先日、境内で硬貨を拾うことについて書きました。
読者の皆様からも、いろいろなお話が送られてきて、楽しく拝読しました。
そのなかに、私の記事を読んだ翌日、伏見のお稲荷さんに行かれた方がいらっしゃいました。
時々、お参りされているそうですが、前日の夜に、硬貨を拾うという記事を読んで、「こんなことがあったらいいな」「自分も神様の波動を持ちたいな」と思って眠りについたそうです。
で、翌朝、伏見のお稲荷さんの「一ノ峯」に登り、お供え物をし、ローソクに火をともし、手を合わせました。
その時には何もなかったそうです。
それなのに、手を合わせ終えたあとで見ると……5円玉、10円玉、50円玉が地面に置かれていました。
直前には、なかった硬貨です。
現れた、としか言いようがない出現の仕方だったそうです。
その後、下山途中で、いつもお参りする2ヶ所でも10円玉と1円玉が落ちており、
さらに驚くことに、それらの拾った硬貨は、お財布の中にあった硬貨とドンピシャで、枚数も金額もピッタリ同じだったそうです。
今までずっとお参りをしてきた伏見のお稲荷さんですが、硬貨を拾ったのは初めてだったそうで、ものすごく感激されていました。
手を合わせた時には何もなかったのに、その後、突然、現れたとしか言いようがない出現の仕方……物理的にはありえないのですが、ありますね。
神仏の存在を信じていない人、もしかしたら、神仏の存在は信じていても、そんなことはありえないと思います……という方がいらっしゃるかもしれません。
でも、このようなことは実際にあるのです。
これは私の経験ですが、熊野本宮の大斎原(おおゆのはら)で、直前まで何もなかった石碑の前に、いきなり大きな花束が置かれたことがあります。
石碑の向かいにある祠に手を合わせた、ほんの30秒くらいの間に、です。
木の葉で化かされているのかな? と疑ってチェックをしましたが、本物の花束でした。
神仏とは関係ないのですが、「物理的に不思議な出来事」も体験したことがあります。(その記事は→こちらです)
どれもありえない話ですが、私が実際に体験したことです。
あ、そうだ! 霊山でありえない登山者と会う、というのもあります。
杖をついて、ちょっとずつしか歩けない足の不自由な高齢者が〝山頂に〟いたりするのです。
ズルズルすべる地質の山なのに? 健脚な人でも登るのに2時間かかるのに? とビビりますが、これは天狗のイタズラです。
でも、物理的に考えたらありえないことです。
神仏を信仰していると、このようなありえない現象に出合うことがありますから、これはお楽しみとしてとらえてもいいと思います。
それにしても……伏見のお稲荷さんは優しいですね。
メッセージに個人的な返信は差し上げておりません~。
こちらに詳細を書いておりますので →コチラ 何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。