※前々回の続きです。
えらく間が空いてしまったため、「えっと? なんの話だった?」と思われる方が多いと思いますので、(ひ~、すみません)
サクサクっと書きますね。
以前にも一度、書いたことがあるのですが、神仏には肉体がありません。
ですから、人間に直接声をかけることができません。
でも、歓迎の気持ちを、どうしても伝えておきたいという時があります。
けれど……歓迎のサインを知らないという人、
もしくは、歓迎のサインは知っているけれど、謙虚なため「違うかも?」と考えてしまう人、
このような人には、神職さんやお坊さんを使って、歓迎を示すことがあるのです。
ハッキリと気づかせてやりたい、という時もそうです。
ただしこれは、無意識にでも、神仏の思いを受け取れる神職さんやお坊さん、関係者がいる神社仏閣に限られます。
神仏の歓迎の気持ちを、相手に伝える役目をしている……ということを、ちゃんとわかっている方がいる神社仏閣ですね。
「イライラを参拝者にぶつけたりする人を、なぜ、神仏はそばに置いておくのでしょうか?」という質問をいただきました。
見えない世界では、人間の意思は自由であり、尊重されるべきものである、というルールがあります。
何をどう考えるのかは、その人の自由なのです。
ですから、どの宗教を信仰するのかも自由ですし、そのことについて、神仏は何も言いません。
イライラと人に当たったりするのも、その人が「したい」と思うのは自由なわけです。
その件について書いた記事を貼っておきますね。(今回の内容と若干、かぶっていますが、私が授与所にいる方に舌打ちされたことを神様に聞いてみました)
神社仏閣には、いろんな神職さん、お坊さん、関係者がいます。
皆様の中に、もしも、悲しい思いをした経験がある、という方がいらっしゃったら、それは神仏の意思ではない、と知っておいたほうがいいです。
逆に、神社仏閣で、すごく優しくされたとか、
親切にしてもらったとか、
ニッコリ微笑んでもらえてとても嬉しかったとか、
そのような経験をしたことがあれば、そちらは神仏からの歓迎のサインです。
そのような神職さんやお坊さん、関係者がいる神社仏閣を見つけたらラッキーです。
何回も参拝に行くことをおすすめします。
行くたびに、関係者の人を通して、神仏の優しさを「感じる」ことができるからです。
これは「わかる能力」のレベルアップにもつながります。