ホメーロス研究会だより 712 | ほめりだいのブログ

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2024年度春季号 その3

 

5月4日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第二歌46行目から71行目までです。

 

夢を信じたアガメムノーンは武具を纏い、船陣に赴きます。そこで夜が明けます。

 

Ἠὼς μέν ῥα θεὰ προσεβήσετο μακρὸν Ὄλυμπον

Ζηνὶ φόως ἐρέουσα καὶ ἄλλοις ἀθανάτοισιν: (2-48,9)

暁の女神は高きオリュンポスへと昇っていった

ゼウスと他の神々に光を告げ知らせに

 

夜明けの情景です。既に第一歌で Ἠὼς について

ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς (1-477)

薔薇の指持つ生まれ早き暁が現れたとき

がありました。このような夜明けを告げる詩節はホメーロスの両詩編で数十箇所を数えます。『イーリアス』『オデュッセイアー』それぞれ僅々五十数日間の物語の中で数十回ですので、かなりの頻度です。それらは、定型的な中に多様なバリエーションを示していますが、いずれも色彩豊かで詩情に富んでいます。ホメーロスの詩編が凄惨な内容を含みながらも明るい情調を醸しているのは、このようなところにも理由がありそうです。

ところで、ホメーロスの Ἠὼς 「(暁の)女神」でしょうか、「(自然現象の)暁」でしょうか。今回(2-48)の方は θεὰ と呼ばれていますし ἐρέουσα(49)とも言われていますので、「(暁の)女神」です。第一歌(477)の Ἠὼς は「(自然現象の)暁」のようにも感じられますが、ἠριγένεια とか ῥοδοδάκτυλος と形容されていますのでやはり「(暁の)女神」ととるのが自然です。しかしホメーロスにおいて Ἠὼς は(これらの箇所を含め)意志や感情を持つものとして描かれてはおらず、他の(あまりに人間的な)オリュンポスの神々のような人格神とは異なります。

その問題に関連して、この場面で出てきた「 Ὄνειρος は神なのかどうか」も研究会で話題となりました(ちなみにこの辺りの「夢」の表記は、ピエロンなどでは Ὄνειρος ですが、Loeb Leaf などでは ὄνειρος です)。

しかし「そのような区別を問うこと自体意味がないのかもしれない、古代ギリシア人一般には竈や鍋やオリーブなど卑近な事物にも神を認める心性があったのだから」との意見もありました。ホメーロスの詩はそのような一般民衆の「八百万の神」的心性を土壌として、卑近な事物からキャラの立った神々に至るまで多次元の神的存在を描いているとも考えられます。

アガメムノーンは早速長老達を集めます。そしてまず夢が語ったことを伝えます。これは、前回引いた夢のお告げの言葉(28~32)を直接話法で伝えるものであり、それと全く同一です。そして最初にゼウスから夢へ命じた言葉(11~15)と並べてもほぼそのままです。都合三回目の繰り返しです。比較のため煩を厭わず今回の箇所を引きます。

 

θωρῆξαί σε κέλευσε κάρη κομόωντας Ἀχαιοὺς

πανσυδίῃ: νῦν γάρ κεν ἕλοις πόλιν εὐρυάγυιαν

Τρώων: οὐ γὰρ ἔτ᾽ ἀμφὶς Ὀλύμπια δώματ᾽ ἔχοντες

ἀθάνατοι φράζονται: ἐπέγναμψεν γὰρ ἅπαντας

Ἥρη λισσομένη, Τρώεσσι δὲ κήδε᾽ ἐφῆπται (2-659)

(ゼウスは)そなた(アガメムノーン)に命ぜられた、髪長きアカイア勢を武装させよと

すぐさまにだ、というのも今こそ道広きトロイアの町を攻略するであろうから

というのももはやオリュンポスに住まいする神々は

意見を異にしていないからだ、というのも皆を説き伏せたからだ

ヘーレーが懇願して、トロイア人には禍が取り付いたことよ

 

ゼウスの言葉(11~15)から、夢の言葉=アガメムノーンの言葉(28~32=65~69)への変更点は

(11)の三人称 σε(28=65)の二人称

κέλευε(11)の命令法二人称現在 κέλευσε(28=65)の直説法三人称アオリスト

ἕλοι(12)の三人称 ἕλοις(29=66)の二人称

だけであり、ただ人称や時制等の微調整のみです。これは伝言場面の定式です。

『イーリアス』に繰り返しは珍しくなく、とくに伝令が介在する場合には、命令者が伝言を命ずる場面と、伝令がそれを相手に伝える場面との二回の反復は頻繁にあります。しかしここのように三回は他に例がほとんどありません。

「ほとんど」と言うのは、調べてみると辛うじて三回に近い例があるからです。それは次の第三歌でパリスとメネラーオスの一騎打ちに先立つ場面です。

パリスがヘクトールに一騎打ちの意志を表明する言葉:3-68~73

ヘクトールが両軍にその意志を伝える言葉:3-88~94

プリアモスに一騎打ちへの立会い要請に来た伝令がその意志を伝える言葉:3-253~8

この三回の繰り返しには言葉遣いに多少差異がありますし、三回目は少し間を置いています。今回の例では言葉遣いがほぼ同一で、数十行の中での三回ですので際立っています。Leaf はさすがにこの三回は too much としており、また三回目を二行に圧縮したテキストを提唱する Zenodotus のような註釈者もいます。

しかし、口承詩の特質としてこの繰り返しを容認する註釈者も(Kirkwillcock 等)多数います。それに、ここで三回目に繰り返されている内容は長老達を納得させるには必須のものです。これまで九年の長きにわたって戦況は膠着状態だったわけですので、 ἐπέγναμψεν γὰρ ἅπανταςἭρη λισσομένη(68~9)のまことしやかな脚色も欠かせません。聴衆も三回目を(初めて聴く)長老達の立場に立って自然に受け取ったのではないかと思われます。それにしてもこの脚色からは、オリュンポスの神々における「アカイア方贔屓/トロイア方贔屓」の対立の構図が人間共にとっても周知の事実であったことがうかがえ、興味深いものがあります。

また研究会ではホメーロスに於ける「繰り返し」について、多様な所で観察できるとの指摘がありました。

「今回のような伝言の場面」

「エピテット」

「戦闘における攻守に関わる定型的表現」

「食事、就寝、儀式における定型的表現」

それに上記の「夜明けの場面」なども挙げられます。これらは、新奇や独創を重んじる現代では忘れられがちなこの世の真実、すなわち人の営みや自然現象が持つ習慣的反復的側面を映し出しています。

 

次回ホメーロス研究会は5月11日(土)で、『イーリアス』第二歌72行目から98行目までを予定しています。