「人は死に向かっている」という考え方。
memento moriは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬということを忘れるな」という意味の警句。
「死を記憶せよ」などと訳され、芸術作品のモチーフとしても広く使われる。
古代ローマにおいては、将軍が凱旋パレードを行う際、
今絶頂期の将軍でも明日はどうなるかわからない、ということを思い起こさせるために、
使用人がその後ろに立ち、この言葉を言っていた、と伝えられている。
しかし当時のこの言葉の趣旨は、「carpe diem(今を楽しめ)」ということで、
明日死ぬのだから今日は食べて飲んで陽気になろう、というような意味でつかわれることが主だった。
その後のキリスト教世界で、天国や地獄、魂の救済といった意識が強まり、死への感覚が前面に出てきたことによって、この言葉は違った意味を持つようになった。
キリスト教徒にとっては死への思いは現世での楽しみや手柄を虚しく感じさせ、来世への思いを誘引させるものであった。
現代の文学や美術、音楽といった芸術においても、
明日死ぬかもしれないから今日を楽しく生きよう、
明日死ぬかもしれないという思いを持って今日の生き方を考えよう、
明日死ぬというはかない命である…
といったような様々な解釈で、さまざまな方向から作品が生まれている。
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2年前に調べたときはなんだか意味がよくわからなくて、というかどうとらえたらいいかわからなくて、
少し混乱してしまった記憶がある。
今調べなおしてみても、やっぱりはっきりとは分からないのだけど、きっとなんでもいいんだな、と思えたりした。
自分のとらえたいようにとらえたら、それでいいんだ。
それが心に響いても響かなくても、なるほどねーと思えたらそれが私なりの「メメント・モリ」という言葉の解釈なんだよな、となぜだか思った今日。
画像検索で出てきた、猫のお墓の隣でうずくまってる猫の写真がなんだかぐっと来た。