「神社仏閣を参拝するようになって、楽しみが増えました」という嬉しいメッセージがたくさん届きます。
「こんな体験をしたんですよ~」という報告もあり、
「それはよかったですね~♪」と読みながら、ほっこりしています。
たま~~~にですが、「超」真面目な方がいて、
「自分の参拝は見返りを期待しているのでは?」と悩んでいる様子が書かれています。
このところ、立て続けに同じようなメッセージが届いたので、このような悩みを持っている方は少なくないのかもしれません。
「参拝したら、何かいいことがあるかも」
「願いが叶って、ハッピーになるかも」
「参拝を続けていたら、運気がアップして人生が変わるかも」
と思って参拝することは、悪いことではありません。
「この下心はよくないのでは?」 と悩む必要もないです。
「自分のこの参拝は、識子さんの本やブログに書かれている参拝と、質というか純粋さというか、何か違っているのではないか、と分からなくなるというか、少し後ろめたい気分になる時があります」と書いていた方もいました。
ひょえ~!
なんと真面目でピュアな読者さん!
……というのが、私の感想です。
私は、お給料が手取り15万円もない、という期間がけっこう長くありました。
貧乏暮らしを不幸だと思ったことはありませんが、なにせ貧乏ですから、神社仏閣に参拝する時は、
参拝したら、何かいいことがあるかも♪
願いが叶って、ハッピーになるかも♪
参拝を続けていたら、運気がアップして人生が変わるかも~~~~~♪
と、強く期待して参拝していました。
いや、ちょっと、ごまかしました。すみません。
正直に言うと、
参拝を続けていたら、収入がアップして人生が変わるかも~~~~~♪ でした。
このように思うことはまったく悪いことではなく、神仏は喜んでサポートしてくれます。
ただし、人によっては、「今は裕福にすることができない」という時期もあります。
一時期の私がそうでした。
けれど、その時の神仏は、歓迎の度合いを強めてくれて、常にニコニコしており、会話も楽しく、神仏が私に愛情を持っていることを示してくれました。
神社で願掛けをすること、人生がよい展開になることを期待するのは、普通です。
大阪にある「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」の神様は、参拝に来る人々を見て、
「生まれ変わって、人生が変わり、時代が変わっても、違う種類の悩みを抱えて日々生きている。悩みが尽きることはない。それが人間である」と言っていました。
違う種類の悩みというのは、たとえば、大昔だったらご飯が食べられないという悩みだったけれど、生まれ変わった現代は健康の悩みになっている、とかです。
「悩みながら生きることはしんどいだろう。そんなに深刻に悩まなくてもいいぞ。そこまで自分を追い詰めてはいかん。ワシにできることはしてやるから」と、神様は言っていました。
「伊勢神宮」にいるたくさんの神々も、個人的な願掛けを歓迎していました。
私は日本のあちこちで、参拝者の少ない神社にも手を合わせていますが、そのようなところの神様は「望みはないのか?」と聞いてくれます。
願掛けをされない境内社の神様が、とてもヒマそうにしているのを見たこともあります。
もしも、願掛けをするのがよくないことだったら……
祈祷をしている神社は、神様を信じているピュアな人から、〝お金をもらって〟よくないことを堂々としていることになります。
もしも、願掛けがよくなければ、神様がそれを許すはずがありません。
というわけで、人生が好転するのを期待して参拝することは、悩むことではないのです。
相手は、神様・仏様です。
人間が思いっきり甘えていい存在です。
しなくてもいい遠慮をして、神仏と距離を置くようになるのが、一番もったいないです。
似たような質問を以前にもいただいて記事にしたことがあるので、貼っておきますね。