別なく。詩や祈りの言葉を朗詠しました。そんな彼のあふれるばかりの歓喜と忘我の状態を一目見たいと押し寄せてきた人々の数は千の単位を下らなかったと聞きます。当初、家族や友人たちは大きな危惧を抱きました。神への愛にすっかり没入した彼がサニヤシ(語源的には全てを放棄すること。そこから、出家者、托鉢行者、沙門となって家を出、放浪の人になる意味が派生)になるとやがて言い出すのではないか、と。ところが彼は仲間達すなわち洞穴の中の人類のことを忘れませんでした。自身をよく調御して家長としての責任そして地域社会での自分の役割を果たしていくことを実行していったのです。慈悲心と利他の気持ちに満ちる彼は、スダハール・サマージ・サミティ(直訳すると改善・反社会的・協会すなわち反社会的因習改善協会とでも訳せるでしょうか。足立啓司)の創設者となってシュリナガルで改革運動を進めました。その目的は寡婦(かふ)の再婚への道を開くこと、派手になりすぎていた結婚式や高額で重圧となっていた新婦の持参金を限度あるものに控えること、そしてさびれていた聖廟の改修等、どれも貧しい人達を搾取者の手から解放し助けることでした。
 クンダリーニの最初の覚醒が起こったその12年後、抗しがたい衝動に駆られて彼は詩をしたためました。これは、「From the Unseen(直訳すると、目に見えないものから)」と題され小冊子にまとめられて1952年に出版されたのですが、すでに彼の超常的な詞藻を証明していました。と言うのも、この小冊子は、彼が全く知らなかった言語も含めて、なんと9つの異なる言語で表現されていたのです。これまで見せたことのない才能と洞察を伴った新しい人格が彼の中から出現してきた証拠でした。彼は自分に起こっていることをその後も細心の注意で観察し続けました。そして、クンダリーニによる人間存在の内なる変容としてこの現象を一冊の本にまとめたのです。それが彼の最初の本「The Evolutionary Energy In Man」です。1967年に世に出たこの本によって彼は世界に知られることになりました。この本が出たことで、知らずにクンダリーニ覚醒の徴候で苦労している人達にとって大きな救いが生まれたのです。2冊目に刊行された著「The Biological Basis of Religion and Genius(直訳で、宗教と天才性の生物学的基礎原理)の中で彼は自身のクンダリーニ説を論題として明言し物質偏重に傾いている科学界に警鐘を鳴らすと同時に、このクンダリーニという深遠な問題に速やかに取り組む研究・調査を呼びかけています。ちなみにこの革命的な本には、世界的にも著名なドイツの物理学者そして哲学者であったカール・フリードリッヒ・フライヘア・フォン・ヴァイツェッカー教授が、詳細な序文を寄せています。
 私が初めてパンディット・ゴーピ・クリシュナに会ったのは1967年から1968年の冬のことでした。それは彼の最初のヨーロッパ訪問の時でした。名誉なことに私は、チューリッヒの自宅に彼を客人として迎えることが出来たのです。その後、クンダリーニ・リサーチ・ファンデーション・スイスという名称でこの私の自宅にヨーロッパ支部が置かれることになりました。1983年の夏、パンディットは幾つかの会議に出席するために再びスイスを訪れ、またオーストリアやドイツにも回られました。この後直ぐ、同じ1983年に今度はアメリカインディアンの友人から、ニューヨーク、国連で10月23日に予定されている会議に是非出席して欲しいとの要請が入り、パンディットは渡米されたのでした。半分は口語体の散文形式で半分は韻を踏んだ詩の形式で書かれた「The Shape of Events to Come」の内容を見てアメリカインディアン達はゴーピ師を東の兄弟と認めたのです。アメリカインディアン達が伝える予言とパンディットがこの著書の中で語った予言的内容は一致していました。双方とも、進化の法則に逆らったがために人類に降りかからんと、すでに水平線に垂れ込めるがごとく間近に迫っている、災厄を知らせているのです。
 1950年、パンディットは、初めてまとめた詩の中で人類に知らせています。
  
 おお、一つの世界の崇高な平和に向かって進む人々よ
 何故に自分達を分断して、
 厄介な戦争や不穏、犯罪を招こうとするのか。
 
 人種が違うとか信仰が違うとかと並びたてて、
 障壁をわざわざ作って
 人類を狭い型枠に押し込めている。
 こうして恐れと憎悪を生み出す行為に
 せっせと明け暮れる。
 兄弟であることは隠したままにして。
 
 パンディットのこの深い憂慮は、その後も運命の赤い糸のように以後の著作を通してずっと言及され続けてきました。科学者達には、人体に宿る進化のエネルギーとして、クンダリーニの綿密な研究を常に呼びかけてこられました。パンディットには確信がありました。クンダリーニの追求こそ人類がたどるべき健全な道であり、想像さえできない大災厄や破壊を回避するためのバランスを取り戻す唯一有効な手段である。その確信です。
 人のために働きたいという慈悲と願いに突き動かされていた彼は、世界をまた遠く旅したのでした。けれども彼の極めて繊細な精神身体には、度重なる時差や気候の変化への対応に負担がかかりすぎました。1983年11月、カナダとアメリカの訪問からチューリッヒに戻ったパンディットは疲労困憊(ひろうこんぱい)されていました。そのためにインドには直ぐに帰国することが不可能で、数週間の休息を取られたのです。12月、彼は、チューリッヒでの残った日々に最後の著書となる「The Way to Selfknowledge」を書かれ始めました。5日間のうちに最初の9章、約280の詩文を書きあげ、その後、ニューデリーで続きが書かれて、この本は完成されています。彼は、この本について、進化の道を歩むために霊感によって未来の世代に書かれたものだと言われています。「禊(みそぎ)の災禍」がいよいよ始まって出版が不可能になるような世の中になる前に、多くの言語で世界に広く遠くまでこの本が伝えられることがパンディット・ゴーピ・クリシュナの切なる願いでした。
 クンダリーニの研究に関して、インドがその指導者的役割を担う。これはパンディットの強い願望でした。古代からの叡智(えいち)と秘伝に数知れず恵まれた国インド。この国こそ、今後の人類の進化のための研究の条件を最大に兼ね備えている、そう彼は信じたのです。最後の力を振り絞り、自分のことは二の次にして「Central Institute for Kundalini Research(直訳で、クンダリーニ中央調査協会)」を創設され、1982年には、将来の中心地にと願われながらデラドゥンで「Kundalini Yoga Experimental Project(直訳で、クンダリーニ・ヨーガ実証計画」を立ち上げられました。
 果たしてインドは、パンディット・ゴーピ・クリシュナというこの預言者の亡き後、彼の言葉に耳を傾けるでしょうか。
 
 コーベルト女史のお仕事は教会のパイプオルガニストだったと、ジーンからは聞いています。訪問した彼女からの第一印象は、まさに修道女。たたずまいは清楚で穏やかで気品に満ちておられました。御自宅兼クンダリーニ・リサーチ・ファンデーション支部の内装はとても質素できれいに片付いていました。一部屋はゴーピの著書が連なった書棚で一杯でした。滞在中は、寝るのも忘れてその部屋で読みふけっていた僕です。
 
次回はジーンの追悼文です。
 
ホモ・ノヴス/足立啓司