退院2日目。

この日の朝はスッキリした様子で普段の母と変わらない。朝は薬が抜け睡眠で体力も回復しスッキリしているのかな。


妹も手伝いにきた。

お薬カレンダーに薬を入れていく。かなり大きめの物を購入したのに一回の薬が多すぎて何これ?状態。


そう言えば「2〜3日の間に便が出なかったら要冷蔵の瓶のお薬を数滴飲ませてください」と言われたけど、、まだ便は出ていない。いつ飲まそうか。


そして異常なほど水分を欲しがる。でも医師から600mlと制限があるのでホイホイ渡せない。でも水くらい自由に飲ませてあげたい。命の期限を言われてしまったら制限なく自由にさせてあげたいけどね。


妹がいた事もありお昼前までリビングで団らん。

余命3ヶ月〜半年とは考えられない。介助は必要だけれど、まだまだ長く生きそうな気がする。


そして夕食の時間。

昼は自分で歩いてこれたので私も父も油断した一瞬に母は後方に転倒しテーブルの角に頭を打ちつけてしまった。幸い意識はあり「大丈夫大丈夫」と。

慌てて大人二人がけで母を起こそうとするが

たった40㌔の母をベッドまで運べず

そこから動かす事ができない。

時間をかけつつ、やっとベッドに運び夕食はそこで摂ることにした。

母が病気になってから今どの地点にいるのか知りたくて闘病中のご家族のお話やブログを通して(サンプル数は少ないけれど)見聞きしていると

肝硬変になった原因や発見された時期によって経過の個人差がかなり大きいと思った。

(まー個々により千差万別なのは当然なんだけど)


看護師さんのお父様はアルコールが原因で肝硬変に。肝臓は元に戻らないが禁酒し規則正しい生活を続け数値は安定している様子。

ただご高齢なので介護も必要で食事、排便、薬、疲れさせぬように娘さんが管理しておられるとのこと。

原因が明確なお酒の場合は(肝硬変の進行にもよるけど)原因となるアルコールをやめれば比較的予後は良さそう。


友人は20代後半で出産した直後「風邪っぽい」となかなか会えずにいた。久々に自宅に訪れたお母様から目が黄色いので病院に行くよう促され風邪薬を貰いに行ったがそのまま入院。一ヶ月後に亡くなってしまった。

友人は母と同じ自己免疫性の肝炎だった。

高校時代、学校は無欠席で部活動も活発、病気とは無縁なタイプなので突然の事にショックだった。

葬儀でお会いしたご主人は何が原因が分からないとおしゃっていた。

そう。何が原因なのかわからない。

母の場合も何がきっかけで、いつから免疫異常だったのか。原因が分からないタイプの肝硬変は厄介なのです。

肝硬変になるには幾つかの原因(ウイルス性、アルコールなど)がある。しかし母の場合は元々B型肝炎があった訳でもなくお酒もサプリも飲まないので何が原因なのか探るのにだいぶ時間を要した。

結局、自分の免疫が肝臓を異物とみなし自分で殺してしまう自己免疫性の肝炎から肝硬変になった訳だが、なぜ発症したのかまで理由は分からなかった。

 

現在68歳。60歳を過ぎた頃から膝が痛いという事で知人に教えて貰った近所の外科に通っている。

その知人は骨の関節に異変が起き歩行困難に。藁にも縋る思いで色々な病院を巡る中でとある外科医と出会い歩けるまでに戻る事ができた。

その腕の良い医師が偶然にも近所に開業したので母もそこへ通院するようになった。

そこでは関節リウマチと診断され3ヶ月に一度、血液検査やレントゲンなど診察を受け薬を処方してもらっていた。

 

初めて母からこの話を聞いて不思議と心配になった。なぜだか理由はわからないけれど。

その病院で良いのだろうか?と違和感があったのだが知人を間近でみていた母はすっかり信用しているし、その医師は愛想が良いらしいので受診しやすいと。

私が実家に帰る度に、一度他の病院で見てもらった方が良いと父も私も何回か言った記憶がある。

それはなぜだかわからないけど直感でそう思ったから。

しかし宗教と一緒で信者になっていた母は毎月血液検査もしているし全部見てもらっているから大丈夫と聞かない。

薬の処方箋には副作用で肝臓には注意なんて言葉が書かれていたので薬を飲み始めた頃に肝臓には注意してねといつも口酸っぱく言っていた。

しかし月日が流れ自分の家族の事が忙しくなるとその記憶も薄れつつあり

肝臓が悪いなんて血液検査もすればすぐに見つかるし3ヶ月に一度、検査をしているから大丈夫だと思い日々の生活に追われていた。

 

風邪が長引いて咳が止まらず受診した近所の内科医がきっかけで色々な検査を行う事になるが血液検査でこんな異常な肝臓の数値を見たことがない、これまで通っていたリウマチの外科医は何か言ってましたか?と質問された。

これまで何も言われた事はないと答えると内科医は外科医に電話をして肝臓の数値を聞いていた。

電話越しに異常は無かったと回答があったが、自宅に戻り過去の血液検査の結果を見ると肝臓の数値は既に桁外れの異常な数値だった。

知人の医師にその話をすると、それ裁判で勝つかもね、、と。素人でもそう思う。

 

外科医が正直に見落としていたと謝罪すれば私も多少は許せたと思うが、異常は無かったと嘘をついていたのには許せなかった。

父に前向きに戦いたいと伝えたところ「揉めてお母さんは喜ぶか?敵を作りたくない平和主義の母は反対するだろうな」と。

確かに母は穏やかで人に怒った事がなく争いが嫌い。

訴えたところで母は戻る訳でも治る訳でもない。父の言う通り訴えても幸せになる訳ではない。

相反した気持ちを落ち着かせるためには何ヶ月も必要だった。

 

最後に担当になった医師からはリウマチは外科医じゃ診れないよ。これが内科医だったらまた違った結果になっていたと思う。医師にも当たり外れがあるからねと。

そんなハズレの医師に母は信用をしきっていたのだから、それも運命だったのかもしれない。

 

温泉でも効能リウマチと書かれているのでリウマチは関節が痛い老人の病気だと思っていたが

実は自己免疫疾患(内科系)だという事を最近知った。

母が通院していた整形外科はリウマチ科と標榜していたので母も信用していたのだと思う。

私自身も自己免疫疾患で甲状腺が悪く一生薬を飲まなくてはならないからよく分かる。

自己免疫疾患でどうして整形外科?どうやって外科の医師が内科的なことをみる?

きちんとした外科医もいるとは思うが内科的なことはやはり内科の医師に見てもらうのが一番よいのではないだろうか。外科にリウマチ科が掲げられてもリウマチと診断されたなら併せて内科も受診した方がよいと思います。

 

直前に消化器内科の病棟でコロナが発生し退院が延期となったが10日にようやく退院が決まった。


午前中は食事の指導を希望したので母の退院を16時に変更してもらう。


2ヶ月振りに会う母はすっかり変わり果て元の姿はどこにもない。こちらに車椅子で押さてくる女性が母だと気づかなかった。

体重は20キロも痩せ、顔色も岩のような色をしている。ショックのあまりかける言葉もなく涙を見せないよう母の背後に立つ。


自宅の玄関前に階段が数段ある。

ケアマネージャーさんが待機してくださっていたので

母を抱えるように一緒に登ってくれた。

私達も介護を学ばなければと思った瞬間だった。


一階の和室を母の部屋にして介護ベッド、簡易トイレを置くが結局トイレなんか使える状態では無かった。

看護師さんから聞いた話は母でなく別の誰かなのでは?と思うほど状態は悪い。

トイレも厳しいのでケアマネージャーのアドバイスでオムツを買いに行く。

そして一般食を食べていたとは思えないほど食が細い上に、驚いたのは薬の量。

13錠+液体薬+たくさんの粉。

この粉が辛そう。

こんな辛い思いをして飲むくらいなら

薬なんか飲まなくても良いよと本気で思った。

そして薬を飲んだ後はなぜか意識が遠のく様子でボーッとしている。

何かの薬が合わないのか?


あまりに聞いた話と乖離しているので病院に対し不信感しかない。

2月下旬にそろそろ退院できますという医師からの連絡で、母からの返信が来ないのはリハビリに忙しいからと思い込んでいた。

3月に入り医師からの話を聞きに病院へ向かった
(なぐり書きメモ)
重度の肝硬変 グレードC
自己免疫性肝炎(と思われる)
肝臓が線維化して機能せず水分が保てない、血流が悪くなる、倦怠感が酷い。
徐々に悪化し回復はしない。

肝硬変の合併症
○食道静脈瘤→コブができる。食べた物を飲み込む時に破裂し出血する可能性がある(命にかかわる)
○肝炎脳症→脳症は対処しにくい
腸でアンモニアが増えると脳症が起きる
アミノ酸が減ると脳症になりやすい
体調不良でも脳症になりやすい

これらを悪化させないために
腹水の予防
薬を正しく飲む
便秘に注意する
腹水は薬が効かなくなったら抜いて処理をしていく
疲れさせない
睡眠をとる
水分は1日500mlくらい

食べ物
消化によいもの
血糖が下がりやすいので数回に分けて食事を摂ってもよい
タンパク質を多く高カロリーがよい
甘い物も良い
認知症にもなりやすい

すぐにトイレができるように簡易トイレがあった方がよい。

面会ができないので唯一母と繋がっているは

ラインでメッセージのやり取り。

リハビリを頑張っている内容が多かった。


母の詳しい状況はまだわからないが

これまで幾つも検査をして異常が無かったので

胸水と腹水、足首まで溜まった水を抜くのを中心に

弱った足腰をリハビリして

元に戻ってくると思っていた。


ベッドから電話のできる場所が遠いようで

時々人が誰もいないときには電話をくれた。

2月の上旬に元気だった声は下旬には

まるで泣いているような様子だったので入院生活が辛かったのかもしれない。


2月の下旬になるとラインも来なくなった。

「おはよう」が「おおおおはよ」と文字が重複している。母は携帯がオカシイと言うけど

実際には文字も打てなくなっていたのかもしれない。



翌日、医師から電話があった。
昨夜は意識障害もあったが今はだいぶ落ち着いている。
肺気腫の疑い、肝硬変の疑い
何かの数値(電話越しで聞き取れない)が12000と高いが今日が9000まで下がり反応がでている。
絶食と点滴で治療を開始
コロナで面会はできない。

取り敢えず入院ができてホッとした。

父から電話。

お母さんの様子がおかしい。

体温計で数字が出る方を脇に挟んだり、

体温を記入する欄では無い枠に温度を書いたり。

そして震えが止まらないらしい。

そしてベッドに寝かせたところ嘔吐。

救急車を呼び意識障害も起こしている事から来週に控えていた検査入院を前倒し緊急入院となった。



確かに前日にも「あれ?」と違和感があった。

母は父より記憶も思考もしっかりしているし

判断力や勘もよい。


母が納税の準備をしてお金と書類を纏めた袋をテーブルに置いていた。その時、私も隣にいたので全て揃っている事も確認している。


しかし翌朝、この通知書で追加料金が発生する。と言いだし父と揉めている。


昨日、準備したものが全てだよと私が言うと「え?そうなの?」と何度も首を傾げておかしいな、、と辻褄が合わない様子。

母が前日に準備してくれた全てが正解なんだけど、、

なんとなく、このやり取りで認知症なのか?

何かがおかしい、、と感じた。


肝硬変では肝臓機能が低下し分解される筈のアンモニアが処理されないので脳に回り脳症を起こすが、この場合は脳症なのか認知症なのか素人の私にはよくわからなかった。

2021年12月22日に呼吸器内科で初めての診察を受けてから1月2週目まで連日病院通い。

それまで「癌も無く特に大きな病気が見つからない」と言われていたので、大した問題では無いと短絡的に考えていた。


主な検査

2021年12月22日(水)

CT、レントゲン検査


2021年12月23日(木)

消化器内科へ問診


2021年12月24日(金)

消化器内科 内視鏡検査


2021年12月27日(月)

超音波検査

内視鏡検査の結果、胃に大きな胃潰瘍が見つかる

実際に画像を見たが胃の3分の2くらいな大きな胃潰瘍で驚いた。

浮腫を抜く利尿作用がある薬と

胃炎を抑える薬がだされる(10日分)


2022年1月4日(水)

消化器内科 腹部造影剤を使用しカメラを入れての検査


2021年1月5日(木)

呼吸器科 12月の検査報告

肺には大きな異常もなくガンの検査も問題ない

ただうっすら膜がある?影がある

咳が出るのが気になるので引き続き様子見


2021年1月6日(金)

消化器内科 特に大きな問題は見つからないため

1/18から検査入院の予定


ほんと病院ごとにシステムも違うけど

会計までのプロセスで患者側の視点から素晴らしいと思うのは慈恵医科大学。出産から今でも時々お世話になっているけどとてもシステマチックで無駄な動きが無くスマート。

反面、綺麗に改装されたピカピカの虎の門病院、昔から会計までのプロセスがかなーり非効率で時代錯誤半端ない。昭和からのやり方にこだわっているのか、誰も気づかないのか、変えたくないのか。そこをテコ入れするだけでも人件費や時間が浮くのに、、といつも思ってしまう。

私が勤めていた金融機関は破綻によって外資が参入し表面的に上層部がイメージする変化に遂げたけど、そればかり追究した結果、内部のオペレーションが死ぬほど手間がかかったりインターネットバンキングが使いづらすぎたり、、

こういう非効率的な負の遺産をわざわざ何で作る?ま、プロジェクトメンバー見ると見事に銀行で実務を経験した人がいないんだけど、、


と、ふと病院に行くといつも非効率なシステムにあれこれ改善点を考えてしまう。でも不思議な事に毎日、通っているとそれに違和感を感じなくなるので怖いわ。