2024年度春季号 その1
2023年度は『イーリアス』第一歌の最終行までを読みました。今年度は続く第二歌を冒頭から読んでいきます。
今年度初回の4月20日は『イーリアス』第二歌の冒頭から25行目です。
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第一歌の最後でゼウスはヘーレーと臥所を共にしていました。しかし夜の間中眠っていることは出来ませんでした。
ἄλλοι μέν ῥα θεοί τε καὶ ἀνέρες ἱπποκορυσταὶ
εὗδον παννύχιοι, Δία δ᾽ οὐκ ἔχε νήδυμος ὕπνος,
ἀλλ᾽ ὅ γε μερμήριζε κατὰ φρένα ὡς Ἀχιλῆα
τιμήσῃ, ὀλέσῃ δὲ πολέας ἐπὶ νηυσὶν Ἀχαιῶν. (2-1~4)
他の神々や戦車を駆る男達は
一夜中眠っていたが、ゼウスを甘い眠りは捉えていなかった
彼の神は心で思案していた、如何にしてアキレウスに
誉れを与え、船傍で多くのアカイア人を倒したものかと
2行目に νήδυμος の語があります。これは ἥδυμος と同義です。そして LSJ ではこう説明されています。= ἥδυμος, from which it arises through false division in the Homeric text と。実際 Leaf や Willcock のテキストでは ἔχεν ἥδυμος となっています。
このように「ある母音で始まる語」が「前の語の語尾の子音」を吸収してしまう現象は他の言語でもあります。例えば nickname です。これは中世英語の「an ekename ⇒ a nekename」から来ているとされています。研究会では「フランス語の lendemain(翌日)も元は冠詞 l' + endemain だった」との指摘がありました。日本語の山口方言「のんた ⇐ のう+あんた」もそれに近い現象です。
さてゼウスはそこで、οὖλον ὄνειρον(2-6)を総大将アガメムノーンの許に送ることを思いつきます。この οὖλον はアレースやアキレウスのエピテットとしても使われ、通常 ὄλλυμι(破壊する)と関連付けられて「破滅的な」を意味すると解されています。第一歌冒頭の οὐλομένην(1-2)と、音の上からも意味の上からも、谺しているようです。それも、ここでゼウスが送る οὖλον ὄνειρον は第一歌のアキレウスの οὐλομένην μῆνιν に起因しているのですから、当然のことかも知れません。
そしてゼウスは ὄνειρον(夢)を呼びつけ命じます。
θωρῆξαί ἑ κέλευε κάρη κομόωντας Ἀχαιοὺς
πανσυδίῃ: νῦν γάρ κεν ἕλοι πόλιν εὐρυάγυιαν
Τρώων: οὐ γὰρ ἔτ᾽ ἀμφὶς Ὀλύμπια δώματ᾽ ἔχοντες
ἀθάνατοι φράζονται: ἐπέγναμψεν γὰρ ἅπαντας
Ἥρη λισσομένη, Τρώεσσι δὲ κήδε᾽ ἐφῆπται. (2-11~5)
彼(アガメムノーン)に命ぜよ、髪長きアカイア勢を武装させよと
すぐさまにだ、というのも今こそ道広きトロイアの町を攻略するであろうから
というのももはやオリュンポスに住まいする神々は
意見を異にしていないからだ、というのも皆を説き伏せたからだ
ヘーレーが懇願して、トロイア人には禍が取り付いたことよ
13行目の ἀμφὶς は次行の φράζονται に繋がる副詞で「異なって」です。
ゼウスは嘘をついています。それどころか ἐπέγναμψεν γὰρ ἅπαντας/Ἥρη λισσομένη と、信憑性を与えるためにまことしやかな脚色さえしています。第一歌にはゼウスがヘーレーと夫婦げんかをする場面がありました。ホメーロスを読み慣れてくると当たり前のようになってきますが、オリュンポスの神々に特徴的な人間臭さです。オリュンポスの神々には人間の悪や弱さを増幅・誇張したところさえあります。
ホメーロスの両詩篇には「嘘」がよく出てきます。特に『オデュッセイアー』ではオデュッセウスの嘘をはじめ嘘が大活躍をしています。『イーリアス』では、(すぐ後に出てくるアガメムノーンによる嘘を除くと)人間はそれほどでありませんが、神々はかなりの大嘘つきです。ここのゼウス然り、第十四歌の(ゼウスを騙す)ヘーレー然り、第二十二歌の(ヘクトールを騙す)アテーネー然りです。
ところで15行目後半については
Τρώεσσι δὲ κήδε᾽ ἐφῆπται(トロイア人には禍が取り付いたことよ)に代え
δίδομεν δέ ὁι εὖχος ἀρέσθαι(彼の願いが叶うことを我々は許してやる)
とする異文があります。そしてアリストテレスの『詩学』はこの異文の δίδομεν(直説法一人称複数)を διδόμεν(命令の不定法)とする読みがあったことを伝えています。この件についてピエロンは面白いコメントをしています。曰く、
「トアースのヒッピアスはゼウスに嘘の約束を帰属させることを不敬であると感じた。そこで彼は δίδομεν(我々は許してやる)を διδόμεν(お前は許してやれ)と変えた。こうすることで嘘(の責任)はゼウスの使者にふりかかることになる。これはソフィストによる当時のホメーロス問題解決法の一例である」と。
古典期には「嘘つく神」は不都合と考える向きがあったようです。ただこれは(ピエロンが皮肉を込めて指摘しているように)ソフィスト一流の詭弁であり、διδόμεν(お前は許してやれ)としたからといってゼウスが嘘つきの誹りを免れうるとも思えません。却って、嘘つきの誹りに加え、責任転嫁の誹りさえ負うことになりそうです。
ゼウスはその嘘の中で12行目から三行に亘って γάρ、γὰρ、γὰρ と繰り返しています。そしてそれぞれはその直前に言ったことを理由づけています。研究会では、更に注意深く見ると次のことに気づく、と指摘がありました。すなわち、
ἕλοι(可能性の希求法)⇐ φράζονται(現在)⇐ ἐπέγναμψεν(アオリスト)と
時を遡って、三段論法を逆から展開しています。さすが μητίετα Ζεύς(思慮に富んだゼウス)です。
次回ホメーロス研究会は4月27日(土)で、『イーリアス』第二歌26行目から45行目までを予定しています。