たとえば、の設定です。
母親が入院しました。
急に容態が悪化して、脳死状態になりました。
お医者さんには、もっても、あと2~3日でしょう、と言われました。
そうか、お母さんはもうすぐ逝ってしまうのか……と思った娘は、一生懸命、母親に語りかけます。
今までのお礼をたくさん言い、あの時は楽しかったね~と、懐かしい話もしたりして、母親が心おきなく、爽やかな気持ちで逝けるようにしてあげます。
2~3日と言われていたけれど、1週間がすぎました。
娘は考えます。
あら? もしかして、何かが心に引っかかって、逝くに逝けないのかな? と。
父親が厳しく小難しい人なので、残った娘と父親の仲を心配しているのかもしれない、と思います。
「お母さん、私も大人になったから、お父さんとうまくやっていけるよ。大丈夫。心配しなくてもいいよ」と言っても、母親は頑張っています。
いったい何が心残りなのだろう? 何をしてあげたら、母はスッと逝けるのだろう、と、娘は悩みます……。
人間が、この世を去る時に思うのは、自分が去ったあとの、残った人たちのことです。
子ども、親、夫、妻……そのような人たちの、心のダメージを心配します。
その例がこちらの記事です。
亡くなることを納得してくれるまで、待つのです。
でも、心のケアについてはそんなに心配がない場合、本人が「もうちょっといようかな」と、この世にいることがあります。
脳死状態だと、魂は肉体から離れています。
この時、本人には、魂のほうも、普通の体と同じように見えています。
かすみのような、煙のような薄い存在ではなく、生きている肉体そのままに見えるため、ベッドに寝ている自分はなんなの? どういうこと? と、パニックになる人がいます。
自分が2人いるからです。
信仰を持たない人はこうなることがあります。
けれど、信仰を持っていたり、信仰を持っていなくても好奇心が旺盛な人は、「え? なに、この状態? 面白いわ~♪」と思います。
魂になったら、どこへでも行けますから、まずはお別れを言いたい人に会いに行きます。
好きなところに行けることがわかると、その後、あそこに行ってみよう、ここにも行ってみよう、とエンジョイするのですね。
「きゃ~、なんて楽しいのかしら」と、充実した最期のひとときをすごす人がいます。
ですから、あと2~3日と宣告されてから、
母親にお礼を言った、その後のことも心配ないとしっかり話した、気を使わなくても大丈夫だからねとも言い、すべてをちゃんとしたのに、なかなか逝けないみたい……
これは、しんどい思いをして、無理をして、頑張って生きているのではなく、最期の時を楽しんでいるのです。
ですから、「お母さん、今日はどこに行ったの? 新婚旅行で行ったっていう伊勢神宮?」みたいな感じで、語りかけてみるといいです。
かすかに笑ったように「見えたら」……母親は最期の時を、思いっきり満喫しているということです。
心配いりません。