レスリー・シェパード氏の追悼文、続き、その2 | 日本人よ速やかに新人類に変貌せよ!

日本人よ速やかに新人類に変貌せよ!

革命家足立啓司がゴーピ・クリシュナの遺志を継いで運営するクンダリーニ・リサーチ・ファンデーション日本支部からの情報発信。

 先年2019年の7月29日、ゴーピ・クリシュナの「高次元意識」を発

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  •    ISBN-10: 481501303
  •          ISBN-13: 978-4815013035
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 「時間の感覚が無くなります。また、外からの音が耳に入ってこなくなります。この世界との接触がほとんど無くなってしまうのです。時折妻が部屋に入ってきます。いつも11時から12時の間に食事を取ります。この時間帯を守ることは自分の体調を保つために非常に大切です。さて、食事を持った妻は静かにドアをノックして部屋に入ってきます。しかし私は、妻が直ぐ横に来るまでそれに気が付きません。まだ書き続けているのです。やっと妻の存在に気が付いた私は、書く手を休めて、イスから立ち食事の置かれたテーブルに向かうのです。私は全く種類の異なる意識の中にあるのです。光の中にある。それは眠って夢を見ている時も同じです。この、光と私が表現するものがあなたにわかってもらえれば嬉しいのですが・・・。視界に入るもの全てが銀色の光沢を帯びてとても美しく見えます。その美しさにしばしば私は圧倒されるのです。そう、これが人間に約束されている運命です。人間には、新たな種類の意識が準備されているのです。ヨーガ・ヴァシシュタ(ラーマーヤナの著者ヴァールミーキの作と言われるサンスクリット語で書かれた哲学的詩文集。まとめられたのは8世紀にまで遡ると伝えられているが、原文は喪失。元々は32000の詩文から成っていたとされる。伝説の英雄ラーマとその師ヴァシシュタとの対話のかたちで進められている。ヴァシシュタは過去に存在したリシ((聖賢・仙人))の中でもとりわけ秀でたリシとして、リグ・ヴェーダにも言及されている)に書かれてある内容はあなたもご存知でしょう。この新たな意識を得たならたとえ王国と交換しようと誘われても断るだろうと書いてありますね。これは、内なる光が輝く安らぎの境地です。そして通常の意識とは全く異なる自己意識です。」
 
 あの時の師との会談。これは私の人生の中で、間違いない、一番の思い出深い体験となっています。時間が経つのにまったく気が付きませんでした。4マイルほど離れたニューデリーの街にまた戻るのにタクシーに乗った時は、もう夜の9時に近かったでしょうか。以後、パンディットに会う機会が再び訪れることはありませんでした。けれども手紙でのやりとりはずっと続けました。師の本の刊行に関して、また、クンダリーニ・リサーチ・ファンデーションの活動に関して、色々意見の交換をしたことが思い出されます。私は、ニューヨークにジーン・キーファーも訪ねました。お互いの持っているクンダリーニへの情熱を確認して感動し、同時にパンディットの著書に対する各自の理解を比べ合うこともできました。パンディットの著書の刊行に果たしたジーンの大きな役割は忘れてなりません。
 世間は、パンディットの著書の真の重要性にいまだに気が付いていない。クンダリーニという言葉が巷間に知られるところとなってからは、その本物の体験の有無にかかわらず、多くの人間がこれを売名的に利用して、グルとしての自分の立場の強化に努める例も少なくありません。私は、自著「Encyclopedia of Occultism & Parapsychology (オカルト、超心理学百科事典)改訂版全3巻、1984-1985」の中で度々この問題を取り上げ明らかにしようと努めました。そうです、繰り返しパンディットを例に挙げて彼の著書に言及し、また慎ましい生き方に徹して新興宗教(カルト)の教祖になることからは身を引いているその姿勢を紹介したのです。私は、宗教や神秘思想や超常現象の研究の中心にクンダリーニが来る、と確信しています。
 パンディット・ジ(インドで日常的に使う敬称、さんより丁寧!)。彼は唯一無二の存在であり魅力にあふれる愛されるべき人間でした。その逝去を惜しむのは親近の家族だけではないでしょう。彼の著書を通して啓示・霊感を得た、言わば世界中に住む彼の魂の家族の一員達からも惜しまれるに違いありません。彼は、終止、温和で、謙虚で、こだわりが無く、正直に徹した人物でした。自分が教祖になるようなことからは一貫して身を遠ざけて、単に聖なる意志のための働き手としての自分の立場をわきまえておられました。その彼がもうこの世にはいない。考えると悲しい。しかし、彼の残された著作と音源記録(テープ及びビデオ)は今後も彼のメッセージを語っていくのです。
 彼の開顕したことは、物質偏重の現代世界でこれまで無視されてきたと言ってもいい。程度の低い、その場限りのはかないどうでもいいことに奔走する社会。流行化される政治。自堕落・放縦(ほうしょう)に傾く文化。決して減ろうとしない麻薬や犯罪。挙げ句の果ては、個人と個人そして国家と国家で苛烈するパワーゲーム(権力獲得競争)。紛れもない、これが現代世界の姿です。けれどもこの姿はいつまでも続かない。パンディットのメッセージが、近々に起こる一大事を予測しているのです。人類はそれによって目を覚ますことになるでしょう。漸(ようや)くにして、人生の真の意味と志しを再び手にするのです。パンディットの教えはそういうことに関わっています。いつか必ず、この現代という時代でパンディット・ゴーピ・クリシュナこそ、最も記憶すべき最も高い悟境に到達した人物であったと、歴史に記録する日を迎えるでしょう。それを私は、信じて疑いません。
 
(レスリー・シェパード。作家。編集者。英国におけるヒンドゥー教徒は彼のテーマであり、その社会的、文化的、宗教的活動に親しく関りを持ってきた。Standinng Committee of Jews,Christians and Moslems in Europe((ヨーロッパ ユダヤ教・キリスト教・イスラム教常任委員会))でのヒンドゥー教徒の関心を代表する役職にも就いていた。)
 
 レスりー、長い心のこもった追悼文、どうもありがとう。あなたとクンダリーニ談義が出来なかったのは残念です。僕もちょうどインドに住んでいた1984年から1985年、ゴーピ師が暑い気候を逃れてデラドゥンに移り住まれたことをジーンから聞いていたので、会いに行こうと思えば行けたのだけれどもダラムサラやマナリでのチベット仏教の学習や教えを乞うためのラマやリンポーチェへの行脚で忙しくして、ついにデラドゥンには行けずじまいで終わってしまいました。聖者はみんなそうだけどオーラが凄い!面と向かっている時は圧倒されて、もう何を話してるんだか自分でもしどろもどろ。問題はその後。踵(きびす)を返して帰る路ながらにガガーン!とやって来るんだよね、今しがた会ってた聖者のメッセージが・・・。以前のブログ、アジョーとの面会のことで言及したけど、チベット仏教には弟子への教え方に3通りあって。一つ、言葉で聞かせる。二つ、文書で伝える。三つ、以心伝心、霊感を飛ばすと言うか意識が乗り移ってくると言うか。きっとゴーピに会ったらこのガガーンがあったろうな。
 追悼ということで、この場を借りてクンダリーニ・リサーチ・ファンデーション・ヨーロッパ支部を担っていたマーガレット・コーベルト女史とアメリカで頑張っていたジーン・キーファーに感謝とお別れの言葉を述べたい。ラッキーなことに僕にはスイスに友人が居て自分も大陸続きのドイツはベルリンに住んでたから友人を訪ねるついでにチューリッヒのマーガレットを訪ねました。25,6年前かなぁ。マーガレットの本職は教会のパイプオルガニストでした。俗界から超越したようなたたずまい。昔見た映画「ブラザーサン・シスタームーン」に出てた修道女クララを強烈に思い出してしまいました。余談ですが我が長女のミドルネームが「クララ」なのは、この映画とマーガレットが関係しています。この時マーガレットは、日本にしっかりとゴーピのメッセージを伝えて下さい、と僕におっしゃられました。僕は支部に蔵書されていたゴーピの全著書を手に入れ持ち帰りました。クンダリーニ・リサーチ・ファンデーション・日本支部のまずの仕事は、これらを日本語訳して刊行していくことだと考えています。相手にしてくれる出版社が無い、という状況が30年は続きましたか。幸いネット時代に入ってオンデマンド印刷で少ない資金でも出版が可能になってきました。好機来たれり、です。ジーン・キーファーとは僕はずっと手紙でやり取りしていました。付き合いが始まった30年以上前、ジーンはすでにニューヨークからコネチカット州のダリアに移って、そこでKRF(クンダリーニ・リサーチ・ファンデーション)の活動を展開していました。国際電話で話し合ったことも何度かあります。静かですがハッキリとした力強い口調の人でした。このジーンからはテープを含むマーガレットの所では得られなかった別の沢山のゴーピの資料が郵送されてきました。クンダリーニ・リサーチ・ファンデーション・日本支部を創設したいという僕の希望に対しては、いつも二つ返事で喜んで認めてくれてました。(アメリカ留学から帰ってきた1980年代の初め、実は当時住んでた名古屋のアパートに勝手にクンダリーニ研究所の看板を立てたことを白状したら、ジーンは、そうでしたかと喜んでいました。ちなみにこの研究所は僕のインド留学に伴って自然に無くなりました。)何度ダリアに行ってジーンに会おうと、寸前までいったことか。結局、時間や渡航費の不備で渡米できなかったのは残念です。ジーンと最後にメールでやり取りしたのは二年前、2018年の晩秋です。「自分はもう96才。老いた。」そう言ったのが僕の心に残っています。やっと「高次元意識とは何か」の翻訳出版が現実に見えてきた20
19年の3月、メールを入れましたが返事が来ない。普段すぐにジーンからは返答があったので変だなぁと思って、その後再三再四メールを出しますが返答無し。ジーン、ひょっとしてあなたも逝ってしまった?
 運命が僕をいつまでこの世に生かせてくれるのかわかりません。でも僕は何とかクンダリーニ・リサーチ・ファンデーション・日本支部を創設するところまでこぎつけました。聖なる意志よどうもありがとうございます。ここまで来たら、死ぬまで知恵を集め事実を集めて日本支部の活動を展開していきます。
 
ではまた
 
ホモ・ノヴス/足立啓司