ホメーロス研究会だより 707 | ほめりだいのブログ

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2024年度春季特別号 その2

 

3月30日のミニホメーロス研究会の様子です。今回は『オデュッセイアー』第一歌203~225行目までです。

 

アテーネー扮するところの客人にテーレマコスは答えます。

 

ξεῖν᾽, ἐπεὶ ἂρ δὴ ταῦτά μ᾽ ἀνείρεαι ἠδὲ μεταλλᾷς,

μέλλεν μέν ποτε οἶκος ὅδ᾽ ἀφνειὸς καὶ ἀμύμων

ἔμμεναι, ὄφρ᾽ ἔτι κεῖνος ἀνὴρ ἐπιδήμιος ἦεν: (1-231~3)

お客様、それをあなたはお訊きになり尋ねられるので(申しますが)

かつてこの館は裕福で立派なものだったようです

あの人がこの地にいたときにはです

 

231行目のἐπεὶは既にあった

τοῦ μ᾽ ἔκ φασι γενέσθαι, ἐπεὶ σύ με τοῦτ᾽ ἐρεείνεις. (1-215~20)

そういう男の子であると人は言っています、私にあなたがそれをお尋ねですから(申すのですが)

ἐπεὶの節と同様、「申します」の意の帰結文を省略しています。

232行目行頭の μέλλεν について Stanford

the basic meaning of this word seems to have been likelihood ・・・ So here = 'was likely to be', i.e. 'presumably was' と註を付しています。

 しかし、と言ってテーレマコスは続けます。

 

νῦν δ᾽ ἑτέρως ἐβόλοντο θεοὶ κακὰ μητιόωντες,

οἳ κεῖνον μὲν ἄιστον ἐποίησαν περὶ πάντων

ἀνθρώπων, ἐπεὶ οὔ κε θανόντι περ ὧδ᾽ ἀκαχοίμην, (1-234~6)

いまや神々は禍をはかり別様に望まれました

神々は他の人達にもましてあの人を行方知らずになされました

と言いますのも死んだとしてもこれほど嘆きはしないでしょうから

 

234行目後半で θεοὶ κακὰ μητιόωντες と、神々への不満を漏らしています。神々には面前のアテーネーも入っているでしょうから皮肉な場面です。

οὔ κε θανόντι περ ὧδ(ε)(236)に繋がって次の εἰ 以下が来ます。

 

εἰ μετὰ οἷς ἑτάροισι δάμη Τρώων ἐνὶ δήμῳ,

ἠὲ φίλων ἐν χερσίν, ἐπεὶ πόλεμον τολύπευσεν.

τῷ κέν οἱ τύμβον μὲν ἐποίησαν Παναχαιοί,

ἠδέ κε καὶ ᾧ παιδὶ μέγα κλέος ἤρατ᾽ ὀπίσσω. (1-237~40)

もし彼の仲間達の中でトロイアの地において倒れたのならば

それとも身内の者の手の中で戦いを成し遂げて(倒れたのならば)

それであれば彼のために全アカイア人達が墓を建てたでしょう

そして後々彼の息子のために大いなる名誉を残してくれもしたでしょう

 

238行目行末に τολύπευσεν の語があります。τολυπεύω の語はもともと「紡ぐために梳き毛を糸毬に巻く」ことを意味し、それが困難な作業であることから、「困難を成し遂げる」「困難に耐える」の意味を持つに至ったとされています。具体的原義が抽象的な意味を帯びるに至る典型例です。

同様に女性の手作業である「糸巻き」にかかわる表現が少し前にありました。

τῷ οἱ ἐπεκλώσαντο θεοὶ οἶκόνδε νέεσθαι (1-17)

彼が帰郷すべき年と神々が(糸を繰り)定めた時

糸巻きが運命の比喩として出てきています。

『イーリアス』でもアキレウスのプリアモスへの言葉の中にこうありました。

ὡς γὰρ ἐπεκλώσαντο θεοὶ δειλοῖσι βροτοῖσι 

ζώειν ἀχνυμένοις: αὐτοὶ δέ τ᾽ ἀκηδέες εἰσί.  (『イーリアス』24-525,6)

そのように神々は憐れな人間共に(糸を繰り)お定めになったのだから

苦しみつつ生きるようにと、彼ら自身は悩み事なくいて

 また、人は誕生の時に運命づけられるとするこのような表現もあります。

・・・ οἱ αἶσα

γιγνομένῳ ἐπένησε λίνῳ ὅτε μιν τέκε μήτηρ. (『イーリアス』20-127,8)

・・・ 彼に運命が

彼を母親が産んだときに糸で紡ぎ出した(とおりに)

τολυπεύω「梳き毛を糸毬に巻く」、ἐπικλώθω「糸を紡ぐ」、ἐπινέω「紡ぎ出す」、いずれも日常的で手に親しい用語が人の運命にかかわる表現の中で生きています。

さて本文に帰って、138行目からの一節についてWestはこう註を付しています。

 The logic of this passage is much improved if we follow Hennings in deleting this line. τῷ ‘in that case‘ in 239 must refer to 237; if Odysseus had died in Ithaca, the Παναχαιοί, dispersed after their return from Troy, could not have celebrated his funeral.

成程 logic からはそうです。しかし研究会では「そこまで厳密に考えなくてもいいのではないか、故郷帰還後に亡くなったとしてもその戦功を顕彰することは考えられるので」との意見もありました。ただその場合、「故郷の人」が Παναχαιοί と言えるかどうかの問題は残りますが。

そしてテーレマコスは続けます。

 

νῦν δέ μιν ἀκλειῶς ἅρπυιαι ἀνηρείψαντο:

οἴχετ᾽ ἄιστος ἄπυστος, ἐμοὶ δ᾽ ὀδύνας τε γόους τε

κάλλιπεν. οὐδέ τι κεῖνον ὀδυρόμενος στεναχίζω

οἶον, ἐπεί νύ μοι ἄλλα θεοὶ κακὰ κήδε᾽ ἔτευξαν.  (1-241~4)

 今や彼を名も残さずつむじ風が攫っていってしまいました

跡を残さず消息もなく去りました、私に嘆きと苦しみを

残してです。しかしあの人のことだけを嘆き悲しんでいるのでは

ありません、というのも私に神々は別の禍を与えられたからです

 

そして、求婚者達に屋敷まで食い荒らされていることを訴えます。

241行目に ἀκλειῶς の語があります。名誉を得るか得ないかはホメーロス世界で最大の関心事でした。本人にとってのみならず、家族就中息子にとってもです。先の一節にも ᾧ παιδὶ μέγα κλέος(240)とありました。

242行目に ἄιστος ἄπυστος の詩句があります。これも名誉にかかわる詩句ですが、その表現法は連辞省略の一種です。連辞省略は Veni, vidi, vici が典型例です。効果的に使われると文に勢いを与えます。ホメーロスには他に次のような例があります。

一つはネストールの参謀会議での言葉の中です。

ἀφρήτωρ ἀθέμιστος ἀνέστιός ἐστιν ἐκεῖνος (『イーリアス』9-63)

そんな輩は仲間からも、掟からも、家からも外れたものだ

もう一つはペーネロペイアの様子について語る地の文の中です。彼女は息子テーレマコスの命の危険を心配するあまり食事が喉を通りません。

κεῖτ᾽ ἄρ᾽ ἄσιτος ἄπαστος ἐδητύος ἠδὲ ποτῆτος (『オデュッセイアー』4-788)

彼女は横たわった、飲食共に飲まず食わずで

これらいずれも簡潔にして印象深い詩行です。

 

次回ミニホメーロス研究会は4月6日(土)で、『オデュッセイアー』第一歌252~278行目までを予定しています。