日々、たくさんの質問をいただいております。
いただく質問の中には、たまにですが、同じような内容を見かけます。
たとえばこれは、ブラック企業に就職してしまったという方からです。
「次の職場はいいところでありますようにと、神様にお願いをしています。
でも、今は、コロナの影響で働けない人もいます。
それなのに、良い職場へ転職したいという、身勝手なお願いをしてもいいのでしょうか?」
別の方からも、このような内容が届きました。
「コロナ禍でお給料が下がりました。
なんとか生活はできています。
でも、旅行に行きたいし、不安なので貯金もしておきたいです。
私より生活が苦しい人もいるのに、お給料が上がりますようにとお願いをしてもいいのでしょうか?」
四国に「剣山」という山があります。
以下は、剣山の神様から聞いたお話です。
古代の人間が、神様に祈願をする内容は、「戦いに勝ちたい」というのが多かったそうです。
その他は、雨乞いや食べ物のことばかりでした。
それは、生きるための願掛けでした。
当時、小さなコミュニティで生活していた人々は、そのコミュニティ全体が生き残るための願掛けをしていたのです。
「美味しい木の実が見つかりますように」というお願いは、
自分だけが見つけて、自分ひとりがお腹いっぱい食べたい、
もしくは、自分と家族だけの空腹を満たしたい、ということではなく、
コミュニティみんなの食糧として見つかりますように、でした。
「みんなが満腹になりますように」と、ごりやくをもらいたい対象は、仲間全員だったのです。
自分を含むコミュニティのみんなが、「生き残れますように」というお願いでした。
今は時代が変わって、ひとりひとりが、「私が」幸せになれますようにと、お願いをします。
縁結びから金運、健康運など、ほとんどが個人の願掛けです。
神様によると、現代はこれでいいそうです。
それはなぜかと言いますと、大部分の人は自分が幸せになれば人にも施せるから、だそうです。
自分の生活、自分の人生が、満ち足りて心に余裕ができれば、ニコニコと人にも分けてあげることができる……そのような人がほとんどだそうです。
ですから、まず自分が幸せになるということは、悪いことではないのです。
というか、悪いことではないどころか、実は非常に大事なことです。
ひとりひとりが幸せになれば、みんなが人に施せるほどの寛容な人物になるため、争いはなくなり、平和になります。
〝個人の幸せ〟は、平和になるための、礎石のひとつなのです。
「自分の幸せを願うことは悪いことではない」と、神様がハッキリ明言していたので、
安心して、再就職先やお給料アップをお願いするといいです。
人生がよい展開になるのを期待することに、罪悪感を感じる必要はありません。
ついでに言えば、他人のことや平和を願うのは、これはこれで本人にとってとてもよいことだそうです。
自分という「個人」がまだ十分に足りていないのに、人のために願うことができる人は、徳を積む、とのことでした。