ホメーロス研究会だより 708 | ほめりだいのブログ

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2024年度春季特別号 その3

 

4月6日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌252~278行目までです。

 

「求婚者達に屋敷まで食い荒らされている」と訴えたテーレマコスに対し、客人に扮したアテーネーは応えます。

 

τὸν δ᾽ ἐπαλαστήσασα προσηύδα Παλλὰς Ἀθήνη:

ὢ πόποι, ἦ δὴ πολλὸν ἀποιχομένου Ὀδυσῆος

δεύῃ, ὅ κε μνηστῆρσιν ἀναιδέσι χεῖρας ἐφείη.

εἰ γὰρ νῦν ἐλθὼν δόμου ἐν πρώτῃσι θύρῃσι

σταίη, ἔχων πήληκα καὶ ἀσπίδα καὶ δύο δοῦρε,

τοῖος ἐὼν οἷόν μιν ἐγὼ τὰ πρῶτ᾽ ἐνόησα (1-252~7)

パッラス・アテーネーは憤慨して彼に言った

おお何と言うことでしょう、さぞかし不在のオデュッセウス様に

 いてほしいとお思いでしょう。彼なら恥知らずな求婚者共を成敗するでしょうに

 今もし館の玄関先にやって来られて

立ったならなあ、兜と楯と二本の槍を持って(立ったならなあ)

私が彼を最初に見た時の姿そのままで

 

252行目にある ἐπαλαστήσασα は、to be full of wrath at a thingLSJ)を意味するとされていますが、語源については不確かであり hapax でもあります。ἐπαλαστήσασα は同行の Παλλὰς Ἀθήνη と音が酷似しています。この珍しい語がここで使われているのは、それが故なのかもしれません。

255行目の εἰ には二つの解釈があります。一つは願望の εἰ、もう一つは仮定節を導くεἰです。

上記引用の範囲では前者願望の εἰ ととるのが自然です。しかし、少し先には次の詩行が出てきます。

 

πάντες κ᾽ ὠκύμοροί τε γενοίατο πικρόγαμοί τε. (1-266)

 奴ら皆早死にすることになり苦い求婚になることでしょう

 

この266行目を帰結節ととれば255行目の εἰ は仮定節を導く εἰ ととれます。その方が文法的には明瞭です。その場合、間に挟まれた257~265行目までは括弧書きの詩節となります。実際、内容も客人メンテースの思い出に関わる別次元の脱線的叙述です。

ただ、εἰ γὰρ(256)から πάντες κ(ε)(266)まではかなり離れていますので、εἰ γὰρ 聴き・読んだ聴衆・読者は、その時点ではやはり「願望の εἰ」ととったのではないかとも思われます。他方、既に今後の展開を知っている聴衆・読者にとってみればεἰ γὰρ を聴き・読んだ時点で πάντες κ(ε) 以下の帰結は予想されたはずだとも言えます。

しかしピエロンは「二つの説明は相反するものではない」と述べています。たしかに、これら二つの解は結局のところ一つに帰するのかもしれません。願望(~であればなあ)は、もともと条件的要素(あれば)を含んでいるとも考えられますので。

さて、客人メンテースの回想の中には次のエピソードが出てきます。オデュッセウスがイーロスの許を訪ねた時のことです。

 

ᾤχετο γὰρ καὶ κεῖσε θοῆς ἐπὶ νηὸς Ὀδυσσεὺς

φάρμακον ἀνδροφόνον διζήμενος, ὄφρα οἱ εἴη

ἰοὺς χρίεσθαι χαλκήρεας: ἀλλ᾽ ὁ μὲν οὔ οἱ

δῶκεν, ἐπεί ῥα θεοὺς νεμεσίζετο αἰὲν ἐόντας, (1-260~3)

というのもオデュッセウスは速き船でその地に行ったのです

 人を殺める毒を求めて、彼の

 青銅の矢に塗るために。しかしイーロスは彼に

 わけてやらなかったのです、常住の神々を恐れて

 

矢に塗る φάρμακον ἀνδροφόνον(261)にまつわるエピソードです。これについて、研究会でいろいろな問や感想が出されました。

1.イーロスは何故「神々を恐れて θεοὺς νεμεσίζετο(263)」毒を渡さなかったのか。

 2.このエピソードがあるにもかかわらず、両詩編に毒を塗った弓矢を用いた実例が全くないのは何故か。(『イーリアス』の戦闘に置いても、『オデュッセイアー』の求婚者誅殺においても)

3.あるいは、毒矢は戦術として卑怯という認識が1や2の背景にあったのか。

4.へーラクレースにはヒュドラの毒を矢に塗って相手を倒したとの事績がある。古代ギリシアに普遍的なタブーではなかったのではないか。

5.オデュッセウスは何のためにそれを得ようとしたのか。

6.アテーネー扮するメンテースは、何故わざわざそんなことをオデュッセウスがしたと語ったのか。そしてそもそも、詩人は何故そんな設定にしたのか。

7.262行目行頭に ἰοὺς とある。この ἰός(矢)には同音異義語で ἰός(毒)がある。前行行頭の φάρμακον と並べたのかもしれない。 等々

ところで、オデュッセウスと弓矢の繋がりは、『イーリアス』では皆無に近いのですが、『オデュッセイアー』では密接です。息子 Τηλέμαχος = fighting from afar の名もそれに由来するとの説もあります。

様々な想像を掻き立てる興味深い箇所です。と同時に『オデュッセイアー』が持つ謎の箇所の一つです。

先に引いた

πάντες κ᾽ ὠκύμοροί τε γενοίατο πικρόγαμοί τε. (1-266)

の後に次の二行が来ます。

 

ἀλλ᾽ ἦ τοι μὲν ταῦτα θεῶν ἐν γούνασι κεῖται,

ἤ κεν νοστήσας ἀποτίσεται, ἦε καὶ οὐκί, (1-267,8)

しかしそれらのことは神々の膝の上に横たわっています

帰還して復讐を遂げるか否かは

 

267行目に ἐν γούνασι κεῖται とあります。日本なら「掌の上」とか「胸先三寸」とかいいそうなところです。何故 γούνασι なのでしょうか。

研究会では「父や祖父が子を膝の上に乗せ(て認知す)る風習と関係があるのではないか」との意見が出されました。

Stanfordthe image is uncertainと言いつつ、γόνυが「供物を捧げる場所」や「嘆願するγουνάζομαι に際し触れる場所」であることを挙げています。West it is tempting to connect this expression with the notion of the gods spinning what is to be としています。糸繰りの作業は女性の膝の上で行われますので。この糸繰りのイメージは既に引いた

τῷ οἱ ἐπεκλώσαντο θεοὶ οἶκόνδε νέεσθαι (1-17)

彼が帰郷すべき年と神々が(糸を繰り)定めた時

の詩行もありました。

いずれの解釈にも一理あります。ホメーロス世界において γόνυ の占める位置の重要性が窺える詩句です

 

次回ミニホメーロス研究会は4月13日(土)で、『オデュッセイアー』第一歌279~302行目までを予定しています。