2024年度春季特別号 その4
4月13日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌279~302行目までです。
アテーネー扮する客人の進言は続きます。
νῆ᾽ ἄρσας ἐρέτῃσιν ἐείκοσιν, ἥ τις ἀρίστη,
ἔρχεο πευσόμενος πατρὸς δὴν οἰχομένοιο,
ἤν τίς τοι εἴπῃσι βροτῶν, ἢ ὄσσαν ἀκούσῃς
ἐκ Διός, ἥ τε μάλιστα φέρει κλέος ἀνθρώποισι.
πρῶτα μὲν ἐς Πύλον ἐλθὲ καὶ εἴρεο Νέστορα δῖον,
κεῖθεν δὲ Σπάρτηνδε παρὰ ξανθὸν Μενέλαον: (1-280~5)
二十人の漕ぎ手を備えた一番良い船を仕立て
長いこと出かけていったままの父上の消息を尋ねて行きなさい
人間達の誰かがあなたに言ってくれるか、それともあなたが噂を聞くか
ゼウスからの(噂を)、噂は人々にもっとも消息を伝えてくれるものです
まずピュロスに行って貴いネストールに尋ねなさい
そこからスパルテーに、金髪のメネラーオスの許に(行きなさい)
281行目に πευσόμενος とあり、次行に
ἤν τίς τοι εἴπῃσι βροτῶν, ἢ ὄσσαν ἀκούσῃς
となっています。さらに、284行目には εἴρεο が出てきています。研究会で「今回の箇所は『聞く』にまつわる語が頻出している」との感想がありました。消息を得るためには誰かから聞くか、さもなくば噂を聞くか、と言うのは鉄則です。現代人は紙媒体や機器を使っていくらでも情報を得ることができると思いがちですが、人類は何万年にも亘って耳で情報を得ていたことに改めて気づきます。
282行目から次行にかけての ὄσσαν ἀκούσῃς/ἐκ Διός の詩句も注意を引きます。Stanford はὄσσαν ・・・ ἐκ Διός = a rumour from no apparent human source と註を付けています。研究会では「ギリシア神話には噂の女神 Φήμη がいる」との指摘もありました。ホメーロスでは女神 Φήμη は出てきませんが、普通名詞の φήμη は『オデュッセイアー』に三回出てきます。その三回はいずれも(LSJ の語義分類によれば)report, rumour の語義でではなく、utterance prompted by the gods, significant or prophetic saying の意味合いです。例えば次の詩行でです。これは、オデュッセウスが粉挽き女の言葉が示す吉兆を喜ぶ場面です。
φήμην δ᾽ ἐξ οἴκοιο γυνὴ προέηκεν ἀλετρὶς (20-105)
家の中から粉挽き女が前兆の言葉を発した
今回の ὄσσαν はといえば、φήμη と読み替えた場合、LSJ 語義分類で前者の範疇に入ると思われます。従って、神の直接的啓示というわけではありませんが、それでも噂は時に発生源不明で神的なものを感じさせるところがあります。
メンテースは、帰ってきたら求婚者達を倒す算段をせよと言います。そして続けます。
・・・ οὐδέ τί σε χρὴ
νηπιάας ὀχέειν, ἐπεὶ οὐκέτι τηλίκος ἐσσι.
ἢ οὐκ ἀίεις οἷον κλέος ἔλλαβε δῖος Ὀρέστης
πάντας ἐπ᾽ ἀνθρώπους, ἐπεὶ ἔκτανε πατροφονῆα,
Αἴγισθον δολόμητιν, ὅ οἱ πατέρα κλυτὸν ἔκτα;
καὶ σύ, φίλος, μάλα γάρ σ᾽ ὁρόω καλόν τε μέγαν τε,
ἄλκιμος ἔσσ᾽, ἵνα τίς σε καὶ ὀψιγόνων ἐὺ εἴπῃ. (1-296~302)
・・・ あなたは決して
子供遊びを続けていてはなりません、というのもあなたはもはやそんな年ではないのです
あなたは聞いていないのですか、貴いオレステースがどんな名声を掴んだかを
全ての人達に。と言うのも父親殺しを殺したからです
邪知のアイギストスをです、高名な父親を殺めた故にです
あなたも、友よ、美丈夫とお見受けするからには
勇気を出されよ、後世の誰彼もがそなたを褒めそやすようにと
297行目に νηπιάας とか οὐκέτι τηλίκος とかの語が来ています。客人メンテースは訓導メンテースになっています。
298行目には κλέος の語があります。302行目 ἵνα τίς σε καὶ ὀψιγόνων ἐὺ εἴπῃ がそれに呼応してテーレマコスを鼓舞しています。
ここでメンテースは Ὀρέστης の復讐譚を範例としています。Ὀρέστης の復讐譚と『オデュッセイアー』、いずれも王たる父不在時の王位簒奪の企みと王妃再婚問題、そしてそれに対する王の息子の行動を巡る物語です。そこで両方の役者を対比してみます。
オレステース:テーレマコス
アイギストス:求婚者達
アガメムノーン:オデュッセウス
クリュタイムネーストレー:ペーネロペイア
こう対比してみると共通点も多いのですが差異もあります。
『オデュッセイアー』では求婚者は求婚者にとどまり、ペーネロペイアに通じるわけではありません。オデュッセウスを殺すわけでもありません。しかし上記対比のように明らかな平行関係にあります。そして可能性としては、Ὀρέστης の物語と同じく「王位簒奪・王妃再婚」更には「王殺害」にまで至ることがありえました。『オデュッセイアー』は Ὀρέστης の物語を範型としつつ、それをどう乗り越えるかを一つの重要なモチーフとしています。
この点に関し研究会では「『ハムレット』にも繋がる」との指摘がありました。Ὀρέστης物語・『オデュッセイアー』・『ハムレット』は、人類がどの社会においても常に孕んでいる共通の危機をテーマとし、それを、それぞれの時代、それぞれの詩人の感性・観点から提示しているようです。
300行目中ほどにある ὅ はどういう用法でしょうか。理由の節を導く接続詞としての中性代名詞でしょうか、それとも Αἴγισθος を先行詞とする関係代名詞主格でしょうか。
後者の方がわかりやすく、邦訳(中務訳含め四種)はいずれもそちらをとっています。しかし Stanford は前者の ὅ = because としており、Loeb もそれに倣っています。そして West は率直にこう述べています。
It is hardly possible to say whether ὅ should be regarded as the neut. of the relative pronoun, used, as often with the sense of a conjunction, 'because', or as the definite article functioning as a relative pronounと。
両方の解があり得ますが、後者をとるとὅ以下が前行の πατροφονῆα の全くの重複となる点、前者解釈の方に分があるかもしれません。
2024年度春季の「ホメーロス研究会」が4月20日(土)から始まります。初回の4月20日は『イーリアス』第二歌の冒頭から25行目までです。
『オデュッセイアー』の続きはまた次の夏休みに読んでいくことにします。