今日は作品タイトルについて。
本が読まれる読まれない(ひいては、売れる売れない)はタイトルによるところが大きい。これは否定しません。昨日も引き合いに出した『青蛙堂鬼談』なんていかにも恐ろしそうです。
もちろん外国の小説にも魅力的なタイトル、たくさんあります。僕の好きな訳題は(内容はともかく)、例えばパッと思いつくものを挙げれば、
巨匠とマルガリータ
夏の夜の十時半
ワイルダーの手
棒大なる針小
……
あたりかな。いずれも原題を(ほぼ)忠実に伝えつつ、ある種の迫力を備えています。
でも一方、原題を忠実に訳すと分かりにくい、あるいは地味に過ぎるということで、原題とは凡そ似つかないタイトルがつけられることもままあります。これは主に版元主導ですね。訳者は大抵は原題尊重主義を取りますから。かつて僕の学生時代の恩師がRiver Runs through Itという小説を訳されたとき、これは映画にもなりましたので、訳者の意に反して映画のタイトルがそのまま転用されることになって(洋画の邦題はヒドいものが多い)、先生は憮然とされていたのを覚えています。もっとも、映画とタイアップのおかげでそこそこ売れたらしいですけど。
僕はもちろん原題尊重の立場を取ります。タイトルはいわばその作品の顔、原著者だって念入りにお化粧したはずですから、そこを無造作に変えるのには抵抗があります。例えば「燕京奇譚」という題名で長らく知られた短編の新訳を作ったとき、僕は原題の意図するところになるべく沿った題名に直しました。清朝末の北京が舞台なのですが、燕京というのは確かに北京の古称ではあるものの、清朝ではこの名前は使われてないので(もっと古い時代のものでした)、この地名は作品との繋がりが希薄に過ぎる。それに「~奇譚」式の命名は僕に言わせれば安易の一言。こういう説明口調は副題向きです。さっき挙げた「青蛙堂鬼談」と同じような構成の題名じゃないか、言ってることが矛盾している、と思われるかも知れませんが、あの作品はこのタイトルと内容的にピッタリ合ってるからいいんです。それに、鬼談、というのが効いています。奇譚とは大違い……まあその辺は美意識の問題になってきますが。
「燕京奇譚」という題名の方が異国情緒があっていいとおっしゃる方も結構おられるようですが、上のような事情でこのタイトルは作品の内容を正確に伝えるものではありません。少なくとも僕はそう判断しました。僕は訳者として原作を離れることは謹むべき、という立場を取りますから、こういう題名の付け方はしません。そもそも、付けた題名が魅力的でないならそれは訳者として負けなので、訳題をどうするか、というのは頑張りどころなんです。
昨日も仕掛かり中の作品のタイトルを決める必要に迫られて、その原題が先行作品を下敷きにしてないかどうか(シェイクスピア、欽定訳聖書、失楽園あたりはこういう場合必ず調べます)、改めて調査しましたが、今ひとつピンと来ないので結局のところ仮題としておきました。英語だとバンと押し出しの効いたタイトルなんですが、そのまま訳すとどうも弱い。こういう場合、こちらが何か見落としてる場合が多いので、作業しながら追々考えていくことにしました。
というわけで、今日もなかなか推しごとに回す時間がないのですが、舞台初日ですからね、夕方出掛けるまでに何とかやりくりしないと……