ホメーロス研究会だより 706 | ほめりだいのブログ

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2024年度春季特別号 その1

 

「ホメーロス研究会」は春休みに入りました。2024年度春季のホメーロス研究会は、一ヶ月の春休みを挟んで、4月20日(土)に開始予定です。

春休み期間は「ミニホメーロス研究会」として、先の夏休みに引き続き、『オデュッセイアー』を読んでいくことにします。

初回の今日3月23日は『オデュッセイアー』第一歌203~225行目までです。

 

アテーネー扮するところの客人メンテースの言葉が続きます。客人は先にテーレマコスが

 

νῦν δ᾽ ὁ μὲν ὣς ἀπόλωλε κακὸν μόρον ・・・ (1-166)

 彼(父オデュッセウス)はいまやそのように悪しき運命に死を遂げています

 

と言って悲観していたのを受けて、テーレマコスを励まします。

 

οὔ τοι ἔτι δηρόν γε φίλης ἀπὸ πατρίδος αἴης

ἔσσεται, οὐδ᾽ εἴ πέρ τε σιδήρεα δέσματ᾽ ἔχῃσιν:

φράσσεται ὥς κε νέηται, ἐπεὶ πολυμήχανός ἐστιν. (1-203~5)

 もう長くは愛すべき故郷の地から離れて

 彼はいないでしょう、もし鉄の枷が捕らえていようとも

どうして帰還するか考えられるでしょう、術策に富んでおられるのですから

 

203行目第二脚はτι δϝη(/ρόν)でありτιは長です。

204行目 ἔχῃσιν の主語は σιδήρεα δέσματ(α) です。ピエロンは ἔχῃσιν の目的補語として αὐτόν が言外に含意されているとしています。もっとも同行の τε と修正してそれを目的語とする説もあります。テキストの改変には慎重であるべきですが、ここでは τε の存在理由が希薄ですので有力な説に思えます。

そして客人は「立派なあなたは本当にオデュッセウスの息子さんですか」と訊ねます。それに応えてテーレマコスは言います。

 

μήτηρ μέν τέ μέ φησι τοῦ ἔμμεναι, αὐτὰρ ἐγώ γε

οὐκ οἶδ᾽: οὐ γάρ πώ τις ἑὸν γόνον αὐτὸς ἀνέγνω.

ὡς δὴ ἐγώ γ᾽ ὄφελον μάκαρός νύ τευ ἔμμεναι υἱὸς

ἀνέρος, ὃν κτεάτεσσιν ἑοῖς ἔπι γῆρας ἔτετμε.

νῦν δ᾽ ὃς ἀποτμότατος γένετο θνητῶν ἀνθρώπων,

τοῦ μ᾽ ἔκ φασι γενέσθαι, ἐπεὶ σύ με τοῦτ᾽ ἐρεείνεις. (1-215~20)

母は私を彼の息子だと言います、しかし私には

分かりません、というのも誰も自分で出自を知るはずがないのですから

私は誰か幸せな人の子であったらよかったのです

老年が財産を保ったままの彼を訪れるような(人の)

いまや死すべき人間の内でもっとも不運な男

そういう男の子であると人は言っています、私にあなたがそれをお尋ねですから(申すのですが)

 

215行目の αὐτὰρ 以降次行にかけては、言われてみると動かしがたい真理です。誰も自分の親を誰であるか(DNA鑑定でもしない限り)知ることは出来ないのですから。真理ではありますが、わざわざそのような言い方を客人にするものか、との感があります。Μήτηρ φησι(215)と断っているのも聞きようによっては苦い皮肉の響きがあります。皮肉と言わないまでも母親との間に距離をとっている言い方です。

220行目の ἐπεὶ は理由の接続詞としての ἐπεὶ だと思われますが、何の理由であるかは語られていません。恐らくは「私がこのように説明するのは~だからです」のような意味合いだととれます。日常会話ではよくあることですが、ホメーロスにもこのようなἐπεὶの用法が時に見られます。

客人はさらに言います。

 

οὐ μέν τοι γενεήν γε θεοὶ νώνυμνον ὀπίσσω

θῆκαν, ἐπεὶ σέ γε τοῖον ἐγείνατο Πηνελόπεια. (1-222、3)

あなたの血統を神々は決して後々まで名もないものとは

されなかった、このようなあなたをペーネロペイア様はお産みになったのですから

 

223行目にΠηνελόπειαの名がこの詩編で初めて出てきます。それも客人の口からです。先のὈδυσσεύςの名の初登場もやはり次のように客人の口からでした。

 

οὐ γάρ πω τέθνηκεν ἐπὶ χθονὶ δῖος Ὀδυσσεύς,

ἀλλ᾽ ἔτι που ζωὸς κατερύκεται εὐρέι πόντῳ (1-196,7)

というのも大地で貴いオデュッセウス殿は死んではおられないからです

まだ広い海のどこかで生きて引き留められておられる

 

この二行は今回のΠηνελόπεια登場の二行(222,3)と好一対です。父親は死んでおられない、母親はあなたという立派な息子をもうけられた、と揃ってテーレマコスを励まそうとしています。そしてここで客人がΠηνελόπειαを出したのは、上記のμήτηρ μέν τέ μέ φησι(215)で始まるテーレマコスの言を受けて、その母親に対する素っ気ないいい振りを窘めている気味もあります。

ΠηνελόπειαΠηνέλοψ(アヒル)に由来するとの説が有力です。そしてΠηνέλοψは日本の鴛鴦のように忠実に一夫一婦を守るとされています。そうだとすると、ここで客人メントールがΠηνελόπειαの名を出したのには、尚更テーレマコスへの訓戒の意味が込められていそうです。

そして客人はテーレマコスに問います。

 

τίς δαίς, τίς δαί ὅμιλος ὅδ᾽ ἔπλετο; τίπτε δέ σε χρεώ; (1-225)

これはどんな宴会、いったいどんな集まりなのですか、あなたにとってどんな必要があるのですか

 

二つ目の τίς の後の δαί について、ピエロンや Loeb などは δὲ としています。しかし、アリスタルコスは上記のようにδαίとすべきとし、OCTなどはそれに従っています。δαί LSJ ではこう説明があります。

δαί , colloquial form of δή, used after interrogatives, to express wonder or curiosity

この δαί を採った方が、225行目の出だしは τίς δαίς, τίς δαί となり、客人の問いかける口調としてより生彩に富んできます。

 

次回ミニホメーロス研究会は3月30日(土)で、『オデュッセイアー』第一歌227~251行目までを予定しています。