実家に到着して母を見た瞬間、顔色が土?石?のような色で素人でも肝臓が悪いのでは?と察しがつく。

たった1ヶ月間でこんなにも変化する?と目を疑うほど病人の顔になっている。

しかし肝臓の病気の怖さを知らない私は健康診断の気持ちで母を病院まで連れていった。


ここから更に驚いたのは歩行ができなくなっていた事。家の中では壁をつたって歩いていたようで気づかなかったが何もない場所では怖くて歩けないと言う。

腕を貸して一緒に歩行するも点字ブロックの段差がまたげない。

一体どうしたのか…

リウマチのせいなのかコロナ禍で動かない生活を送っていたからなのか原因が分らない。

呼吸器内科の遠い道のりを考え車いすにした。


CT、レントゲンの結果から胸水、腹水が溜まっているので消化器内科も併せて受診する事になり

翌日、改めて病院へ行く事となる。


先生から「きょうすい、ふくすい」という言葉を聞いて「胸水、腹水」とワード変換できないほど普段使わない言葉なので会話全体がピンとこなかった。


12月中旬に夜の咳が止まらず、夕方から熱が出るようになったので父が車で15分ほどのクリニックへ連れていった。胃腸炎のお薬を処方されたが吐き気、食欲不振が続いた。


その時に肺に影がるから総合病院で詳しく診ましょうと先生が勤務する病院の紹介状が渡され

コロナ禍で基礎疾患がある父には長時間の待機はリスクがあるので私が一緒についていくことにした。

母と電話の最中、途中で代わった父から「お母さんどうしちゃったのかな」と深刻そうに話をしてきた。

普段、いつも他人ばかりに気をかけて助けてくれる両親が珍しく弱音を吐いているので実家へ様子を見に行った。


急遽向かったので滞在時間も1時間程度だったが、そこにはいつもと変わらぬ母がいて

一通り話を聞き様子を見る限り大丈夫そうだったので帰宅した。


後日父から「お母さんは大丈夫大丈夫と言っているが普段はもっと違う様子だし、私が滞在した時も頑張って元気に振る舞っていたんだよ」と。


普段はどうなのか父に聞いても説明が難しいけど寝ている時も死ぬんじゃないかというくらい咳が出てるし浮腫で動くのも大変そう、リウマチで足も変形してるし、覇気がなく元気がない、と。


母は60半ばでリウマチを発症したものの、昔から内科的な病気もせず風邪をひいたことも無く超ー健康優良児なので滞在時には普段と変わらぬ様子で安堵しすっかり浮腫みを見るのを失念していた。


母は「痛くも痒くもないけど次から次に何かおかしいね、、出血は検査で異常ないけど浮腫もあるし」と言うので

もし大病なら痛い、食事できない、吐血など目に見える症状があるだろうし、顕著に出てる症状と言えば浮腫、下血(これは痔たし)、咳は乾燥した時期のせい、元気がないのは近所に知り合いや友達の多い場所から立ち退きで仕方なく引越をして人と会話をする機会が無くなり更にコロナで気持ちが塞いでるんだよ、だから散歩して人に会いに出掛けなよ!!と母を励ましていた。


整形外科(リウマチ)で血液検査をしても異常がないようだし、、

特に問題はないと思っていた。



母とは頻繁に電話する仲でお互い時間がある時はよく話をしていた。

11月に入り足が病気のように浮腫んでいると聞き、私も浮腫みやすい体質で特に母はコロナ以降あまり動いてない為だと思っていた。


何よりリウマチの医師からも浮腫みについては「動かないのでエコノミー症候群になっている。座ったままでも足を動かしましょう」と言われたのでネット検索で下肢静脈瘤だろうと思い着圧靴下をプレゼントしようと考えていた。

母から電話で出血が続いているので婦人科と肛門科に行き検査をしても異常は無かった。肛門科では痔だったという笑い話を聞き安心していた。
数年前から膝が痛いとサポーターをつけたりグルコサミンを飲んだりしていた。
朝に手のこわばりもありキャップの蓋が開けづらく、よく家族に頼んでいた。

4年前のに引越を機に近所の整形外科に行きリウマチの薬を飲むようになった。#

コロナ感染者が多い地域に住む私は実家の両親を想い、ここ数年かは実家に行くことを控えていた。


2021年の夏休みに久々に実家へ行くと母に違和感を感じた。何となく元気が無いような、、笑顔が少なくなったような、ボーッとしているような。
買い物に行ってもカートを触っていないと歩行が不安だと言う。

しかし妹は「いつもの母だよ。もう年だし杖が必要な年なのかも、更にコロナでここ数年はお友達にも会ったり外出してないから尚更だよ」と。


それを聞いて私の気のせいかな、、とそれ以降は気にしなかった。


11年前には、こんな日がくるとは想像していなかった。
いつも笑顔で元気な母だったから。

今、母が患っている肝硬変の事を綴っていきたいと思います。

ケアマネさんも引き継ぎに対して病院に不信感を持ったようで、わざわざその病院の知り合いの看護師さんに話を聞いてくれたらしい。

ただでさえ忙しい救急病院、コロナ禍で異常事態なので状況的に引き継ぎもきちんと行えないようだった。病棟でコロナ感染が起きてバタバタしていたのは仕方ない。

ケアマネさんはとても良い方だったので介護に関して無知な私達家族に一から色々と教えてくださり本当に感謝しか無い。

 

 

翌日の朝食は父母私の三人で食べた。これまで当たり前だった光景はとても幸せな時間だったんだな。

母が入院してから面会は禁止だったので会うのは二ヶ月ぶり、残された時間は母と幸せな時間を過ごしていこうと思った。

 

朝食も終盤を迎える頃、母が一瞬気を失ったように意識が無くなりお皿を落としてしまう。

最初は脳症なのかな?と思ったが毎日続き徐々に回数も増えていく。

退院しているのだから問題は無いと思っていたが、もしかしたら病院ではカーテンを締め切り、お皿も置いたままで食べるので病院側ではこの様子は気づかれていなかったのかもしれない。

 

毎食後に訪れる大量の薬。母は面倒だと子供がラムネを頬張るように手に取り一気に飲み干してしまう。入院中もこうして一人頑張ってきたんだなと思うと辛くなる。

対処療法の薬でしかない。母は自分の病気を知っているのだろうか?

母の口から病気の事は一切質問されなかったけれど。

 

食後はリハビリしなくちゃねと歩行器でリビングを往復している。

日の当たる場所でニコニコしながら自宅が一番落ち着くねと幸せそう。

そして「あれ?お薬飲んだっけ?」と聞いてくる。たった3分前の事。

もしかしたら認知症にもなってしまったのかな。

 

これだけ人に会わず入院中は締め切った部屋で刺激がなく過ごし

こんなにたくさんの薬を飲んでいたらおかしくもなるよね。

 

久々の我が家で母とお茶ができるのが嬉しくて長話をしていたけど

薬を飲んだ後からぼーっとしているので疲れさせてはいけないという事を思い出し寝かせた。

 

午後は殆ど起きずにずっと寝ている状態だった。

今思えば看護師さんがお薬の事やその他の大事な事を母に伝えていても母は忘れてしまい

私達に伝える事ができなかのかもしれない。

 

 

これまでgoogleのブログがシンプルで好きだったので使っていたけれど、first viewでカテゴリー別に表示が出来ず何となく不便を感じはじめこちらに引越してきました。